「釣初心者日記」

宮崎の釣り情報・釣れた魚の事・魚料理・その他ゴルフ話など書いてます。

映画「舞妓Haaaan!!!」

2007年07月25日 | 映画
ドイツの話題で日記を費やしたので書き込めてなかったが、先々週(台風上陸の前週)に、家族で映画を見に行った。

タイトルの映画「舞妓Haaaan!!!」だ。

家内がなぜか、平日に義理の妹と見ていて、とても面白かったといい、子供や私に見に行けというもんで、家族で出かけて子供2人と一緒に見たんだけど、日曜日でイオンの映画館はチケット購入に30分以上もの時間がかかった。(大変だ・・・)

この映画は上演も終盤ということでさほど人は入ってなかったけど、邦画の王道という感じだった。

テンションは「蒲田行進曲」を見たときの感じで、基本的に「お笑い」なんだけど、主人公の「阿部サダヲ」の、とても陽気な演技が楽しい。
何箇所か、ツボに入る笑いがあり、館内も笑い(失笑)が聞こえたりで最後まで面白かったけど、心に残る・・・というほどではなかったかも。

私的には子供達と、同じ映画を見て、話を共有できることが喜びであるわけだ。

「舞妓Haaaan!!!」・・・オフィシャルサイトです。

ドイツ旅行(4日めにノイシュヴァンスタイン城)

2007年07月23日 | 旅行

だんだん記憶も薄れてきたのでドイツ旅行話題については今回を最後にしたいと思っているが、これだけは書いておかねばというのが、題目の「ノイシュヴァンスタイン城」の事だ。
ちょっと前にも触れたけど、このお城はルートヴィヒ2世が作った4つのお城のうちの、もっとも有名な城で、その美しさから「白鳥城」とも言われているが写真の通りの景観である。私が写真を写している場所は、峡谷にかかる橋の上からで、観光客がいっぱい乗っていてゆらゆらでとても怖い。中央まで行けないという人が10人に1人ぐらい・・・という怖さだ。私はなんとか行けた。

4日目の行動は自由だったけど、旅行会社のオプショナルツアーで、グループも大きく2つに別れ、1つは国境を越えてオーストリア観光の組と、私達の城見学の組。
城のことなど、基本的にまったく興味もなかったが、そのままミュンヘンで置いてけぼりというのも寂しいので申し込んだ。
城まではミュンヘンの街を抜けてしばらくアウトバーンを走る。ドイツの観光ルートである「ロマンチック街道」の南方の終点地でありオーストリア国境の近くだ。
城の後方にはアルプス山脈が控えている自然美豊かな地域にある。
(ミュンヘンから約2時間で到着)

バイエルン王国の4代目の国王、ルートヴィヒ2世はその奇行でも有名で、4つの城を築いた事でも有名だ。
若く(10歳代後半)で王位を継いだ結果、精神的にも苦しんだ王のようで、有名なのは、子供の頃に憧れていた「ワーグナー」を宮廷に招きいれ擁護したようだ。
このワーグナーという音楽家は、なかなかに自由奔放な人で、金使いが荒いし女性にもだらしなく、ワーグナーを擁護する事に対しての国民の非難も相当浴びたらしい。
ルートヴィヒ2世は相当な美青年だったが、女性には興味なしの同姓愛者で、1度は婚約もしながら生涯妻帯はしなかった。
生存していたのは1845年~1886年で、日本で言えば江戸時代末期。わずか41歳の生涯なんだけど、1人で食事をとり、昼夜逆転の生活を送っていたという。
4つの城を建築したことなどによる政情不安・恐慌等で政治的に精神病者として禁治産者扱いされ軟禁された翌日に謎の死をとげる。

ノイシュヴァンスタイン城は建設当時はノイホーエンシュヴァンガウ城と呼ばれていた。ノイとは「新しい」という意味があり、ノイシュヴァンスタイン城のすぐ眼下にホーエンシュヴァンガウ城というルートヴィヒ2世が幼少時代を過ごした小さな城がある。1869年に建築が開始され、1886年には何とか住める程度となり、ルートヴィヒ2世はここに軟禁されるまで102日間過ごしたんだそうだ。
その後、この城は建築が中断されて、現在でも未完成の部分を垣間見る事ができる。観光ルート部分には土産品売り場などの改造がされているが、外観とは打って変わり、内部はとても複雑で正直過し難い住居という感じだ。

