ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

死ぬならガンに限る

2013-02-08 16:01:39 | 実例体験観察
「死ぬならガンに限る」というネーミングだったかなぁ、

中村仁一さんという医師と近藤ナンタラさんという医師の対談本をこの前読んだ。

それぞれの他の本を読んだことがあるので、

ちょっと予想はしてたけど、やはり・・という内容だった。

殆どのガンは切らずに放置すると死ぬまで痛みがほとんど無いし、

切らないことで快適に過ごせ、生きる時間も長いようで、

ガン検診はこの二人とも受ける気はさらさらないそう。

予防医学が最近盛んだけど、アレは患者を“呼ぼう医学”だという文章もなかにあって、

読むとなるほどと納得した。

この本のことを夫や友人にしたとき、

自分に随分力が入っている、と感じた。

なんかムキになっていた自分だった。

今の時代でガンは切らないで放置したらいいなんて言うと無視されることが多いとは思う。

なので、自分がそういう内容を夫や友人に納得“させたい”、

というのが強くあった。それで力説してしまったなぁと思った。

でも、なんでそんなに力説したんだろう???

なんで本の内容を納得してもらいたいと思ったんだ???

と、布団に入ってから自分を観た。

夫がガンと宣告されたり、そうかもしれないとなったとき、

夫はかなり不安状態になるのではないか、という不安が私にある。

そんな不安に怯えるようになってほしくない、という願いが私にあることに気づいた。

ひとを思える自分だということに気づいたことは嬉しかった。

けど、実際夫がどうなるかはわからない。

夫が不安に駆られて心が苦しむことのないように願ってしまったけど、

苦しむかもしれないし、苦しまないかもしれないし、

苦しんだとしても、それが良くないとも言えないと思った。

私も娘のことで、心配や不安で心が破裂しそうになった経験があるけど、

それがあったからこそ、不安の無い心になれた。心配の無い心になれた。

そんなふうに思いが行ってから、

夫のことは夫に委ねよう、となった。

友のことは友に委ねよう、となった。

実際は委ねることしか出来ないのに、委ねられない自分を発見した。

委ねられない自分が在ってよかった。

委ねられる自分を見つけられた。

そして、夫や友が不安で心が苦しいことがあったら、そのとき、それに寄り添える自分で居たいと思った。

ま、これは今の心境で、実際そんなふうになったとしたら、どうなるかはわからないけど、

こういう思いを経験できたことはきっと悪くないだろうな。


自然と人間

2013-02-08 14:04:34 | ひとの幸福
日本は自然に恵まれているので、人が自然と共に生きている、と言われる。

穏やかな優しい自然。緑豊かな自然。春夏秋冬と美しい自然。

他の国と比べると格段と自然に恵まれているといえる。

自然が人を豊かにしてくれる、と感じている。

そのせいで自然に対抗するというより、自然と共にという思考が育つ、とも言われる。

それに比べ欧米は人間と自然は対立するものと捉える。

自然を克服するものと捉える。

荒くれた自然の中でそうなったのも当然なんだろうな、と思う。

けど、日本も地震という自然の脅威は世界一だ。

それに対しても日本人は荒ぶれない感じがする。

津波状態になった海をそれが治まればやはり愛してしまう。

それは人間を自然の一部と実感していることから来るのかと思う。

どう考えても人間は大自然の一部だ。

他の動物、植物たち、と一緒に存在してることをわかっている。

人間対自然という見方はちょっと驕っているね。




旅にて・・

2013-02-08 10:39:55 | 日々の暮らし・思い出
昨夜、自宅に戻った。

今回、長女と初めての二人旅をした。

この娘は今まで身体が不調なことが多く、こういう機会がなくて、

娘からのたっての希望もあり、二人で箱根へ。

二人で話した時、娘が「お母さんが私の母親じゃなかったら絶対友だちにならないタイプ」と言い、

私も以前、娘だから付き合うけど、他人だったら絶対好き好んで付き合わないタイプと思ったことがあるので、びっくりした。

それは娘には言わなかったけど。

いろんなことが正反対で、でもそれが互いにとてもよく作用していると今は思う。


この娘を産んだ瞬間に「分身だ」という言葉が自分の内からやって来た。

凄く凄くびっくりした。

親と子が分身だなどという考えを持ったことなどそれ以前に一度もなく、

それは私の普段の思考と全く異なっていたので、

自分の考えではないものが自分から出て来たことに全く全く驚いた。

私というパーソナリティとは関係ない言葉だった。

こういう経験は人生初だった。

二度目の出産、次女を産み落とした時はこういうことはなかった。

こういう経験が誰にもあるのかないのか知らないのだけど、

娘もこれと同じような経験があるらしく、中学生の時に、

全く自分の思いではない声が自分の内からやってきて、それは「自分の声に従え」だったという。

すごくびっくりしたらしい。

中学生の娘は神の声と思ったと言っていた。

当時の娘の様子から思うと、その声の内容が娘には必要だったのかと思う。


「分身」という言葉が何を語っていたのか、当時には全くわからなかったけれど、

今はわかる気がしている。

分身の意味は一つの身が二つ以上に分かれることらしいけど、

私と長女は一つのものに表と裏がある、その、表裏一体という感じがする。

多くの正反対なことが私の心の成長には必要だった。

これからもまだ続くと思うけれど、この娘の存在が私を揺すぶり、

私を打ちのめし、私を幸福な境地に誘ってくれる。

そして、それは娘にとってもそうであるかのように思う。