ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「起こるにまかせて、なにもしなかった人々」

2013-02-25 14:07:07 | ひとの幸福
ユングについての本の中に、こういうものがあった。

「ユングの観察したところでは、

彼の患者の中で、人生の問題の束縛から自由になり、

こころの成長と統合という高いレベルに達した人々は

本質的に、ただ事柄の起こるにまかせて、

何もしなかった人々であった。」以上。


よきにしろ悪しきにしろ自分のことも他人のことも、

起こっている物事に対して、なんとかしようという発想をせずに、

在るがままという状態を受け入れて、

なにも“しようとしなかった”ということかなと思った。

・・コレ以前に書いた文章。


別の本で「しようとするな、さっさとやれ」という言葉が何を云っているのかわからないことがずっと続いていた。

「~しよう」という思いは未来についてのこと、

『明日アレをしよう』みたいに。

(今 ここ)という瞬間のことじゃない。

心が(今 ここ)だけにあったら、つい出てくる、“反応”は無いはず。

(今 ここ)という時空は何もない真に自由な場だから。


「さっさとやれ」は“しようとしてやれ”じゃない。

しよう、なんて思わずに、“したくなる”という心のままに行動しろ・・

・・ということなんじゃないか。

~したく“なる”・・という思いは存在の状態から自然に出てくるもの。

なので無理がない。

おしっこしたくなる、食べたくなる、寝たくなる、みたいに自然のこと。

・・・もしかしてこういうことを以前に書いたかもしれないけど、

こう考えた、という体験がまだ足りないから、

又書くという現象があったのかもしれない。

はずかしい

2013-02-25 12:23:08 | 日々の暮らし・思い出
さっき、娘とのことで気持ちを書いてみて、気が付いた。

娘の姿を思い出してみると、彼女は終始落ち着いた態度で、

ひとの話をただ、うんうんと頷き、なにも言わずに聴いていてくれた。

話し方もゆっくりで、でも・・とか言ったことなかった。

見習うべきは彼女。


娘に・・・

2013-02-25 10:26:10 | 実例体験観察
娘たちは昨日石垣島に帰った。

さっき書いたブログは自分の反省も込めて書いた。

老婆心でついつい娘に一言二言三言、言葉を発したことがあった。

よかれと思って、という奴。

あ~、又やっちゃった。

なんか、教える、という感じの自分だったよ~。

思い返すと恥ずかしくなる。

今回、教える、という気分(境地)になったのは、

そういうことを言う、という行為で相手の“心の状態が変わる・境地が変わる”、と観ていた自分だった、ということだ。

そんなことは無理だ。口でひとは変わらない。

楽しくしてないひとに「今、楽しい気分になれ」って言ってるようなもんだから。

教えてもらう事によって得られるのは知識や頭での理解であって、

智慧じゃない。

智慧は体験を経ることによって自分の身になるもの。

こうして書いているということはそれを頭ではわかっている、ということで、

でも、まだ体得になってない私だ。

頭でわかって実行できるに練習要る、で。

今回の経験も練習の一つになったかなぁ・・

もっともっと失敗が要るなぁ。

言葉より

2013-02-25 09:45:27 | ひとの幸福
思考は一瞬前や一瞬後のことについてであっても、

過去と未来“についての”思考であって、

今 ここ という時空についてではない。

(今ここ)という時空はその人の存在状態が在るだけ。

瞬時の反応というものはその人の存在状態、境地が現れるということ・・

それは顕在意識の思考以前のもの。

カッとしてぶん殴る、のもそうだし、

つい一言二言三言言いたくなっちゃうというのも瞬時の反応だ。

発する言葉より、事についての瞬時の反応、態度を見る方がその人を知ることになる。

いくら言葉でいいこと言っても、やってることを見れば・・ね~

なんて発言も世の中にはある。

ひとはひとをちゃんと観てる。

若い頃、「共産党、家に帰れば自民党」という川柳を聞いたことがある。

国会で立派な答弁をしてる人も、

家族の前では君主してる、みたいなことを揶揄したんだろう。

勿論、一部ではそういう人も居たかもしれないということで、

自民党でも共産党でも人はいろいろだろう。