「釣初心者日記」

宮崎の釣り情報・釣れた魚の事・魚料理・その他ゴルフ話など書いてます。

カウントダウン

2010年09月29日 | 禁煙
禁煙のことだ。後2日・・・

当然、値上げするするからである。セコイと言われたってするのだ。

私が先月まで吸っていたセブンスターミディアムだと、300円→440円ということで、ほぼ1日1箱なので、1日のコストアップが140円→年間365日として51,100円(*_*)
吸えば年間160,600円。10年間だと160万!(驚)

もう、一か月以上前から禁煙に関するいろんな事を考えていたが、とにかく10月から。
その前準備としてニコチン含有量の少ない物に落として現在は0.3mgというタイプ。

この日記の中でも1度禁煙宣言して3~4日吸わなかった事がある(2004年)が、結局断念。その時の言い訳としては、胃痛が起こり、肩凝りがして、とにかくイライラした。



この禁煙宣言について逆発想すると・・
なぜにタバコを吸わないといけないのか?自問自答。

禁煙に関するサイトに記載の事だが、以下の様な効果が表れるという。
♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
8時間・・・呼吸器系の改善
1日(24時間経過)・・・肺が浄化作用を始める
2日(48時間経過)・・・歩行が楽になり、ご飯やお酒が美味しく感じられる。
3日(72時間経過)・・・呼吸が楽になり、肺活量も増加
一週間・・・・・・・・・・睡眠のリズムが正常に戻る
二週間・・・・・・・・・・肌荒れが治ってくる。肺活量の30%ほどが回復。
一か月・・・・・・・・・・離脱症状が軽くなっていることが実感。(この時期、注意!)
1~9ヵ月・・・・・・・・咳やたん、鼻づまり、息切れや疲れやすさも無くなる。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・♪

逆手に考えると、今現在の状態は

肺活量が30%程度はダウンしていて、きちんとした睡眠が取れておらず、ご飯やお酒もほんとの味ではないという事なんだな。

上記の効果を紹介しているサイトでの結論として、一度喫煙した人は、ニコチンを味わった事が生涯残るので簡単に喫煙できてしまう。つまり一生が禁煙状態ということ。こりゃ大変かも。早くもくじけそうな気持ちだ。

こんな日記を書きながらも、早くもタバコ吸いたい状態だ。まあ今日・明日までは普段通り。

10月以降、どうしても吸いたい時は病院のお世話になろうとも思っている。

周囲には大いに禁煙宣言して監視してもらおうと企んでいるのだが、実は嫁だけには話していない。過去に何度も語って、信頼を無くしているから。
今回はきっちりと成功して、見返してやりたいと思っている。

秋の釣り

2010年09月28日 | 釣行記

秋といえば私的にはちょい釣りだ。ちょいと投げて、引きずって、何がしかの子魚が釣れて面白い。ちょいと釣るだけにちょいと行ける場所でちょいとばかり(短時間)釣るのだ。
釣れれば時間延長するし、釣れなければすぐに引き上げるのである。

釣れる魚もだいたいは想像がつく。
でも珍しい魚が釣れないかという期待もある。

土曜日の昼間、同僚のUE君・NA君と3名で宮崎市内、正確には青島地区手前の加江田川の河口に行った。夜は予定があったし、だらだらと準備して、ちょいと釣りしたいし、台風の影響で外海は波がきついのは判っていたため、とりあえず竿が出せるもっとも簡単な場所。

ちなみに外海はこんな感じ↓

まず釣れたのはヘダイ

大きさが判りにくいけど、15Cm程度の若魚だ。これはまあ定番だ。
続けて釣れたのはコトヒキ。これも定番だが、ちょっと撮影失敗のボケボケ写真

UE君がシロギスを釣って喜び

やっと私が思っていた本命魚のマハゼ・・・

マハゼとしては結構大きめの16Cmで、数は釣れないけどこのサイズが数匹。これは持ち帰りである。

これも今の時期なら釣れて当たり前のクロダイ。このサイズならうじゃうじゃ居るはずなんだけど、結構厳しい釣りだ。

最後に姿の美しいスズキだ。20Cm弱で手応え感はいまいちだけど、若魚でもキングオブ魚なのである。スズキ目スズキ科スズキ・・・
もっとも大量の種を抱えるスズキ目の代表種なのだ。
ただ・・・写真の魚がスズキなのかヒラスズキなのかは私の知識では判らない。このサイズだとかなり難しいらしい。写真で判断ができる方・・・誰か助けて!

