東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

宮前坂(戸越銀座)

2015年01月24日 | 坂道

宮前坂下 宮前坂下 宮前坂下 宮前坂中腹 前回の清水坂下から右折し戸越銀座の通りを東へ進む。二本目を右折すると、宮前坂下である(現代地図)。戸越二丁目5番と6番の間を南に上る。

曲がってから坂上側を撮ったのが一枚目の写真で、坂下近くからかなり緩やかだが勾配がはじまっている。

二枚目は、通りを曲がってから振り返って通り側を撮ったもので、反対側の道が北へ延びて奥の方で左に曲がりながら緩やかに傾斜して上っている。

さらに進んでから坂上側を撮ったのが三枚目であるが、ちょっとした勾配がつきはじめ、まっすぐに上っており、ここを上ると坂上で、清水坂と同じく短い坂である。

四枚目は、さらに進んで中腹のあたりから坂下側を撮ったもので、右側(東)にこの坂の標識が立っている。

下一枚目は、その下側から左側(東)に標識を入れて坂上側を撮ったものである。

標識には、下二枚目の写真のように、次の説明がある。

『この通りは、付近にある行慶寺や戸越八幡神社に向かう道で、宮前通りと呼ばれている。
 坂の名称も、そこからつけられたものである。』

宮前坂中腹 宮前坂標識 戸越銀座周辺明治44年地図 戸越銀座周辺昭和16年地図 三枚目は、明治44年(1911)発行の地図の部分図、四枚目は、昭和16年(1941)発行の地図の部分図である。

前回の清水坂の記事で、明治地図の八幡社と行慶寺の右(東)で上下(南北)に延びる道がこれから行く八幡坂で、その左(西)の南北に延びる道がこの坂、さらにその左(西)の南北に延びる道が清水坂であろうと推測したが、そうすると一つ問題が生じる。現代地図(画面上)で宮前坂と清水坂との間隔が坂下の通りで168m、宮前坂と八幡坂との間隔が坂下の通りで123mで、宮前坂と清水坂との間隔の方が長いが、明治地図では、逆に、宮前坂と八幡坂との間隔の方がかなり長いことである。

明治地図で、上端(北)中央付近の百反通りと峰原通りとの合流地点近くの道は、下(南)に延びるにつれて右(東)へとカーブし、次第に東向きになるが、この道と宮前坂との位置関係が、現代地図におけるその道と宮前坂との位置関係と似ている。このため、明治地図で、八幡坂の左(西)の南北に延びる道が宮前坂であるとの推測はあながち大きな間違いではなさそうである。そうとすると、仮説であるが、その左(西)の南北に延びる道は、清水坂ではなく、現在、清水坂と宮前坂との間に別の無名の坂道があるが、この道といった方がよいのかもしれず、現在、清水坂とよんでいる坂道は、明治地図にはなく、その後できた坂なのかもしれない。

前回の記事における明治地図の清水坂の位置云々については訂正する必要があるかもしれないが、これ以外の資料がないので、とりあえず、こういう疑問点があるというだけにとどめておく。昭和16年の地図は、現在と似た位置関係である。

宮前坂中腹 宮前坂上 宮前坂上 宮前坂上 さらに上ってから坂下側を撮ったのが一枚目の写真で、このすぐ右(東)に宮前坂広場という小さな公園があるが、その出入口の車止めが写っている。

そのあたりから坂上側を撮ったのが二枚目で、さらに上ってから坂下側を撮ったのが三枚目である。

そのあたりから坂上側を撮ったのが四枚目で、坂上の先は、宮前商店街で、その看板が見えるが、そのあたりでちょっと左にカーブしている。

品川区HPの宮前坂のデータによれば、この坂は延長72m、最大勾配が約8.8%(5度)である。この坂は、清水坂と似た坂であるが、清水坂よりもちょっと長く、その分勾配がちょっと少ない。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「東京市15区・近傍34町村⑰荏原郡大井町・平塚村全図」(人文社)
「地形社編 昭和十六年 大東京三十五區内⑲荏原區詳細図」(人文社)
「東京人 april 2007 no.238 特集東京は坂の町」(都市出版)

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