あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

割れたスイカ

2012-09-15 08:02:50 | インポート

先日の夕方、畑を見て驚いてしまいました。

そろそろ収穫時と考えて、スイカを植えたところを見回ってみたところ、食べ頃と思っていたものが、4つほど見事に割れていたのです。完熟の状態が過ぎ、自らはじけるように割れたのだと思います。赤いスイカが3つ、黄色いスイカが1つ。人間の都合には合わせてくれなかったようです。暑い日が続いていたので、中の熟れ具合いも 予想以上に 進んでいたのでしょう。収穫のタイミングがずれたので、中を開ける楽しみも消えてしまい、残念に思いました。

作物の成長に合わせて、ちょうど良い時期に収穫することの 難しさを改めて感じました。ためしに、少し小さめで 収穫するのには早すぎるかなと思った スイカを切ってみると、中は真っ赤に熟れていました。大きさだけで、収穫の時期を判断するのも、まずいのかなと思いました。

暑い日は続いていますが、朝晩の涼風には秋の気配を感じます。作物たちは敏感に季節に応じた育ち方をしているのかもしれません。スイカも、そろそろ種をつくる頃と見なして、熟れる頃あいを速めているのかもしれません。

人間の感覚よりも 自然の持っている成長のリズムに合わせて、作物と向き合うことの大切さを学んだような気がします。

それにしても もったいないことをしたなあ と 人間としての感情は 訴えているのですが……


仙台での 散策

2012-09-14 09:09:12 | インポート

昨日は、定期的なボランティア活動のために 仙台まで出かけてきました。

予定より早く着いたので、地下鉄の旭丘駅を抜けて 森林公園周辺を散策しました。

スズメによく似た でも体が少し大きめの鳥が2羽、追いかけっこをするように枝から枝へと飛び移っているのを見かけました。前の枝にいる鳥が、次の枝へ飛び移るとその後を追うように後の枝に止まっていた鳥が追いかけます。とても仲の良いカップルなのでしょうか。睦まじい姿に、思わず笑いながら 見とれてしまいました。

そこを過ぎると、鳥の彫刻が点在する空間に出ます。道を挟んで両側の草地に多くの鳥の彫刻が配置されています。さまざまなポーズをとっているのですが、顔は道の方を向いているので、そこを歩く自分が鳥たちに見つめられているような気がする不思議な空間です。

その先に屋根のかかった休憩スペースがあります。一画に灰皿があり、いつもならそこで一服するのですが、先客が1名いてベンチに横になって本を読んでいました。そのゆったりとしたひとときを乱してはいけないと思い、そこには立ち止まらず先に進みました。

右手に池が見えてきました。以前睡蓮の花を見かけたところです。池の中央を横断するように渡り道がつくられているので、そこを通ろうと思ったのですが、そこにも先客がいました。渡り道の途中にカモたちが群れてひと休みしており、向こう側から来た親子(子供は幼い女の子)が会話を交わしながらその様子を立ち止まってながめているところでした。

その微笑ましい様子を見て、カモたちと親子の邪魔をしてはいけないと思い、その渡り道を横断することをあきらめ、さらに先に進んで池の周りの道を迂回するように通り、戻ることにしました。

一服しようと思ったところに来ると、本を読んでいた人はそのまま本を胸の上に置いて、ひと眠りしていました。鳥の彫刻の空間を過ぎ、追いかけっこをしている鳥たちの森を過ぎると、駅前の広場に出ます。その広場を駅の階段を上らず、さらに少し進んでいくと、灰皿の置いてあるベンチに出ます。そこで、やっと一服の機会を得ました。陽射しがきつく、暑い日だったので、木陰にたたずんで、煙草に火をつけました。汗をぬぐいながら、しみじみと味わう一服でした。

自然の中にありながら、体に害を与える人工的な煙草を吸う 自分に、いつもながら 矛盾を感じてしまいます。矛盾を抱えているのが人間的なのだ という言い訳も浮かんできます。星の王子様に登場する呑み助の心情と重なっているのかもしれません。酒を呑むのが恥ずかしいから酒を呑む~この矛盾を肯定するところに 大人になりきれない自分がいるのかもしれません。

心地よい風が通り抜けていきます。木の葉が気持ちよく揺れ、その影も地面に揺れています。見上げると雲ひとつない青い空が広がっています。その中を飛行機が通り抜け、その後ろに2本の鮮やかな白線の軌跡が描かれていきました。ゆっくり ゆっくりと 時が流れます。

それから ボランティアの場所に向かいました。悩みを抱えている人の声に真摯に耳を傾けたいと思いながら、一方では その人たちに 見える世界は、こんなに 光や風があふれている世界ではないだろうと思いながら …… 。そんな人々に、どんな言葉で光や風を伝えることができるのだろうかと……。  ボランティアを終えても、この自問は続いています。