そんなわけで5種目標に対し6種。まあまあの出来だ。しかし定番魚ばかりだな。願わくばヒラメ・マゴチとか、フエダイ幼魚系統、さらにはヒラアジ類幼魚というのが釣れると更に楽しかったと思うのだが。

PM2時ぐらいには魚信も止まり、ちょっと飽きてきたので引き上げ。開拓して美味しいラーメン屋を見つけ、満足・満足。

焼酎は「明月」

2010年09月27日 | 雑記

先々週からかなり飲んでいる。しかも深い。体への負担が随分あるようにも思うのだが、その分はしっかりと寝ているので大丈夫かなとは思っている。決して無理はしてない。

私は酒が強いように思われるというか言われる事が多いけど、基本的にはビールを1杯or2杯の後は20度の焼酎を半分の水割りで3~4杯が限度で、それ以上はペースがずっと落ちるし、酔う以前にお腹が痛くなって眠気も出て、自制するするようになっている(ように思う)
社員旅行の際は朝から飲んでいたけど、実際にはバス内でも、飲んで、寝て、を繰り返していたため意識が無いという事はなかった。意識が飛んでいた社員も2~3名いたけど。

土曜日の夜。最近予定していた最後の飲み会があり、今後は10月中旬まで計画というかお誘いは無い予定だが、とにかく山を越したという感じだ。健康診断もあるので今回とっても怖いんだけど、とにかくしばらくは休養と言う事にしたい。

土曜日の飲み会は実家えびの市での中学の同窓生の集い。
最近、月に1度のペースで集いがあるようで、何度も誘われていたけど今回初めて行った。
そしていろんな驚きがあったけど、宮崎市で飲むより随分とリーズナブルである。

写真の焼酎「明月」を製造している明石酒造に努めている同級生がいて、話の中心が焼酎話題になったが、えびの市では基本の焼酎度数が25°である。宮崎だと20°が普通だが、他の県(周囲の鹿児島・熊本・大分)は25°が普通なので、宮崎だけになぜに20°文化が広がったかというと、どうも戦後、ヤミ焼酎を規制するも宮崎は言う事を聞かなかった(ヤミ焼酎が絶えなかった)という事らしく、特例として税率が安い20°物を認めて、これが広がったらしい。
現在の発泡酒の広まりと似たようなもんかな?完全に規制するとヤミ焼酎が絶えないので、度数を制限して税率を安くした結果ということのようだ。

そんな宮崎の焼酎事情はさておいて、えびの市は25°である。
そして、えびの市民は「明月」なのだ。
私が子供の頃から親父は「明月」で晩酌していて、酒屋にも明月しか無かった。だからホントに実家を離れるまで焼酎と言えば焼酎に種類があるという事を知らず、初めて飲んだのもこれだし、しばらくはこれしか飲んでない。宮崎市内で「霧島」を飲んだ時は、結構物足りない感じだったけど、霧島が中心になると、今度は「明月」が臭く感じて飲まなくなった。

宮崎市内では「霧島」か「日向小挽」が必ず置いてあって、これ以外を飲むのが難しいのだが、全国に広がったのもこの2種で、「霧島」は昔から小さい居酒屋などの看板をかなりサポートしていて、「日向小挽」だとそば焼酎「雲海」の宣伝の結果かもしれない。雲海酒造が作っている芋焼酎が「日向小挽」である。

土曜日の飲み会の2次会では焼酎バーに行った。
数えるほどしかない飲み屋の中に焼酎バーがある事もびっくりだったが、結構な数がある。明石酒造に勤めるMO君は常連なのか、適当に自分で開けて飲んでいるのだが、会計もドンブリな感じだ。この雰囲気がとっても良いのだが、それにしても経営大丈夫かと突っ込みたくはなる。
そんな訳でチビチビと飲み比べをしたが、なぜか名のあるプレミアム焼酎というのをさておいて、明月が一番美味しく感じたのだ。

最近味が変わってない?っていう質問に、MO君は素直に認めていたけど、いわば美味しく飲みやすいけど昔ながらの「明月」を残しているという事かな?
ちなみに最近「黒明月」というのもあって、これがかなり美味しいと聞いたこともある。これはまだ飲んだ事がない。
さらに「赤明月」っていうのも発売されてないけど近々予定があるらしい。ムラサキ芋を使うから「赤」なんだそうだが、やはり焼酎の芋は黄金千貫(こがねせんがん)がベストとの事。
そして明石酒造で作っている焼酎の種類は200種近くに及ぶらしい。残念ながらアンテナショップは無いようだ。

