松濤美術館で「終わりのむこうへ:廃墟の美術史」を見てきました。
廃墟の美術史、というタイトルにつられて行ってまいりました。廃墟という言葉には、なんだか心惹かれる響きがありますよね。会場も思いのほか、お客さんが入っていました。世の中、案外、廃墟好きって多いのかも・・・。
会場に入ると、ホーホの「廃墟の風景と人物」が。一気に廃墟ワールドに引き込まれます。そして、廃墟といえばこの人、のユベール・ロベール「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」も。独特の淡い光。ピラネージのローマシリーズも出ていましたが、このtoo muchな感じがたまりません。かと思うと、アンリ・ルソーの「廃墟のある風景」が。廃墟の絵なんて、描いてたんですね・・・。一方で、日本人の描いた廃墟の作品もありました。不染鉄の「廃船」も出ていましたね。木造建築の国、日本は廃墟とは無縁のような気もしていましたが、実は廃墟を描いていた画家もいたんだな、ということを初めて知りました。
廃墟といえば過去のこと、と思ってしまいますが、幻想のなかにも廃墟はありました。シュールな、時間軸の失われた世界。デルヴォーの「海は近い」は、独特の空の色に見入ってしまいます。マグリットやキリコの作品もありましたね。そして、最後は未来の廃墟。大岩オスカールの不思議な動物園。元田久治の細密画は廃墟となった渋谷。見慣れた風景が、いつかはこうなる、という静かな衝撃が。最後の野又穫の「Imagine」の前では、ずっと立ち尽くしてしまいました。うまく言葉にできないのですが、こういう絵をみたかったんだ、という作品です。終わりのむこうの世界・・・。
それにしても、なぜ、こうも廃墟の姿に心惹かれるのでしょうね。滅びの美、に惹かれるのでしょうか。世界の果てを、世界の終わりを見てみたい、という願望は、心のどこかに眠っているのかもしれません・・・。
さて、例によって、鑑賞後には甘いものを・・・ということで、「ガレットリア」でおやつにしました。ひさびさに塩バターキャラメルのクレープをいただきましたが、塩味と甘味のバランスが相変わらず絶妙で、美味しゅうございました・・・。
廃墟の美術史、というタイトルにつられて行ってまいりました。廃墟という言葉には、なんだか心惹かれる響きがありますよね。会場も思いのほか、お客さんが入っていました。世の中、案外、廃墟好きって多いのかも・・・。
会場に入ると、ホーホの「廃墟の風景と人物」が。一気に廃墟ワールドに引き込まれます。そして、廃墟といえばこの人、のユベール・ロベール「ローマのパンテオンのある建築的奇想画」も。独特の淡い光。ピラネージのローマシリーズも出ていましたが、このtoo muchな感じがたまりません。かと思うと、アンリ・ルソーの「廃墟のある風景」が。廃墟の絵なんて、描いてたんですね・・・。一方で、日本人の描いた廃墟の作品もありました。不染鉄の「廃船」も出ていましたね。木造建築の国、日本は廃墟とは無縁のような気もしていましたが、実は廃墟を描いていた画家もいたんだな、ということを初めて知りました。
廃墟といえば過去のこと、と思ってしまいますが、幻想のなかにも廃墟はありました。シュールな、時間軸の失われた世界。デルヴォーの「海は近い」は、独特の空の色に見入ってしまいます。マグリットやキリコの作品もありましたね。そして、最後は未来の廃墟。大岩オスカールの不思議な動物園。元田久治の細密画は廃墟となった渋谷。見慣れた風景が、いつかはこうなる、という静かな衝撃が。最後の野又穫の「Imagine」の前では、ずっと立ち尽くしてしまいました。うまく言葉にできないのですが、こういう絵をみたかったんだ、という作品です。終わりのむこうの世界・・・。
それにしても、なぜ、こうも廃墟の姿に心惹かれるのでしょうね。滅びの美、に惹かれるのでしょうか。世界の果てを、世界の終わりを見てみたい、という願望は、心のどこかに眠っているのかもしれません・・・。
さて、例によって、鑑賞後には甘いものを・・・ということで、「ガレットリア」でおやつにしました。ひさびさに塩バターキャラメルのクレープをいただきましたが、塩味と甘味のバランスが相変わらず絶妙で、美味しゅうございました・・・。
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