四半世紀も議員をさせていただくと様々な場面に遭遇してきた、今回のタイトルいつか来た道を紹介します。
それは今から7年前六か町村合併時の議員任期特例での特別委員会で議員任期を半年とする議員と一年半を主張する議員で激烈な駆け引きや朝駆けの引き抜きがあった。奇遇にも当時の合併事務局長は現中川副市長で一年半を推進している中心的な人物は現在の議会幹部でした、私とたぶん大平市長も特例任期を半年を主張していたと記憶しているが、当時の中川事務局長に私は「今繰り広げられている委員会での議論を市民に広く公開しなければ後から大変な事になりますよ」と詰め寄ったが実現する事は最後まで無かった。いまなら個人的なブログや会報など情報伝達はありますが確かに行政の立場であれば限界もあったと思われますが残念でした。当時何人かの市民に一年半の議員特例は如何なものかと説明したが反応はイマイチ盛り上がらなかった。
半年と一年半の在任特例が採決され結果、賛否同数で委員長が最後に一年半に賛成し在任特例の委員会は一年半になり合併協議会で最終決定された。
しかし委員会裁定当時は静かだった市民が数ヵ月後に燎原の炎の如く魚沼市民が立ち上がり全国的に有名になった96人のマンモス議会に対するリコール問題に発展する事になったのは皆さんご存知のとおりです。
正直の書かなければならないがリコール問題勃発後多くの議員が3月に辞表を出されたが私は辞表を出さなかった。 当時は大震災直後で震災復興真っ最中で所管の産業建設委員長として放り出すわけにはならなかった、色々な批判はありましたがね。
さて現在
一昨日庁舎再編整備調査特別委員会が開かれ多くの傍聴者が見つめる中で委員会が進められたと聞く。 私は稲刈りで委員会終了後同僚委員から連絡を貰った、開口一番委員長の議事の進め方に疑問を投げかけ、委員会の進め方に今後議論を残したようだ。
採決の結果賛否同数で委員長が賛成で議案第85号(湯之谷案)はかろうじて可決、守門支所設置を骨子とした86号は否決された。 85号と86号は一体の議案で一方が否決されたのだからこの再編計画の骨子が成り立たないと思うのだが。
ちなみに賛成された委員は委員長を含めて6名(委員の氏名は他のブログを参照下さい)反対委員は5名でした。
賛成された委員6名中4名の委員が私達と一緒に今春まで「庁舎を考える会」メンバーで広神庁舎を活用して尚且つ本庁舎機能機能を担わせると活動してきた、マスコミ発表までして市長にも同案を文章で申し込んだ。賛成や反対は個人の自由だが一転湯之谷案に賛成した市民への説明責任は大きい、魚沼市議会内で通っても世間はそんなには甘くない。
いつか来た道このままでは終わりそうも無い。