そんなこんなで「明月」大使になる事を心の中で誓った。えびの市の焼酎を普及させたい。

お袋にそんな話をしたら、お袋の妹は茨城県に住んでいるのだが、2月に1度、なんと24本ずつ一升瓶を頼まれて送っているんだそうで、つまり叔母になる訳だけど、その家庭では家族で晩酌しているけど、皆、明月しか飲まないんだそうだ。明月は、えびの市出身者に対して心の焼酎なのである。

中部・アルペン旅行

2010年09月22日 | 旅行

3連休を利用した社員旅行。今どき社員旅行というのは贅沢な話だと思うけど一言。積立である。

で、今回はいろんな候補地があったけど、皆がまだ行った事がないという理由で飛騨高山とアルペンルートという話になった。

結論から言うと、飲んで・飲んで・また飲んで、時々食べて、ちょっと観光。
とにかく中部国際空港に到着するやいなや、移動バスの中では宴会が始まって、とにかく最後まで飲んでいた。思えば先週は月曜日から飲んでいるので肝臓大丈夫か?

って事で、まずは写真の公開(トップは飛騨高山の古い町並みの景色)

中部アルペン旅行の写真

まずは空港から名古屋。昼食が有名店らしき「うな善」という店でひつまぶしを食べる。※この時すでに酔っ払い。
その後、予定ではPM2時ぐらいに飛騨高山の到着スケジュールだったのに、実際にはPM4時ぐらいの到着。なんなんだこの時間差は?って不満を漏らしながらもバス中で美味しいお酒を飲んで。
到着した「古い町並み」で1時間程度散策自由行動。
それから富山に移り、人気店と言われる「せん」富山駅前店という店で、富山名物を満喫。ホテルは「富山マンテンホテル
まあここは最上階に浴場があるのがいいけど、ビジネスホテルっぽい。でも朝食は豪華だった(ような)

翌日がメインと言えるけど、立山駅→ケーブルカーにて美女平→高速バスにて室堂(昼食)→トンネルバスにて大観峰→ロープウェイにて黒部平→ケーブルカーにて黒部湖・黒部ダム→トローリーにて扇沢駅→そして初日から乗っている貸切バスで諏訪湖温泉「浜の湯」という、強烈な多彩な乗り物の日。景色は最高!

ケーブルカー乗り場ではこの景色の写真集を販売しているのだが、ここの売り子というか駅員というのが、わずかな時間だけど印象に残る絶妙な会話で楽しい。
初日とうって変わって、ホテルは高級旅館という様相で、料理も美味しくカラオケも盛り上がった。

最終日は諏訪湖のダックツアーなる、水陸両用のバスで諏訪湖周辺の観光をして(これは日本初だったんだそうだ)最後に岐阜県の土岐プレミアムアウトレットに移動。
買い物予定はなかったけど、ナイキショップにて思わずゴルフシューズを買ってしまった・・

土産を買ってなかったけど、空港で「うなぎパイ」を見つけて思わず大人買い(大量に)これは自分がとっても好きだから。静岡に行った訳じゃないのに何買ってんだろう。と自分に突っ込みを入れつつ、旅行終了。

宮崎に戻ったのは夜も8時前だったので、皆でラーメン食べて終わり。

ご馳走持ち寄りパーティー

2010年09月18日 | 魚料理

月曜日、予定より早く来られた喜界島のがほー部長さんと、今回の参加メンバーにて急遽湾内の船釣り。私は夕方まで仕事で参加できなかったが、写真に映っているのは手前(右側)からがほー部長さん・JUNさん・流星号さん・奥に手だけ映っているandoさんと映ってないあるぽさん・勝三郎さんだ。この時はヒイラギ中心にシロギス・ネズミゴチ・アジ子が釣れたようだ。

そして「コテージひむか」に集結。

上記の6名に、私と同僚のUE君、T先生、ゲスト美女2名、大学院生のIzumo君・YAさんの、計13名のパーティー。
そして即座に食材加工。まず1品目が↓

本職である「あるぽ」さん特製のハーブ鳥皮揚げ。私が持ち込んだ娘が釣ったカンパチが2品め↓横にはがほーさんの持って来られたオアカムロの刺身もある。

喜界島から包丁まで持ち込まれたがほー部長さんが、次々と食材を加工されて↓

熊本より到着した馬刺しに、写真には映ってないけど鹿刺しもある。

めったに味わえない(私は初)のアサヒガニもがほー部長さんのお土産↑で、これまた写真を写せてないけどソデイカの刺身もあり(大きさが1.5mほどにもなる大きなイカ)