もともと、まったく建築物としては評価が低く、日本の城のような砦という意味合いもなく、美観だけを追求した城だけに、観光地としては最高なんだけどとてつもなく贅沢な住まいなのである。

ここの観光は予約が必要で、確か7ユーロの入場料で入れるのだが、小高い丘の上にあって下から歩いていくには少し遠くて面倒。
最初に送迎バスか馬車で、まずは城を望める峡谷まで上がり、歩いて下りながら時々木々の隙間から見える城を楽しむのが良い。
城内はグループ毎、国籍毎に20~30名ぐらいの団体で入る事ができ、入場者の国の言葉で案内がある。もちろん日本語もある。
城内は撮影禁止なのだが前日行ったレジデンスほど豪華には感じなかった。

城に行った後に近辺で昼食をとったが、ここでの食事が結構美味しく、ビールも初めて冷えていた。どうも日本人観光客が多いための舌に合わせた配慮らしい。ちなみに日本人が経営している土産品店もあり、表示も日本人向けで購入しやすい。

この日、私は最悪な体調で、首が痛くてまわらず、城を見上げるのも苦労したし正直ずっと気分が悪くて楽しめたとは言えない。
だけどこの城の景観だけは、生涯忘れる事はないだろうな。

今まで行った感動の景色としては2番目だ。1番は中国・万里の長城。

とりあえず宣言どおり、この記事でドイツ旅行の記載は終わりにしたい。
今思えばドイツ(ミュンヘン)の歴史に多いに触れる旅行だった。そして文化の違いだが、感想としてはやはりエコ・・・というか無駄が無いというか、精神的に掛ける部分が強いのかなと思う。
買い物してもレジ袋もないし、駐車違反もないし、自動販売機(ジュース)もない。夜のネオンも無い。エコ社会なのだ。

ドイツ旅行(3日め夜のこと)

2007年07月19日 | 旅行

3日めの昼間、レジデンスを満喫した後は、その足で「ミュンヘン三越」まで歩いて周辺の土産品店などで買い物。
結構歩いたせいで、その夜および翌日は最近悩まされている扁桃腺と肩の痛みがでて辛かった。それはともかく3日目の夜の事だが、PM7時から三越の目の前にある「ホープブロイハウス」前に集合。

ホープブロイとはバイエルン王室の御用醸造所で、このホープブロイハウスは400年もの歴史を持つ、ミュンヘンでももっとも有名なビアホール。
1階のお店の前にビアガーデンと1階は少人数で入れるビアホール。そして2階は団体客専用の大きな体育館のようなホールで、建物も古いし我々が入ったときは2階部分は開店したばかりで客もいなかったので不思議空間だったがすぐに混雑しだした。
この場所が歴史的に有名なのは、ヒトラーが第一次世界大戦の後に、まさにこのホールで演説してユダヤ人廃絶を唱えたという。
(この話も旅行が終わってWEBでいろいろと調べてわかった事だけど)

ビールのサイズに驚かされるが、標準は1リットルで1杯飲めばもう満足。
ここの名物料理は「白ソーセージ」なんだそうだが、食べたかどうか・・・
料理はバイキング形式で、基本的に美味しかった。
お店の前に、「HB」のロゴ。そしてジョッキにも「HB」と書かれているが、異様に目立つ。今思えばホープブロイの略だということが容易に判るが、行ったときはビールの銘柄なんだろうと思っていた。銘柄とも言えるか。

