酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

大相撲の誤審が止まらない

2016-01-15 09:53:13 | スポーツ
 前回、大相撲初日の白鵬-勢戦の物言いについて書いたが、その後もきわどい一番での「誤審」が止まらない。一体相撲界はどうなっているのか。

 四日目、琴奨菊と安美錦の一番。一気に押して出た琴奨菊、安美錦の引き技に足が流れ、右足の甲が砂についた。安美錦が土俵から飛び出すのとほぼ同時である。軍配は琴奨菊に上がったがNHK中継は「きわどいですね」を繰り返し、物言いが付くのが当然という口ぶりだった。しかし、物言いもつかず軍配通りの決着、場内にため息が漏れた。

 続く五日目、隠岐の海-豊ノ島戦。もろ差しを果たした豊ノ島が一気に寄って出たが、土俵際で隠岐の海の突き落としを食う。隠岐の海の右足は俵の上、豊ノ島の右手が砂につくのが一瞬早かったように見えた。勝ったと思った隠岐の海は、そんきょして勝ち名乗りを受けようとしたが、軍配は相手に上がっていた。物言いも付かない。NHKテレビは「足は俵に乗っていますよね」と勝負判定に「物言い」をつけてみせた。

 初日から連日の満員御礼に水を差す事態である。審判長の井筒は「隠岐の海も残って、一緒ぐらいに見えたけれど、豊ノ島が攻めている分、分がある。物言いがつく一番じゃない」と説明(毎日新聞)してるが、世間一般には通るまい。

 井筒が言うように、相撲には流れや勢いがある。一瞬一瞬を切り取ってみたものと、土俵下から生の目で見たものとでは違うだろう。だが、ビデオ判定を持ち込み、ビデオ室に「物言い権」を認めているのはなぜか。人の目に限界があることを協会自身がよく承知しているからではないか。

 誤審もどきの二番とも攻め込んだ方に軍配が上がり、審判もそれを追認した。「相撲に勝った」方に肩入れしたい気持ちは理解できる。だが、ルールはルールだ。「攻めている分、分がある」などと言われても、どっちが早く落ちたんだ?の疑問に答えることにはならない。

 井筒の言い分を通すなら、勝負判定の基準を再度明確化すべきだ。「きわどい一番についてはどちらが攻勢を取っていたかを重視して判定する」。味気ない相撲が多くなりそうだが…。
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