今日整体をやってもらいに行った。
その整体師さんは知り合いの知り合いで初めて会った人だったんだけど、
いろいろな話をしてくれた。
彼女が書いた「自我一体の理」という言葉を見せてもらった。
今まで「自他一体の理」というのは聞いたことがあったけど、
「自我一体」とはどういうことかと思ったら、こういう文章があった。
「とらわれている(私)を(私)が大きな愛でつつみこむ」
この( )は私が付けたんだけど、
在るものを在ると受け入れる、否定無し ということと同じだろうと思う。
前者のとらわれている私 が実行者の私で、
後者の私 が観察者の私 ということなんだろう。
観察者 は 大きな愛そのものだから。
また、考えてみれば、自他一体 と言っても、
この「他」は自分が捉える・認識する・観察するところの「他」でしかありえない。
「他」も「我」も 観察者から観察される実行者であることに変わりはないね~。
今日は彼女からいろんな話が聞けて楽しかった。
その整体師さんは知り合いの知り合いで初めて会った人だったんだけど、
いろいろな話をしてくれた。
彼女が書いた「自我一体の理」という言葉を見せてもらった。
今まで「自他一体の理」というのは聞いたことがあったけど、
「自我一体」とはどういうことかと思ったら、こういう文章があった。
「とらわれている(私)を(私)が大きな愛でつつみこむ」
この( )は私が付けたんだけど、
在るものを在ると受け入れる、否定無し ということと同じだろうと思う。
前者のとらわれている私 が実行者の私で、
後者の私 が観察者の私 ということなんだろう。
観察者 は 大きな愛そのものだから。
また、考えてみれば、自他一体 と言っても、
この「他」は自分が捉える・認識する・観察するところの「他」でしかありえない。
「他」も「我」も 観察者から観察される実行者であることに変わりはないね~。
今日は彼女からいろんな話が聞けて楽しかった。