ビールと料理を堪能したのは間違いないのだが、それ以上に面白かったのは、目の前にあるステージで繰り広げられる民族舞踊?とも言えるショウで、

ギター演奏に始まり、写真のようなホルン演奏。そして男女のダンサーが登場して演奏に合わせて踊る。
演奏者はにこやかにこちらに語りかけてきたが、日本人と判ると日本語で語りだした。演奏で日本にも言った事があるという。それなりに有名な団体なんだと思ったが、だんだん盛り上げていく手法はお見事で、会場にはアメリカ・中国・そしてたぶんイギリスの団体客がいて、日本の団体も3箇所ほど確認できたが、それぞれの国のポピュラーな音楽演奏などもしてくれた。(ちなみに日本人向けには「上を向いて歩こう」だった)
乗せられて観客が中央のスペースで踊りだす。老若男女・国籍問わずの踊りは外から見たら居様な光景ではないかと思うが、なんという平和なんだと思った。
今考えたら、この場所で、歴史的悲劇が始まって、そしてそれを噛み締める演出なんだと思う。
とにかく楽しくて、もちろん私も踊った。

ドイツ旅行(3日め)

2007年07月17日 | 旅行

ドイツの3日めは午前中に「ドイツ博物館」で昼からは自由行動という予定だった。

出発はゆっくりめの9時発で、ミュンヘンの街中を舐めるようにバスは走ってくれた。
ミュンヘンオリンピックのメイン会場(現在は大きな運動公園)やその近くにBMW本社があったり、ガイドさんがミュンヘン名所を紹介してくれながら、まず到着したのは「ニンフェンブルグ城」というヴィッテルスバッハ家の夏の居住地と言う場所。
(参考までに・・・BMWってドイツ語では「ベーエムヴェー」と発音するそうです。確かにスーパーカー時代にはそう呼んでたな)

広大な敷地で周囲に池があり、水鳥が多く建物も大きい。到着する寸前には左右にミュンヘンの住宅地と堀があるが、この堀はまっすぐ長く伸びていて冬は完全に凍るのでスケートができるんだそうだ。住宅地もちょっと高級住宅街ということで綺麗な家が多いが、道路脇には車がずらりでバスは走りにくい。ドイツでは車自体が日本ほど多くも感じないが、路上駐車の規制がないようだ。
基本的に路上駐車がOKで、駄目な領域にだけ看板がある。

「ニンフェンブルグ城」はこんな場所があるよっていうぐらいの10分ほどの見学。雨が降っていたこともあり肌寒かった。
この城は戦争の被害も受けてないということで、昔の栄華を存分に感じられる建物。
最近ドイツでも鳥インフルエンザが発生しているので、大きな池に泳ぐ水鳥には近づかないように促された。とりあえず2~3枚写真撮影。

その後この日のメイン目的地のドイツ博物館に向かう。
夏休みが近く、各地から子供達が集まっていて賑やかだ。その分入場に時間がかかり、午前中予定の見学は実質40分程度だったと思う。
実際にはドイツの工業の歴史を思う存分に知ることができる展示物で、1つ1つをじっくりと見たら、とても1日ではクリアできないほど充実している博物館だが、とりあえずガイドさんにくっついて、目玉展示だけを見た。船・飛行機・車などドイツでの乗り物の発展が理解できる。
(正直、もっと時間が欲しかった)

その後、街中に戻り自由行動。この日の自由行動は予想外だったのでちょっと戸惑う。また今思い出してもこの日の昼食は食べてない。記憶が飛んでしまったかな?

昨日行ったミュンヘン三越の近く、歩いて10分ほどの場所にある広場「マックス・ヨゼーフ広場」で下ろされて解散。
ドイツには、このような彫刻を囲んだ広場が数多くあるが、この場所の彫刻はバイエルン王国2代目の王「ルートヴィヒ1世」の像で、横にはバイエルン州立オペラ劇場と、目の前にレジデンス(ヴィッテルスバッハ家の本宮殿)がある。
道路を挟んだ商店街(と行っても風格ある歴史的建物が並ぶ)は、ブランドメーカー(ルイ・ヴィトンとか、オメガとか・・・)がずらり。日本で言えば銀座の様相。

私が今回の旅行で行った最高に感動できたのはこのレジデンスだ。

オペラ劇場前で降ろされた時は、またも小雨が降っていて夕方までの行動が不安な状態だったが、ツアーで仲良くなった2名と、目の前にある建物に入ってみようという事になった。この時点では間口は立派だけど、正体不明という感想。

