東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

荷風と写真(1)

2019年01月30日 | 荷風

永井荷風「おもかげ」扉部分 永井荷風が戦前に写真撮影を好んでしていたことは、その日記「断腸亭日乗」などからよく知られている。昭和13年(1938)発行の小説随筆集「おもかげ」には荷風撮影の写真が載っている。主に都内の風景であるが、撮影したのは風景写真ばかりではなかったようである。

断腸亭日乗を見ると、昭和11年(1936)10月26日に次の記述がある。

「十月廿六日。午後より時々驟雨あり。草稿を添削す。夜久辺留に徃く。安藤氏に託して写真機を購ふ金壱百四円也

この日、荷風は、銀座の喫茶店キュウペル(久辺留)で写真機通の安藤英男に依頼して104円でローライコードの写真機を購入した。この額は、当時の国家公務員の初任給75円から現在の貨幣価値に換算すると、約25万円程度で、今のデジタル一眼カメラの中でも中~上位機を購うことができる。カメラの値段は当時も現在もあまり変わっていないといえそうである。

ちょうど玉の井へ頻繁に出かけていた頃で、この前日に玉の井を舞台にした小説「濹東奇譚」を脱稿している。

ローライコードとは、1933年(昭和8年)ドイツのカメラメーカーのフランケ&ハイデッケ社から発売された縦長の二眼レフカメラで、下側の撮影レンズと上側のファインダーレンズとが連動し、シャッター内蔵の下側のレンズで被写体像をフィルムに露光し、上側のレンズからの被写体像をミラーで反射して上側のスクリーンに結像するが、これを撮影者は上からのぞき込むようにして見て構図とピントを確かめる。

同社は、これに先立って、1929年(昭和4年)同型の二眼レフカメラであるローライフレックスを発売していた。ネガサイズ6×6cmの117ロールフィルムを用い、ピントフードを折りたたむと箱形となって、1914年以前の二眼レフと比べると1/4の大きさで小型軽量のため携帯し易いことなどから、大ヒットしたという。この機能やレンズや外装の一部を簡略化した廉価版が荷風の入手したローライコードであった。

荷風は、大正初め1912~1914)すでに写真機を手にしていたが、それは多分大きく、この小型軽量化し携帯に便利なローライコードの入手を喜んだであろう。

参考文献
「新版 断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風(下)」(岩波現代文庫)
永井荷風「おもかげ(復刻版)」(岩波書店)
神立尚紀「図解・カメラの歴史」(講談社)
マイケル・プリチャード/野口正雄 訳「50の名機とアイテムで知る図説カメラの歴史」(原書房)

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