さらにさらに、夜光貝の味噌和え。これまた写真はないけど、味噌なしの刺身もあった。

もう満杯という頃に、台所でコツコツと煮込まれていたJUNさん特製のグリーンカレーがデザート。いやいやきちんとしたデザートもあった。これまたがほーさんのお土産のグアバだ。

当然アルコールも充実していた。T先生が一升瓶で6本分の珍しいお酒と焼酎。
魚は他にもアオブダイやアカハタなどがあったけど、刺身で食べたものもあれば、食べきれずに土産となって持ち帰られたものなどあり、いやぁ凄かった。宮崎牛も食べきれず、翌朝焼いて食べた。朝食が宮崎牛だなんて・・・

とにかく飲んで喰って語って笑って歌って、最後は飲み過ぎてフラフラ。

更に翌日も、沖釣りで釣ったマアジ・カワハギ・ウスバハギを魚料理屋に持ち込んで↓


もう、贅沢の極み。楽しかった!

※一部流星号さんの写真をお借りしております。

娘とジギング

2010年09月13日 | 釣行記

金曜日にJUNさんから電話があり、雑誌モデルとして娘さんが釣りをしないか?と言われるので、どんな内容かも判らぬまま、とりあえず子供達に確認してみた。
上の娘には簡単に断られ、下の娘が対応してくれることになったが、昨日日曜日のその現場のお話。

まだ恐らく企画段階なので雑誌の詳細は書かないけど、JUNさんはご自分の小学校の娘さんも連れてこられ、私も次女と手ぶらで現場に向かった。
19歳になる次女は、結構出不精で普段は自宅で本を読んだりゲームしたり絵を描いたりの趣味。
アウトドア無縁なので、家内がかなり神経質に、外日を浴びた際の準備や対策のレクチャをしてたけど、まあいい経験だろう。
それにしても出港がAM6時ということで、お世話になった「英美丸」さんは、宮崎県北の延岡市の中心部から更に北の浦城港(島之浦島向けフェリーの発着場がある場所)が拠点で、私の自宅からだと車で夜中でも約2時間。余裕を見てAM3時半に出れば良いと思っていたが、まだ目覚めてないAM2時半にはJUNさんから携帯に電話。もう出発したという。慌てて娘を起したが、普段この時間に慣れてない娘は、ちょっと緊張していたのかほとんど寝てなかったようだ。すんなり出発する事はできた。
しかし初の船・初の釣りで寝不足の体調は心配だ。

聞いていた話は待ち合わせ時刻と場所と船とジギングの様子を写すという事ぐらいで、何時に終わるとか実際の取材の中身もいまだに全く知らないのだが、とにかくモデルなので笑顔で対応すれば良い・・・と思うと娘には言いながらも不安もある。なぜか小さい頃から写真映りは長女が良くて次女は微妙だ。素材(綺麗なまつ毛や富士額とか)はいいと思うんだけど。
だから頼まれたJUNさんやカメラマンの方の反応もどうかと思ったけど、まあプロにお任せである。完成は年明けになるらしいけど不安半分楽しみ半分。

英美丸さんから2本のジギング用の竿を借りて、出発前には取扱指導などもして頂き、最初から想像以上に写真も写されて、娘ばかりか私も緊張だ。なんというかタレントママではないが、もっと笑顔を出せとか、表情を見ていて心の中で演出指導をしていたりする。

島之浦周辺の瀬回りからスタートして、結構浅い場所で小型のカンパチも周囲では釣れ出したが、さすがに初心者の娘には操作が難しいようで、これは簡単には釣れない雰囲気。
そこで私も竿を借り、なんとか1匹掛けて竿を渡し、その姿を収めてもらおうと頑張ったのだが釣れない。
周囲も最初の勢いがすぐに止まって、我々以外の6名ほどのジギングベテラン客をしても小さいカンパチが3匹のみ。
それからは数か所の場所を移ってもなかなか反応が無い。前日はまあまあ釣れたようだが、船長も潮が悪いと言われる。