ツアーから離れて、入場口ではドイツ語しか通じず、3人で身振り手振りで何とかチケットを買えたが、手荷物は預けないといけないと言う事が会話で通じず往生した。チケットが2つあるが、これも意味不明。とりあえず両方買っとけと言うノリで計9ユーロ。
チケット売り場から入った建物は「宝物館」で、最初は宝石か・・・ってぐらいの印象だったけど、それはそれは煌びやかでだんだん引き込まれた。まさに宝の山だ。金銀財宝という言葉がぴったりだ。
宝石がふんだんに使われていることもだが、きめ細かい細工にも感動した。米粒半分ぐらいの顔がある彫刻なんていうのもある。写真撮影はフラッシュ無しなら大丈夫で、結構写したのだが暗いので手振ればかり。
展示物には十分満足できたが、敷地はさほどでもなく、もう1つの入場口も何が登場するかも判らないし、正直期待はしてなかったけど、こちらが凄かった。
普通に歩いて、約1時間半ほど。だんだん王室か名家の住居だったんだということを理解できたが、とにかく次から次に、廊下・部屋に入る度に驚かされる。
彫刻・天井画・・・これでもかというほどで、これほどの栄華というか、資産というのがその当時にどのように蓄えられたのか。

写真の部屋は入って皆、雄たけびを上げた・・・「すごい!!」
入り口は普通の日本の標準的な玄関ほどだけど、中に入って目が眩む。
全体に壁絵があり、周囲に彫刻。この彫刻はヴィッテルスバッハ家の歴代のすべての人々の彫刻なんだろうと想像できる。
写真にその感動を写し出すテクニックもないのだが、なぜかこの場所、ツアーに組み込まれてもないし、紹介もまったく受けなかった。それが不思議なんだけど、とにかく感動の連続だ。

台風4号接近にて

2007年07月14日 | 雑記
ドイツ話題が中断だが、台風4号が接近中でその前の前線等の影響により宮崎・熊本など大きな被害が発生する恐れがある事態である。

くしくも、私の会社ではこの3連休に社員旅行が計画されていて、当然ながら中止になったわけだが、その部分についてはほっとしている。

体調が最悪である。昨日の夕方は意識が飛びそうなほどきつかった。
これは連日の飲み会のせいもあるので自分のせいでもあるけど。

正直今の体調で飛行機にも乗りたくない。ちなみに旅行の目的地は新潟だ。行ければ飲んで、温泉につかってという事だったけど、その道のりが怖い。

自分達で先にキャンセルを入れるとキャンセル費用が発生するので、飛行機が欠航するまで待っていたため昨夕方まで冷や冷やだった。
仮に飛行機が飛んだら、追いかけてくる台風を背に、絶対楽しめない旅行になるだろう。

今日は自宅で体力の回復に努めながら台風の行方を見守りたいが、被害が少ないことを祈りたい。

ドイツ旅行(2日め昼~夜)

2007年07月10日 | 旅行

ミュンヘンに来たからには、ビールがもっとも楽しみではあった訳だがその前に・・・

「フッガーライ」の続きだが、その後アウクスブルグの市庁舎近くまで戻り、初めてツアーメンバー全員が揃っての食事だったため、その場で簡単に自己紹介で盛り上がった。
朝のバイキングは食べたが、これまた初のレストランでの食事に期待したが、この昼食の時点ではビール抜き。午後の予定が会社訪問・視察だったためだ。

食事は牛ステーキだったが、薄いステーキと野菜とフカシ芋。
日本と違い、ご飯を中心に食べるのではなく出てきた食材を消化していく感じだ。洋食でもパンを食べながらオカズという意識もあるので不思議な気になった。食べた気がしない。
でも毎回「フカシた芋」か「崩した芋」が出てきたので、これがご飯代わりなんだろうと思う。
(あとで知ったが、ドイツってイモの国なのね・・・主食がイモ)

昼から関連の製造会社の視察にてミュンヘンに戻る。
ここでは日本人が現地にて会話もしっかりこなしながら、がんばっている姿に感銘を受けたし、初めて見る製造ラインも興味深かったが、この内容については私の仕事の部分が含まれるので明言しないことにしておきます。

