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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

「自我一体の理」

2012-04-23 20:51:31 | 言葉
今日整体をやってもらいに行った。

その整体師さんは知り合いの知り合いで初めて会った人だったんだけど、

いろいろな話をしてくれた。

彼女が書いた「自我一体の理」という言葉を見せてもらった。

今まで「自他一体の理」というのは聞いたことがあったけど、

「自我一体」とはどういうことかと思ったら、こういう文章があった。

「とらわれている(私)を(私)が大きな愛でつつみこむ」

この( )は私が付けたんだけど、

在るものを在ると受け入れる、否定無し ということと同じだろうと思う。

前者のとらわれている私 が実行者の私で、

後者の私 が観察者の私 ということなんだろう。

観察者 は 大きな愛そのものだから。


また、考えてみれば、自他一体 と言っても、

この「他」は自分が捉える・認識する・観察するところの「他」でしかありえない。

「他」も「我」も 観察者から観察される実行者であることに変わりはないね~。


今日は彼女からいろんな話が聞けて楽しかった。

果報は寝て・・

2012-04-23 11:55:12 | 日々の暮らし・思い出
昨日、娘との話の中でこういうことがあった。

娘の夫がある時、「何か」をしていて、それを娘に隠すような素振りをしたらしい。

それまで、その「何か」を娘が否定の気持ちでやいのやいの言っていたから、

彼はその「何か」をしていた時に、

娘が見ていた事を知り、それをごまかしたみたいと娘は笑いながら言ってた。

娘はその「何か」に対して見方が変わったので、

その事を否定する気持ちがなくなっていたから、笑って私に話したのだ。

否定する気持ちは消えていたにもかかわらず、

彼にとっては娘から否定されていた行為は消えていない。

娘の今までの態度が現在のその姿の夫を創った・・・

目の前のひとは自分の過去の意識をも映す。

そんなことを二人で笑いながら話した。

「その人は死んでも行為は残る」という山岸さんの文章があったけど、

こういうことなんだろうと思うよ。


原因と結果の因果律で自然界は勿論、この人間世界の現象も起こっている。

「果物」と「結果」、こんなふうな「果」という字の使い方に本当に感心してしまう。

「果物」って大体は木の実だけど、種から育って実になる。「結実」する。

私たちの行為も「実」なんだなぁと思うよ。結実したもの。

そしてそれが「種」にもなる。

めぐり合わせがよい実もよくない実もあるんだろうけど、

めぐり合わせがなかったら、よくない実もならない。

今という時点でよくない「実」だと思っても、

めぐり合わせでそうなったということ。

めぐり合わせって相互作用のことだろうと思う。

今日したことがいつどんなふうな結果になるのかわからないけど、

どの時空も相互作用というプロセスの途中経過点なんだろう。

えーっと、「果報は寝て待て」・・というのは、

まだかまだかと待つとなかなか来ないという量子ゼノン効果を云っているのかと思った

・・ということも書きたかったことだったんだ。

待ってなくても結果は必ず出るもんだね~。