四半世紀の間地方議員をさせてもらいました、様々な出来事に遭遇し経験をさせてもらった。
議員のエネルギーはポストの獲得であり、怨念は20年以上も続くことがある。 私が当選してすぐにライバル同士が議長選に手を挙げた。 応援しなかった議長候補から「お前が議長選に出るときは必ず足を引っ張ってやる」と言われ公言とおりの行動を取られた(苦笑×2)
魚沼市になってからも議長選に出ることになり多くの人に応援を頂いた。 大平市長も当時は議員であったし真っ先に応援をしてもらい思いっきりの好さには驚かされた。
個人的に何処かでこの借りは何時かは返さないといけないと思っているがなかなか返せる機会がないのが昨今だ。
「何時か来た道」のタイトルに戻るが、入広瀬村時代に全国的に有名なS村長は「建て前村長」と揶揄されるくらい補助金を駆使して箱物作りで村作りを展開し無類のマスコミが好きだった。 しかしながら得意の箱物作り(焼酎工場建設)で議会の理解を得られず晩年、権力者の末路を迎えた。
得意分野で思わぬ墓穴を掘ることは洋の東西を問わず言える事だ。 新庁舎は作らないで当選した市長は9月定例会を控え正念場を迎えようとしている。
追伸 魚沼市の将来のためになるなら喜んで協力をしたい。