海は写真のような状態で風もなくて穏やか。湾内だと湖のようだが外海はわずかなウネリがあるものの、娘は運動音痴のせいだろうが船酔いはしない。ちなみにJUNさんの娘さんはすぐに気分が悪くなってしばし休憩。三半規管の反応が良い証拠だ。
そんな訳で日頃は使わない竿振りの運動に、娘もすぐにばてていたようだけど、最初の内は撮影があるので緊張気味の手付き。そこそこに写されて、あとは魚を釣る姿だけと言われるので、私も懸命に竿を振るのだが、だんだん諦めムードが漂ってきたタイミングで、娘の竿が海に突き刺さった!初体験の魚の感触に娘も動揺しているし、周囲も騒然。多分私も大声を出していたと思う。
何とかリールを巻き上げ切って、船長がタモ網で掬ってくれて、なんと釣行メンバーの中では一番の大物、47Cmのカンパチだ。

娘はというと喜んでいるというか顔が完全にひき吊っているし。まあ撮りたい絵は何とかなったろう。釣れた後も魚を持ち上げてみたりで何枚もの撮影をして頂いて、とりあえずノルマはこなしたという状態。
その後は完全に緊張の糸が解けたのか、どっと眠気が襲ってきた(船酔いとも言えるけど)らしく、最後まで船内で就寝だった。つまり釣行の3分の2は睡眠。

私はその後、これじゃ親のメンツが立たんと竿を振るも、1度掛かって船縁までは引き寄せたものの、船長の抜きあげろという言葉にちょっと焦ったか、タイミングが悪くてバラシてしまった。まあ娘の魚よりちょっと小さい感じだった。
そして周囲ではエソの姿は時折見るも、なかなか本命が釣れず、1度は対面で釣られていた方の大物取り物劇があって沸いたけど、結局途中で外れた。

昼を過ぎたらまだまだ夏の炎天下。私も熱射病寸前という状態で、早く陸に上げて欲しいという気分。最後の2~3時間が辛かった。周囲の常連ベテラン勢はそんな中でも黙々と竿を振られて、とにかくどれほど竿出しできるかがこの釣りの好釣果への道なんだと思う。

PM3時ぐらい、やっと船長の最後の合図。
結果的には娘が釣ったカンパチがこの日の大物賞で、とりあえず役目は果たしたという事だけど、初体験の釣りはとにかく疲れ切ったという感じ。帰宅の車中でも熟睡していた。

※最後に釣り場近くの「寿美江海水浴場」を眺めて帰った。宮崎ではもっとも美しい海水浴場だと思う。

ホホジロザメ

2010年09月10日 | 雑記
昨日海洋関連の方と仕事上の話をしている中、雑談で知ったホホジロザメが宮崎で目撃されているという話題。
WEB上の情報を見ると日南市の沖合で8月30日・9月4日に複数の漁船が目撃していて、体調が7~8mありそうなものを含む数匹の群れだそうだ。

そして「ホオジロザメ」でGoogle検索してみたら、上位にウィキペディアで「ホホジロザメ」と出てきた。ホオ→ホホ。
ウィキペディアでは別名ホオジロザメとの記載があるので両方とも間違いではないようだが、いずれにしてもその名から察するにほっぺたが白いんだろうなと思い画像を見たら、まあちょっと腹から口元より上まで白いけど、それほどかと思う。

映画「ジョーズ」のモデルであり、サメの中でも最も危険という事だが、来週は船釣り予定もあるので微妙な不安。まあ船を襲うことはなかろう。
しかし、このサメが恐れられているのは奇襲攻撃を得意としていて、被害にあうケースとしてはサーフボードなどを下から狙うようだが、これは腹這いになってボードの上で足をばたつかせる様子をアザラシなどと見間違うということらしい。
そして、その食性としては、攻撃を加えて血を流させ、大人しくなった状態を見て食らいつくということだ。魚類の中では知能が高い方で、失敗を繰り返さないという。

目撃情報と微妙に食い違うこととして、まずホホジロザメは基本単独行動であるということ。そして専門家の見解では大きくても6m。
つまり「7~8mありそう」は、水上から見た想像のサイズなので、実際は判らないけど、また魚の専門の漁師が見ている事だから疑うのは失礼だけど、ホホジロザメではないのかも知れない。

そこで群れる大きなサメというと、イタチザメというのがちょっと大きめで群れるケースがあるみたいだ。これも危険なサメの1つという事だから油断はできないのだが、雰囲気的にはこっちではあるまいか?