視察が終わったのはPM5時前で、いよいよ初ビールの時間なんだけど、ツアーバスを降りてまず向かったのは中心部にある「ミュンヘン三越」だ。プラッツルガッセンという歴史建造物の一角にあり、日本人にとっては集合場所として都合よくわかり易い場所で、中央駅にも近いし歩いて10分前後に観光名所が数多くある。
夕食のPM7時まで自由行動で買い物などで費やせたのだが、この三越は小さなお店で1階のフロアー面積は20坪ほどだろう。地下1階と2階の計3階。日本人向けの土産物がピックアップしてあるので選びやすいけど正直高い。※三越が高いのではなく、置いてある物が高級ということ。
マイセンの小さな陶器の人形が、50~100ユーロなんてのは正直買えない。

周囲にはハードロックカフェとか、ホーフブロイハウスという有名なビアホールがあり、小さな土産品店も多くある。滞在した間、ここを基点に動くことが多かったが、とりあえずこの日は土産は買わず(様子見)、それからマリエン広場に向かって10分ほど歩き、宴会場所の新市庁舎の地下にあるラーツケラー・ミュンヘンというお店に入った。

洞窟のような入口をくぐっていくと、左右に5~10名ほど座れる座席がたくさんあって、だだっ広くて、なんと1000席以上もあるんだそうだ。
50名がちょうど入れるほどの部屋に通されたが、正直窮屈だった。
すぐにビールが回ってきたが料理はだいぶ遅れたため、2杯ほど空腹のまま飲んだ。黒ビールはあるが白ビールと言うのもある。
いずれも美味しいのだがちょっとぬるい。

この時は丸テーブルで、ほとんど面識のないメンバーだったので微妙に緊張していたし会話も自己紹介みたいな感じであまり料理内容を覚えていない。ただビールは潤沢で3杯は飲んで結構酔っ払った。

2時間ほどでお店を出たがPM9時過ぎ。
まだ昼間のように空は明るい・・・・凄いなぁ・・・・

ドイツ旅行(ミュンヘンについて)

2007年07月08日 | 旅行

ミュンヘンと言えば、旅行前の見識としては昔オリンピックがあった場所で、昨年(2006年)にはワールドカップがあった場所で、ビールとソーセージが美味しい場所・・・って事ぐらいだ。

空港を出て、雨が降り出していたこともあるが、その田舎の雰囲気に正直予想外という気分のままアウトバーンを走り、最初に驚くのが、そのワールドカップが開催されたFIFAワールドカップスタジアム・ミュンヘンだ。(写真の建物)
正式な名前はアリアンツ・アレナで、アリアンツとはドイツ最大の保険会社らしい。
このスタジアムが見えてツアーのメンバーの気だるい雰囲気が一気に変わりデジカメタイム!

このスタジアムの特徴だが、開催されるチームによって、外壁が赤・青・白に変わるらしい。あまりに美しいので運転手が見惚れて事故が多発しているそうだ。
残念ながら色が変わった姿は見ることができなかったが、ツアーのメンバーの何名かは自由行動日にグッズ調達に地下鉄で行ったようだ。

基礎知識だが、バイエルン州都のミュンヘンはドイツでは人口3番目の大きさ(130万人で1番はベルリン・2番がハンブルグ)
ミュンヘンの名前の由来は「修道僧が住む所」といった意味になる、"bei den Monchen"からなんだそうだ。(Monchenはメンヒと発音するらしい)
1180年からバイエルン地方を司ったヴィッテルスバッハ家の発展とともに大きくなった都市だが、その当時に培われた文化遺産が数多くある。これが現在の外観美の基礎なんだろう。
1806年に、ナポレオンによってこの地域がバイエルン王国として昇格し、ヴィッテルスバッハ家の流れを次ぐマクシミリアン1世が国王として誕生し、第一次世界大戦が終わった後のドイツ革命で滅亡するまで首都がミュンヘンだった。

特に有名なのがバイエルン王国の4番目の王であるルートヴィヒ2世で、観光地として有名でディズニーランドの眠れる森の美女の城のモデルになったというノイシュヴァンシュタイン城を含む4つのお城を作っている。(その人生とお城についてはまた後日)

