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ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

病気共感 ②

2012-04-14 20:53:25 | 実例体験観察
自分がそういう病気になったことが無いから、

心底からの共感が出来ないんじゃないか・・・と昨日書いた。

書いた後、(けど、本当にそうなんだろうか・・?)が後に残った。

胃ガンや脳梗塞や心筋梗塞になった経験がなければ、

その人の気持ちを心から聴けないなんて、考えてみれば、やはりおかしい。

私が娘の身体の不調の話を頭でしか聞けないのはもっと別のわけがあった。


胃がんになって幼い子供を置いて先に死んでしまうんじゃないかという不安、辛さは、

胃ガンになったことがなくても母親ならその気持ちに共感出来る。

そういう状況でそういう気持ちになるというプロセスはよくわかる。

昨晩、娘との話の中で今まで聞いたことがなかった10代の頃のエピソードを幾つも聴いた。

詳しくは書かないけれど、

こんなふうに思って、身体がこうなるのか、そのプロセスをわかった気がした。

生まれつきのものと、その時の周りの状況との相互作用で娘がそうなったのだと、

あー、そういうことだったのかと心の中で深く頷いた。

勿論それは私の“わかり”に過ぎないけれど。


数学の問題と同じだ。

解答だけ聞いても、その答えが導かれる道程がわからなければ、

(あー、そうなのか)という深い合点は生まれないのと同じで、

心からの共感、納得、合点は、

そう思うようになった、そのようになった、そのプロセスがわかって、なる思いだ。

(自分と相手は別の人格だから、わかるなんて言えないけど、

わかるのは、その人の気持ちじゃなくて、

その人はこうなってそういう気持ちになったんじゃないか・・

・・という自分の心 がわかるということだけど) 


こういう合点の後、娘のいろいろな話を聴いた。

不思議なくらい心にしみ込むようにすーっと入ってくる。

昨日あのブログを書いたのもよかったし、

昨夜があってよかったし、今日があってよかった、と思った。

キッチンペーパー

2012-04-14 10:04:18 | 実例体験観察
昨晩の夕飯は鶏の手羽中(骨付き肉)の塩焼きにした。

他のおかずやら何やらをテーブルに出し、椅子に座った。

少し疲れていた。

夫が「これだと何か手を拭くものが要らないかな」と言った。

それを聞いて、あ、そうだなと思って、台所にキッチンペーパーを取りに行った。

でも椅子から立ち上がる時に、

疲れていたせいか、少しだけ(やっと座ったのにな)という気持ちがあった。

キッチンペーパーを3枚持って来て食事を始めた。

それを使ったのは私だけだった。

微かだけど「せっかく持って来たのに」という思いが出た。

その時、そう思った自分に(やっぱりな)と思った。

もし他の二人もキッチンペーパーを使っていたら、

疲れていてもそれを取りに行った甲斐があったことになり、

特に何とも思わなかったろう。

夫がキッチンペーパーを使わなかったことで、

ペーパーを取りに行くという選択肢を自分で選んだにもかかわらず、

それを夫のせいにしてしまっている。

自分のその時の気持ちを瞬時にしまい込み、無理をして事柄を進めると、

その行為が役立たなかった結果になった時に、

しまい込まれた気持ちが頭をもたげる。

どんな時も自分の気持ちを抑え込まずに、在りのままで居ることが、

結局は相手を恨むこともなくなる。


その時その時の自分の(幸福)を何より一番優先することが結果として、

周りも(幸福)になる、ということと思う。

何を思おうと、自分が在りのままでいること。それが一番。

何を思おうと、自分を否定しないこと。

それは相手を否定しないことになる。