ちなみにホホジロザメに戻ると、普段というか空腹でない限りは襲って来る事はないらしい。そして危険種として駆除が進んだ結果、その数は激減しているらしい。

サメというだけで怖いけど、大きくても温厚な性格のジンベイザメなど、世界に400種と言われるサメの仲間。今までさほど興味が無く、種類の見分けも意識してなかったけど、ちょっと面白そうだ。

師匠の快挙

2010年09月09日 | 釣り話題

魚も、大物が釣れると素直に嬉しいもんである。


写真の魚は釣り師匠ANさんから携帯メールで届いたものだが、メジナ49Cm。自宅で測った重量も2キロオーバーだったようで自己記録更新なんだそうだ。
ちなみに私は48Cmで1.9キロが最高記録なので・・・抜かれたっ

いつもの大島防波堤だ。

大物が潜んでいる事は潜り漁師から聞いているし、実際釣り場では何度も目撃しているのだが、見える魚ほど釣れないものであるし、実際このぐらいの大きさだとハリ掛かりしても簡単には上げられない。足元の際テトラに潜られて終わり。

今回も潜られたそうだが運よく上がってきたそうで、更に良かったのはシマアジ狙いだったけど小さいと思って口切れしないようにゆっくり巻き上げた結果、途中の反抗が少なかったらしい。

それにしてもこの写真は、土曜日に送ってこられてたのに、私は一昨日まで気が付いておらず、ついには電話があり「メールみちょらんとや!」「はい?」って感じで、リアルタイム反応してあげられなかった。申し訳なし。

ちなみに日本記録は67.5Cm(2002年高知)という情報がネットに出回っているけど、現在この大物記録を管理している団体・グループは無いのではないかと思う。
それにしても、まだこれから20Cm近く成長してしまう魚だと思うと、見たいというか凄い。

結婚式のことなど

2010年09月07日 | 雑記

ちょっと画像をいじっているけど、それでも知った人には判っちゃう絵だけど、結婚式(正確には披露宴)の図だ。先週土曜日の披露宴風景。

奥さんも元同僚なのだが美人だ。この披露宴ではお色直しを3回して、いずれもハッとするような美しさだった。同僚も男前だし、美男・美女の組み合わせである。幸せを絵に描くなら、この瞬間というのは最高かも。

20数年前の私の結婚式と比べてどうかというと、基本的な流れは変わってないなと思うのだが、大きな違いとしては・・・
○料理がいい。昔は持ち帰る事を前提としたマダイの塩焼きとか伊勢エビが中心に並んで華やかだったけど、食品衛生上の問題なのか、今は持って帰らせないので、その分、その場で食べられるようなフレンチ感覚の料理が中心で、質素な感じだけど質が向上している。その場で美味しく食べられる。
○派手ではない。私の場合はさほどではなかったが、友達の結婚式などゴンドラで登場したり、大きな窓から外の景色が見えて、そこにハトを飛ばしたり風船を飛ばしたり、とにかく演出が凄かった。
○仲人がいない。
○デジタル演出の進化。途中でプレゼンテーション的に子供の頃からの当人やご両親の写真、または職場の写真を使って会場を沸かす。さらには今回初だったけど、披露宴のシーンを最後にまとめて映画のエンディングのような形で流していた。短時間でその編集をしてしまうのが凄い。

そんな訳で私の結婚式を振り返ってみると、もうシドロモドロというかまな板の鯉という状態で緊張ばかり。
20数年前の10月10日(当時は体育の日)

激しい雨が降っていて、式場近くの親戚の家でスーツに着替え、なぜか会場まで1人で歩いていったような思い出。
いろんなハプニングがあったけど、特にキャンドルサービスの際に家内のドレスの中のガードルが落ちちゃったようで、小声で「歩けない」というので、周囲に笑顔を振りまきながら「抱えようか?」と何度も語りながらちょっとずつ、足をずらすように進んだ。かなり焦った。
最後の大きなキャンドル(自分達の席の前の)に火をつけたら、火玉がボトッと落ちて会場の失笑を誘った。もう最悪って気分だった。
最後の自分の挨拶も感極まって言葉が出ず、「がんばれっ」って掛け声が上がっていたけど、今考えてもおこちゃまである。その分、学校の先生である親父がしっかりまとめてくれた。

その後、ありがたい事だが2次会3次会4次回と続き、翌日帰ったのは明け方。
新婚旅行も翌日の昼過ぎの出発だったけど、悪天候にて飛行機が飛ばず、仕方なくというか旅行会社の配慮で、急遽電車での出発。
目的地の京都に夜中に到着したが、疲労で熱を出して、フラフラな旅行だった。

今思うとハプニングが多かった分思い出も深いんだけど、それ以来2度とこんな事するもんじゃないと思っていたりする。まあ無いのが普通。