今さらですが、中野京子「怖い絵」を読みました。
この本を買ったのは、実は2年前・・・そう、あの「怖い絵」展の時です。展覧会の予習のために買いました。同時に買った「泣く女篇」の方は読み終えたのですが、こちらは時間切れになってしまい・・・その後、仕事が忙しくなったりで、ふと気がつけば、2年の歳月が過ぎておりました。ほんと、時が経つのって早い・・・。
さて、この本には中野さんが「怖い絵」シリーズを書くきっかけとなった、ある絵のことが書かれています。そう、ダヴィッドが描いたマリー・アントワネットの絵。私は十代の頃、シュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの本にこの絵が載っているのを見て、何だか怖い・・・と思った記憶があります。怖いというか、違和感。今にして思えば、絵を描く動機がそもそも違っていた、ということなのでしょう。中野先生はその怖さを怖い絵シリーズへとつなげられました。先生のお書きになる文章には独特のドライヴ感があって、ぐいぐい引き込まれてしまうのですが、特に歴史絡みの話になると一層、筆が冴えるようです。ホルバインのヘンリー8世、レーピンのイワン雷帝とその息子・・・ベーコンが描いたインノケンティウスの話も。なかでも恐ろしかったのがジェリコーの描いた「メデューズ号の筏」にまつわる話。画家のいまわの際の言葉にも驚かされます。かと思えば、一見、この絵のどこが怖いの?という作品もあります。が、中野先生にそのゆえんをひも解かれると、怖さが迫ってきます。ホガースの「グラハム家の子どもたち」はまさにそのような作品。意外なところではドガの踊り子、ルドンのキュクロプロス、クノップフの見捨てられた町なども。怖さ、にもいろいろありますね。
そんなわけで、2年前の展覧会を思い出しつつ、ほぼ一気読みしてしまいました。今、思い返してもあれは画期的な展覧会だったなぁ・・・(しみじみ)。「絵を読む」面白さを教えてくれました。それにしても、家にはまだまだ積ん読状態の本が積み重なっております。この山が平地になるのは、いったいいつの日のことだろう・・・(爆)。
この本を買ったのは、実は2年前・・・そう、あの「怖い絵」展の時です。展覧会の予習のために買いました。同時に買った「泣く女篇」の方は読み終えたのですが、こちらは時間切れになってしまい・・・その後、仕事が忙しくなったりで、ふと気がつけば、2年の歳月が過ぎておりました。ほんと、時が経つのって早い・・・。
さて、この本には中野さんが「怖い絵」シリーズを書くきっかけとなった、ある絵のことが書かれています。そう、ダヴィッドが描いたマリー・アントワネットの絵。私は十代の頃、シュテファン・ツヴァイクが書いたマリー・アントワネットの本にこの絵が載っているのを見て、何だか怖い・・・と思った記憶があります。怖いというか、違和感。今にして思えば、絵を描く動機がそもそも違っていた、ということなのでしょう。中野先生はその怖さを怖い絵シリーズへとつなげられました。先生のお書きになる文章には独特のドライヴ感があって、ぐいぐい引き込まれてしまうのですが、特に歴史絡みの話になると一層、筆が冴えるようです。ホルバインのヘンリー8世、レーピンのイワン雷帝とその息子・・・ベーコンが描いたインノケンティウスの話も。なかでも恐ろしかったのがジェリコーの描いた「メデューズ号の筏」にまつわる話。画家のいまわの際の言葉にも驚かされます。かと思えば、一見、この絵のどこが怖いの?という作品もあります。が、中野先生にそのゆえんをひも解かれると、怖さが迫ってきます。ホガースの「グラハム家の子どもたち」はまさにそのような作品。意外なところではドガの踊り子、ルドンのキュクロプロス、クノップフの見捨てられた町なども。怖さ、にもいろいろありますね。
そんなわけで、2年前の展覧会を思い出しつつ、ほぼ一気読みしてしまいました。今、思い返してもあれは画期的な展覧会だったなぁ・・・(しみじみ)。「絵を読む」面白さを教えてくれました。それにしても、家にはまだまだ積ん読状態の本が積み重なっております。この山が平地になるのは、いったいいつの日のことだろう・・・(爆)。
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