戦時中の悲しい歴史を持つが、ヒトラーは、実はパイエルン出身ではなく、オーストリア人で、オーストリアの兵役を逃れるために、このミュンヘンに移り住み、のちに志願兵として入隊した後に頭角を現すようだが、今回の旅ではそのことに触れることは一切なかった。隠された歴史ということでもないんだろうけど。

気がついたり聞いたことを箇条書きに、今思いつくものを上げてみると・・・

・ポスト・郵便関係は黄色
・パトカーは緑と灰色のツートン
・韓国と同じく男性は高校卒業の後1年間の兵役がある
・公園が1180箇所もある
・横断歩道の縦じまが無い
・夜間の照明や信号機が電線に直接ぶらさがっている場所が結構ある。
・個人宅の屋根の色が赤褐色・茶色・灰色の3色に法律で定められている。
・山が少なく畑が多い。畑はドイツで3つのエリアに分かれているそうだ。(尽く畜産※牧草・ブドウ・穀物)

さてはて、早くも1週間以上経過して、だんだん記憶が薄くなる。早めに書き止めなくちゃ忘れそうだ。

ドイツ旅行(フッガーライ)

2007年07月06日 | 旅行

アウクスブルグのフッガーライについて、ちょっと詳しく残しておきたい。

バスの中でガイドさんが軽く語ってくれたのだが、あまり聞こえてなくて、この場所に行ったときにはほとんど無知識状態だった。

入場料を2ユーロ払ってそのエリアに入ったわけだが、入場口を入ってすぐの左手方向にとっても小さい礼拝堂がある。中を覗いてもよいと言うことで扉を開けると、古めかしい教壇にマリア像が薄明かりの中で重圧な面持ちで佇んでいる。
まったくなんの場所なのか理解できぬままではあったが古い住宅地なんだと言うことは判った。
ある家は喫茶店のようでもあるし、普通に駐車場もある。なんなんだろう・・・
とにかく景色は綺麗なのでデジカメにて何枚か様子を残したのだが、出口に置いてあったパンフレットを見て、読んで初めて理解できた。パンフレットはかなりの国を対象で日本版も準備されていた。

と言うわけでパンフレットの受け売りなんだけど、きちんと紹介すると、前回も触れたが「世界最古の社会住宅」なのである。

フッガーライは1521年にこの地域の豪商ヤコブ・フッガーが資金を提供して貧困な市民のために建設された住宅で、現在でも約150人の住居者がいる。
このフッガーの思想としては、貧しい者が、物乞いして生活するのではなく自活できるようにという支援だったと言うことが高く評価されていて、現在でもフッガー家から寄進された財団の資金で運営されているということ。そしてそれが500年近くも続いていると言うこと。その思想が宗教革命に大きく影響を与えているということなど、とにかくパンフレットを見て感動した。

日本で言えば、江戸時代の「長屋」のようなものだが、現在でも昔の家賃そのままで、1年で約0.88ユーロなんだそうだ。年間日本円にして140円ぐらい?(驚)
そして話題ともなる事柄なんだけど、あのモーツァルトの曾おじいさんも住んでいたということ。(フッガーライの大工頭だったそうだ)その場所も紹介されてある。

とても小さな地域なんだけど、堀で囲まれていて、その中に昔は学校や病院もあった時代があるそうだ。普通の集合住宅ではなく、小さな小さな町なのだ。
この狭さが逆に可愛らしいし歴史を感じる。なにより人が生活しているわけで窓を覗くと生活感を感じるのだが、窓には下の写真のような旅行者を意識した飾りつけ?がしてあって楽しい。ちなみにドイツの住宅地って窓際に花を植える習慣もあるようで、その景色がとても綺麗で絵になる。

ただこの場所も大きな戦災を受けて、その後再建されたらしい。
ちなみにミュンヘンやこの地域も、たぶんドイツのどの町もそうなんだけど、第二次世界大戦後の復興と言う部分において、日本と違い、戦前の町並みを取り戻すべく再建されたそうだ。つまり建物の外側(外壁)はそのままで内装だけは近代的にということ。これは主に鉄筋住宅が多く、爆弾では空洞の内部は破壊されても外側は比較的に残ったことかららしい。それが幸いしてというか現在も、どこでも絵になる美しい街を形成しているのである。



