ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

決心して・・

2013-02-20 21:16:12 | ひとの幸福
決心なんていうと大袈裟だけど、小さいといえるような決心もある。

「清水の舞台から飛び降りる」というような大きな決心もあれば、

ダイエットをするかしないか、というような決心もある。

決心というのは心境が利害を超えている場合のものと思う。

こうするとアレが手に入らないし、あーするとアッチがうまいこと行かないし、

・・というような、どっちを選べば得するか、で悩んで、

じゃあ、こうするか・・なんていうのは決心じゃない。

そういうのは計算だ。心を決めるというようなことじゃない。

別にそれが悪いわけじゃない。今日特売じゃないニンジンを買うか、

それまでニンジンを使わないメニュウにして、

どうせ又買い物に来るし、特売まで待つか、なんていうのはよくある。

(でも、こういうことでも決心すると心の在りようが変わってくるということはある)


昨日、(今日は昼めし抜きをしよう)と軽く決心した。

今日も、(今日は昼飯抜きにしよう)と軽く決心したんだろう、

昼飯を抜くか抜かないか、どっちにするか揺れなかったから。

何度もこういったような種類の決心をしたことがある。

何も昼飯を抜くのがいいとかいうわけじゃないのは勿論で、

ただ、そうしたくなっただけの話しなんだけど。

この話の例としては相応しくないや。

その時はすっきりと決めた通り行動するけど、いつの間にか元通り。

それが長く続くことはほとんど無かった。

すると、再び決心する機会が生まれる。

決心したことをしなくなったという現象があるから、

同じことを又決心できるわけで。

相対性の場を“行ったり来たり”してる。

例えば(何があろうと戦争はもうしない)という決心をして、

そうなるような行動を恒常的にするようになったら、

同じことを再び決心することは無くなる。

何度も何度も(行ったり来たり)を繰り返すことで、そしてその自覚があることで、

相対の場から絶対の場へ行けるのかと思う。

繰り返しはもういいや、とそれを卒業するんだろうな。

卒業は無理がない。

(こんなことをしていてはいけない)というものから生まれる行為行動は“克服”という奴で、

無理が生じるのかと思う。副作用が生じる。

そして繰り返す。



アダム5ヶ月で・・

2013-02-20 11:13:56 | 言葉
アダムが生まれて5ヶ月経った。

時々動画が送られてくる。さっき来たのは

スーパーの大きなイージーバッグを両手で何度も持ち替えながら、それを舐めようとしているように見える。

ガサガサっという音もずっと聞こえている。

目で見て触って聞いて舐めて匂いも感じているかもしれない・・・

なんだろう??これは???

母親が傍で「どうですか?袋は」なんて話している。

アダムはその袋をなんだろう?と五感全部を使って観ているのかと思う。

在るものをわからないとき「“な”んだろう?」という言葉を発する。

なんだろう?と思う。

その言葉自体が、

すべて“在るもの”は“なって来た”もの、ということを云っている。

いま在るものすべて、在る物事、在る物質、在る思い、

みな全てが複雑に見事に絡んだ動的平衡というプロセスを経て今そうなっている。

これからも今在るものもそのようになってゆくもの。

そのように言葉が云っている。

数学の問いでも、物事がどうして起こったのかという問いでも、

問いに対しての答えに「そう“な”のか!」という深い納得を持つ時も、

その答えが引き出されたプロセスを了解した、ということだ。

なっとく、という言葉も“な”が付いているよ。いま気づいた。