東京さまよい記

東京をあちこち彷徨う日々を、読書によるこころの彷徨いとともにつづります

上の坂(田端)

2012年09月02日 | 坂道

与楽寺坂上側・上の坂手前 上の坂上 上の坂上 前回の与楽寺坂の上側の四差路を左折すると、一枚目の写真のようにちょっとした上り坂となる。 ここを上りちょっと進むと(北西へ)、周囲はすっかり住宅街である。一本目を左折すると、上の坂の坂上である。二枚目はそのあたりから撮ったもので、ちょっと南西方向の見晴らしがよい。ここを進むと、三枚目のように下りとなる。

このあたりも上野台地で、田端台ともよばれたところである。この坂は台地から西へ、南へと低地に下り、かつては崖であったのであろうか、かなり急なため、途中から下は階段となっている。

上の坂中腹 上の坂中腹 上の坂中腹 上の坂中腹 一枚目の写真は、階段の上あたりから坂上を撮ったもので、左端に坂の標識が見える。二枚目は階段をちょっと下ってから坂上側を撮ったもので、三枚目はそのあたりから坂下側を撮ったものである。四枚目はさらに下ってから坂上側を撮ったものである。住宅街の中の坂で、かなり急に下っている。

上記の標識には次の説明がある。

『上の坂
 坂名の由来は不詳です。この坂上の西側に、芥川龍之介邸がありました。芥川龍之介は大正3年からこの地に住み、数々の作品を残しました。また、この坂の近くに、鋳金家の香取秀真、漆芸家の堆朱楊成、画家の岩田専太郎などが住んでいました。
 芥川龍之介は、その住居を和歌に詠んでいます。
  わが庭は 枯山吹きの 青枝の
     むら立つなべに 時雨ふるなり
  平成9年3月                       東京都北区教育委員会』

上の坂下 上の坂下 上の坂下 一枚目の写真は坂下から階段坂を撮ったもので、二枚目は階段下のあたりから坂下側を撮ったものである。三枚目はちょっと歩いてから振り返って階段下を撮ったものである。坂下の道はかなり狭くなっている。二枚目の道を進み、突き当たりを左折すると、与楽寺坂の下側に出る(散策マップ参照)。

『東京府村誌』に「上之坂 東覚寺坂の東にあり南に下る。長さ二十間、広さ一間三尺」とあるという(石川)。東覚寺坂とは、ここから西側にある東覚寺の東側を北上する坂で、ここに切通しの大きな道路ができたため、切通しの西わきを上る坂道になっている。上記の標識の説明にあるように、坂名の由来は不明である。

明治実測地図(明治十一年)を見ると、東覚寺の東わきに東覚寺坂と思われる北上する道があり、そのちょっと東に平行な道筋があるが、これがこの坂であろう。

岡崎は、上の坂を田端一、六の境とし、別の場所(切通しの側)の石段坂としている。しかし、『東京府村誌』の記述と明治実測地図から判断すると、東覚寺坂から東にちょっと離れた上記の標柱の立っている階段坂が上の坂と思われる。
(続く)

参考文献
横関英一「江戸の坂 東京の坂(全)」(ちくま学芸文庫)
山野勝「江戸の坂 東京・歴史散歩ガイド」(朝日新聞社)
岡崎清記「今昔 東京の坂」(日本交通公社)
石川悌二「江戸東京坂道辞典」(新人物往来社)
「嘉永・慶応 江戸切絵図(尾張屋清七板)」(人文社)
市古夏生 鈴木健一 編「江戸切絵図集 新訂 江戸名所図会 別巻1」(ちくま学芸文庫)
デジタル古地図シリーズ第一集【復刻】江戸切絵図(人文社)
「東京人 特集 東京は坂の町」④april 2007 no.238(都市出版)
「江戸から東京へ明治の東京」(人文社)

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