ドイツ旅行(到着翌日)

2007年07月04日 | 旅行

ライフワークとして、とりあえず最後まで記録しとかなきゃ・・・って気持ちなんだけど今日も喉が痛い。またも愚痴っちゃってる。

とにかく思い出せる限り書き込むつもりです。

って事で、ホテルに到着したのがおそらくPM10時過ぎだったと思うが、到着時は真っ暗になっていた。明かりが少ないもんだから街中の様子がまったく判らず、雨が激しく振り出していて見渡す余裕もない。
ホテルは「ホリデーイン」で日本国内でも結構あるので世界中にあるチェーンなんだろうか。クラスとしては中級だと思われる。到着して嬉しかったのはネット喫茶が地下にあるのを発見した。結局行けなかったが。
ロビーの前にラウンジがあり、外人さんで埋まっていた。皆上品な感じでくつろいでいたがロビー自体はさほど大きくない。
部屋が1人部屋でほっとした。できれば自由にくつろぎたいもんね。

到着の日は部屋に入りテレビをつけたが、そのまま寝転がって寝てしまった。ちなみに日本語番組はなく面白くもないのだが「ビリーズブートキャンプ」の番組もやっていた。このブームは世界共通なのかな?
翌朝は結構早く目覚めテレビを見ると、おっ?「クレヨンしんちゃん」だ。チャンネルを変えると大人の番組(割ときわどい)もある。まだ深夜ともいえるAM4時ぐらいだったが、こんな番組を民放?でできるなんてなんとも大らかな国だ。
人に聞いたが「ドラえもん」もやっていたようだ。日本のアニメ恐るべし。

シャワーを浴びた後にホテル周辺を散歩しながら景色を写してみた。上の写真はそのときのもの。
雨は上がっていたがうす曇。まだAM6時過ぎでひと気は少なかったが、目の前も、横の小道もすべて、テレビで見ていたヨーロッパの景色だ!
30分ほど歩き、バイキング朝食。
時間も決まっていないので7時半ぐらいに1人で食事場に出向いていったが、初の現地での食事に期待。ちなみに前日は飛行機内食だけで終わっていたので結構腹も減っていた。
雰囲気は最高でソーセージ・各種ハムがずらっと並んでいるし、ホットコーナーがあってシェフが待機している。ハム中心の朝食になったが、魚料理も2種ほどあったのでお試ししてみた。
まずは魚に口をつけたが、一噛みして・・・終了。とてつもなくマ・ズ・イ。魚は鱒かな?
どんな味かというと、3週間ぐらい放置したあった魚を焼いたような感じ・・・ホテルに失礼なので補足しておくと、食味って人により随分感覚が違うということで、私個人的な感覚だと言うことだ。
ちなみにハムも生臭く感じてちょっと不満な感じのまま終了。すでになっとう飯が食いたいという気分になった。

AM9時に集合と言うことで、そのまま初日は関連会社訪問および研修という予定表の通りかと思っていたが、午前中はミュンヘンから西方に車で約1時間ほどの町「アウクスブルグ」観光予定と紹介された。

このアウクスブルグで昼食までとり、昼1時半ぐらいから4時ぐらいまでの2時間半程度が研修。
この都市は、銀や銅の採掘で発展した都市で、この採掘で巨額の富を得た「フッガー家」の拠点として有名(なんだそうだ)この都市にはフッガー家が設立した世界最古の社会住宅「フッガーライ」がある。
写真は最初にバスから下ろされた広場で「市庁舎」の前。写した写真が「市庁舎」
建物自体がルネッサンス様式の美しい建物だけど、これは第二次世界大戦の後に忠実に再現されたものなんだそうだ。
階段を上がり講堂の天井画が圧巻の観光名所。写真には写ってないが、広場には美しい噴水(像が囲んだ)がある。日本では味わえない天井画!随所に金箔が使われていて美しく煌びやか。
その後1時間弱の自由行動で、フッガーライに歩いて行ってみた。