生物学者の福岡伸一さんの「動的平衡2」を読んでる。
「1」が図書館になかったので、「2」を先に読んでいる。まぁ、いいかと思って。
予想してたように?面白い。
最初の方に「世界のあり方としての動的平衡」という言葉があった。
まさしく世界は動的平衡という在りようをしている。
動的平衡を別の表現で言うと、不安定の安定 という表現もあると思う。
自然は勿論、人間界も。人の意識は動的平衡という在りようをしている。
意識界は自然な動的平衡だけでなく、
下記に抜粋を書くけれども、その操作的介入による動的平衡も多分にある。
以下、抜粋。
「遺伝子組み換え技術について、
それを安易に作物や動物に応用することを美しいとは思えない。
動的平衡としての生命は文字通りダイナミックに平衡を求め続けて変化している。
操作的介入によって、干渉を受ければ、その干渉に抵抗しようとする。
押されれば押し返して来る。沈めようとすれば浮かび上がろうとする。
それが動的平衡であり、そこには時間の関数としての動きがある。
操作的介入はいっとき生命を
人間の都合に合わせて改変できたように見えるかもしれない。
しかし時間が経過すると、その改変の効果は消え去り、
あるいは大きなリベンジ(報復)として出現する可能性がある。」
・・抜粋、以上。
操作的介入によって干渉を受ければ、その干渉に抵抗しようとする・・・
押されれば押し返して来る・・・
まるで人の意識のことを云っているようだね~
量子力学でいうところの、観測することで観測されたものに影響を与えてしまう、
というのとも全く同じことだ。量子ゼノン効果と同じ。
自然の斉一性で同じ作用をするんだと思う。
生命・自然・意識 みな一緒だ。
私たちの意識という存在も人工的に創ったものではない自然そのものだから。
けど、意識という作用が少しだけ違うところがある。
少しだけ、と書いたけど大きな違いだ。
防潮堤の話(1/14ブログ「ツナミちゃん」)でも書いたけど、
ひとの意識という存在は、他者が介入しようとしても、
それを抵抗するという方法ではなく、
介入を受けないことも出来るようになっている。
発する側が命令的意識で発しても、それを命令と受けとらないことが出来る。
人は唯一、認識する自然だから。
「1」が図書館になかったので、「2」を先に読んでいる。まぁ、いいかと思って。
予想してたように?面白い。
最初の方に「世界のあり方としての動的平衡」という言葉があった。
まさしく世界は動的平衡という在りようをしている。
動的平衡を別の表現で言うと、不安定の安定 という表現もあると思う。
自然は勿論、人間界も。人の意識は動的平衡という在りようをしている。
意識界は自然な動的平衡だけでなく、
下記に抜粋を書くけれども、その操作的介入による動的平衡も多分にある。
以下、抜粋。
「遺伝子組み換え技術について、
それを安易に作物や動物に応用することを美しいとは思えない。
動的平衡としての生命は文字通りダイナミックに平衡を求め続けて変化している。
操作的介入によって、干渉を受ければ、その干渉に抵抗しようとする。
押されれば押し返して来る。沈めようとすれば浮かび上がろうとする。
それが動的平衡であり、そこには時間の関数としての動きがある。
操作的介入はいっとき生命を
人間の都合に合わせて改変できたように見えるかもしれない。
しかし時間が経過すると、その改変の効果は消え去り、
あるいは大きなリベンジ(報復)として出現する可能性がある。」
・・抜粋、以上。
操作的介入によって干渉を受ければ、その干渉に抵抗しようとする・・・
押されれば押し返して来る・・・
まるで人の意識のことを云っているようだね~
量子力学でいうところの、観測することで観測されたものに影響を与えてしまう、
というのとも全く同じことだ。量子ゼノン効果と同じ。
自然の斉一性で同じ作用をするんだと思う。
生命・自然・意識 みな一緒だ。
私たちの意識という存在も人工的に創ったものではない自然そのものだから。
けど、意識という作用が少しだけ違うところがある。
少しだけ、と書いたけど大きな違いだ。
防潮堤の話(1/14ブログ「ツナミちゃん」)でも書いたけど、
ひとの意識という存在は、他者が介入しようとしても、
それを抵抗するという方法ではなく、
介入を受けないことも出来るようになっている。
発する側が命令的意識で発しても、それを命令と受けとらないことが出来る。
人は唯一、認識する自然だから。