ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

必然

2013-02-16 12:09:53 | ひとの幸福
上の葉っぱはそこに在るべくして在っただけ・・・

そう書いて・・

みんなみんなそうだなぁ。何もかもが在るべくして在る。

幸福も不幸も戦争も平和も健康体も不健康体も。

様々な、その時々の、いろいろな作用でそうなっている。

偶々そうなったという思いを持つひともあるだろうけど、

事実は常に必然だ。偶然と思っても必然だ。

そうなった展開の全てが人間に観察されているほど、

人間はなってないし、これからもそうだろうけど、

そうなった展開が在ったことについては確信がある人も多い。

その必然の小さな一歩を変えられるのは人の意識。意志。

真実の小さな一歩は真実の大きな一歩になる。

そう在りたい・そうしたい、というエネルギーを持つ人は必ず道がみつかるようになっている。

いま、上に書いた文の語尾に「と、思う」というの書いたけど、消した。

そういうアンテナを張っていると情報や知恵は吸い寄せられる。

これも必然かな。


庭の・・

2013-02-16 10:28:51 | 日々の暮らし・思い出
ゴミを出しに行った帰り、何気なく垣根になってるモッコウバラを見た。

な、なんと!一枝だけ大きな蕾がついている。

見るまで知らなかった。・・当たり前か。

新芽が芽吹いているなとは思ってたけど、寒いのであまり植物たちをジロジロ見てなかったら、こういうことになっていた!

その枝の所だけ特別に陽がよく差したんだろうか。

まぁ、いろいろな要因が互いにいろいろと作用してこういうことになったんだなぁ。

ガジュマルの木は上の方が寒さで茶色になっている。

その葉の下についている葉は上にあるその葉のお蔭で茶色にならずに済んでいる。

お蔭で、と書いたけど、葉っぱの蔭になっている、と同じ字だね~

お蔭さまでとか、御蔭をもちましてとかはいい表現だなぁと思うけど、

その御蔭さまは“誰の”とか“何の”っていうのがない。

そういう表現は不能だからだろうなぁ。

あまりに多くのことが作用してそうなった、ということだと思うから。

それを「お蔭」というのが面白い。

上の葉っぱの蔭で下の葉っぱは枯れずに済んだ。

上の葉っぱは下の葉っぱの犠牲になったのか?

いや、違う。ただ、その場に在るべくして在っただけだ。








ママレード と 佃煮

2013-02-16 10:09:09 | 日々の暮らし・思い出
友人が手作りの柚子のママレードを送ってくれた。

その瓶をテーブルの上に置き、私がトーストにぬって食べていると、

向かいに座っていた義父がご飯の上にそれを乗っけて食べた。

「これは美味い佃煮や」と一言。

夏みかんピールを私が作っても、彼はそれを夏みかんの皮の佃煮と言う。

彼の認識にオレンジピールなるものは無い。

彼にとって長期的に持つ煮物はみな、佃煮である。

認識が言葉になる。言葉は認識の表れ。そう捉えているというもの。

テーブルにオレンジピールが在っても、彼にとっては無い。

在るのは佃煮。