東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

軽井沢と荷風(5)

2014年09月15日 | 荷風

前回の記事に続く。軽井沢八日目の昭和2年(1927)8月18日の日乗はまたちょっと長めである。以下、原文。

『八月十八日 蚤起[そうき]、食前日高氏に托すべき全集本の序言を草す、午前日高氏萬平旅館より来る、昼餉を倶にす、食後自働車を買ひ臼井[碓井]峠に登る、町のはづれに渓流あり、橋畔一老樹のもとに古碑あり、馬をさへながむる雪のあしたかな芭蕉翁なる文字を見る、橋を渡れば一路羊膓[ようちょう]として林間を攀づ、尾崎愕[咢]堂が荘園の門前を過ぐ、荘園の広さ六千坪なりと自働車運転手の語る所なり、山径を登り行くに休茶屋あり、見晴亭といふ、猶登り行くこと二十分はがりにして峠のいたゞきに達す、左の方に熊野権現の古祠あり、華表殿堂古色蒼然[そうぜん]たり、皇族下馬の高札を立てたり、礼拝して後尸祝[ししゅく]に請うて厄除の護符を購ふ、祠前細径を隔てゝ平坦の地あり、見晴の台と称す、洋人二三名樹下に茶を煮て食事をなせり、台の上に立ちて眺望するに峰巒重々として眼下に起伏し、鶯の声遠近に反響す、前方に一帯の連山あり見晴の台と相対す、連山の後方に当り嶄然[ざんぜん]たる奇峯其状犬牙の如きもの雲間に出没す、其形よりして妙義山なるを知る、見晴の台を下り来路に出づれば右方に木柱を立てたる門の如きものあり、門を入りて登ること数十歩、再び平坦の地あり、眺望の広豁[こうかつ]見晴の台に優る、公園地の札を立てたり、空気清澄にして耳底自ら物の鳴りひゞくが如き心地す、日高氏を顧みて問ふに又然りと荅ふ、自働車にて来路を下りて万平旅館に帰る、道程僅かに二三十分に過ぎず、是夕日高氏五時の汽車にて帰京す、国木田夫人小糸画伯亦帰京すと云ふ、是日快晴日の光強し、軽井沢に来りて始めて薄暑を覚えたり、夜松莚子を其の旅亭鶴屋に訪ふ、丸岡生東京より松莚子の自働車に乗り臼井峠を越えて夜十時頃到着す、』

旧軽井沢渓流 旧軽井沢芭蕉碑 旧軽井沢教会 旧軽井沢街外れ橋(旧中山道) 最近の記事で、日乗の私訳のみを載せ、読みやすくなったかもしれないが、そうすると、荷風独特の文体が持つ調子のよさや格調の高さが損なわれるような気がしてくる。でもこれは致し方ない。

以下、私訳である。(写真は、この夏に撮った中から関係のありそうなものを選んだ。)

「8月18日 朝はやく起き、食前に日高氏に託すべき全集本の序言を書いた。午前日高氏が萬平旅館より来て、昼食を一緒にとった。食後自動車を頼み、碓井峠に登った。町のはずれに渓流が流れ、その橋のほとりの一老樹のもとに古碑があり、馬をさへながむる雪のあしたかな、という芭蕉翁による文字が見える。橋を渡れば一本道が曲がりくねって林間を登っている。尾崎咢堂(尾崎行雄)の別荘の門前を過ぎたが、自動車の運転手の話では、別荘の広さが六千坪あるとのことである。

旧軽井沢別荘地 旧碓氷峠見晴台 旧碓氷峠見晴台眺望 旧碓氷峠見晴台から妙義山 山道を登っていくと休憩茶屋があり、見晴亭という。さらに登って20分ほどで峠の頂上に着いた。左の方に熊野権現の古い社があり、鳥居・殿堂がいかにも古びて見える。皇族立ち寄りの高札が立っている。礼拝してから神官に頼んで厄除の護符を買い求めた。社の前の細い道を隔てて平坦の地があるが、見晴の台という。洋人二三名が樹の下で茶を沸かし食事をしていた。眺望すると、峰や山なみが重なって眼下に起伏し、うぐいすの声が遠近に反響する。前方に一帯の連山があり見晴の台と相対し、連山の後方に一段と目立つ奇峯の犬の牙のようなものが雲間に出没したが、その形から妙義山であることがわかった。見晴の台を下り来路に出ると右方に木柱を立てた門のようなものがあり、門を入って登ること数十歩で、また平坦の地があった。眺望が広々とひらけていることは見晴の台よりもすぐれ、公園地の札が立っている。空気が澄みわたり清らかで、耳底から物の鳴りひびくような心地がし、日高氏にふり向いて聞くと、同じですと答えた。自動車で来路を下り万平旅館に帰ったが、道程はわずかに二三十分に過ぎなかった。この夕方、日高氏が5時の汽車で帰京した。国木田夫人と小糸画伯も帰京したとのこと。この日は快晴で日の光が強く、軽井沢に来て始めてちょっとした暑さを感じた。夜左団次をその旅館鶴屋に訪ねたが、丸岡君が東京より左団次の自動車に乗って碓井峠を越えて夜十時ころ到着した。」

この日、荷風は、朝はやく起きて、さっそく全集本の序文を書いている。日高と昼食後、自動車で碓氷峠に登っているが、この道は、旧軽井沢銀座から続く旧中山道であろう(現代地図)。熊野権現前の小道から出た見晴の台と、見晴の台を下って木柱を立てた門を入った先の平坦の地との違いがよくわからない。この夏に旧軽井沢の見晴台に登ったとき(以前の記事)、見晴台の手前にそのような門があったような記憶があるが、神社の方には行かなかった。この日乗で荷風が記した、見晴の台よりも眺望のすぐれた平坦の地が、現在、見晴台としている広場(二枚目の写真)のような気がする。
(続く)

参考文献
「新版断腸亭日乗」(岩波書店)
秋庭太郎「考証 永井荷風(下)」(岩波現代文庫)
2014山と高原地図19 浅間山 軽井沢(昭文社)
県別マップル20 長野県道路地図(昭文社)

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