仙台ジャズフェス散歩

2012-09-11 08:43:56 | インポート

9/8・9日と、仙台で「第22回定禅寺ジャズフェスティバル」が開かれました。家族の希望もあり、8日にその雰囲気と音楽を味わいに仙台まで出かけてきました。

市民手作りの実行委員会形式で実施される催しなので、通りには黄色のTシャツを着たボランティアが立ち、プログラムの配布や案内、関連グッズの販売などに取り組んでいました。参加予定バンドは760グループ以上、市内のさまざまな場所に48のステージが用意されているとのことでした。

仙台に着いてから、市の中心部にある公園から杜の都を象徴するけやき並木の美しい定禅寺通りに沿って西公園まで歩いて行きました。午前11時頃から歩き始めたのですが、ところどころで野外や屋内のステージで演奏が始まっていました。いろんな曲や楽器、歌声などがあちこちから聞こえてきて、杜の都仙台が音楽に包まれているような感じがしました。演奏しているところには人垣ができ、リズムに合わせて手や足、体を軽快に動かしている人もいました。音楽のもつ楽しさを、体全体で味わっているような印象がありました。その開放的な雰囲気に自然に溶け込み、私も気を遣わず楽しく演奏を味わうことができました。音楽好きな人にとっては、ジャズをはじめ多様な音楽のはしごができ、好きなバンドを求めて自由に歩き回ることができるので、たまらない2日間になったことでしょう。

西公園では、高校生が澄んだ歌声を響かせ、別のステージではアランビアナイトに出てくるような服装で、女性の踊り手たちが舞っていました。ステージの周りには、いろんな国の料理を味わう出店が立ち並び、さまざまな衣料品や装飾品などを売っているフリーマーケットの一画もありました。市民自らが参加し、楽しむことのできるよう、さまざまな企画や工夫がされているのだと思いました。

帰りにまた定禅寺通りを歩いて行くと、車の交通規制が始まり、片方の通りが歩行者に解放されていました。通りの中央でバンドが演奏し、たくさんの人が解放された道に立ち止まって聴き入っていました。

道は、本来人が歩くためにつくられたもの。そこに人々が集い、音楽を楽しんでいる光景を目の前にして、宮沢賢治が理想とした「ポラーノ(ポランの)広場」を見ているような気がしました。「そこへ行けば、明日への力が湧いてくる」そんな場所のように、見えたのです。この2日間の定禅寺通りは、誰もが楽しむことのできる そんな自由な広場になったのではないかと思います。

演奏者の中には、私と同年代かそれより上の方もたくさんいたように思います。耳を傾ける人たちの中にも、高齢者の方の姿もたくさん見かけました。若い世代の方も含め年代を超えて多くの人々が集まり、音楽を楽しむ姿に、いろんなことを想いました。

平和であることのありがたさ、団塊世代のパワー、音楽が多くの人に愛されているということ、世代を超えて楽しむことのできる音楽の魅力とすばらしさ、そこに集うという中で感じ取れる連帯感、賢治の理想としたもの …… たくさんの刺激を得た ひとときの 散歩でした。


脱原発に向けて

2012-09-11 08:43:23 | インポート

原発の再稼働を決めた民主党も、党のエネルギー・環境調査会で、「2030年代に原発ゼロを可能とするよう、あらゆる政策資源を投入する」という提言をまとめたようです。原発に代わる代替エルギーの開発や政策の推進にさらに弾みがつくことを期待したいと思います。

先日、夕方のラジオでも、原発政策を取り上げていました。その中で専門家の方が、脱原発に舵をとり、太陽光発電等代替エネルギーの開発・推進を進めているドイツの現状について、語っていました。

ドイツでは、以前から環境問題に先進的に取り組み、原発に代わる自然エネルギーの活用が進められていたとのこと。はじめの頃は、経済界が電力需要を満たすためには原発が必要であるという考えをもっていたそうですが、今では国と同一歩調をとり脱原発の方向性を容認し、支持しているとのことです。代替エネルギーで十分に電力供給が可能であること・電気料金も日本と比べても安い価格で賄えるということが、納得できる理由になったようです。

日本政府の試算では、原発を停止すると電気料金がさらに高くなるということでしたが、それは一面的な見方であるという指摘がありました。原発にかける保険料・災害に備えた施設改善費・放射能汚染廃棄物の処理・使用済核燃料や高濃度放射能廃棄物の管理等に要する費用を加えると、安いと言われている原発による電気代もかなりの価格に高騰するとのこと。原発を使用する限りは、核燃料をはじめ放射能汚染廃棄物は増え続けることになり、処理や維持管理する費用は増え続けてしまうということでした。つまり、原発を動かし続けることでも電気料金は、さらに高くなることが予想されるわけです。太陽光など自然再生エネルギーを活用する場合は、最初の設備に費用はかかるものの、それ以降は最小限の維持管理だけで電力が供給されることになり、コストは原発より少なくてすむことになります。原発に頼らないドイツの電気料金が、現在の日本の電気料金より安いという事実が、そのことを証明しているのではないかと思います。

高度に汚染された核廃棄物については、現在の科学力では処理が不可能で、放射線による影響を遮断するために密閉した容器に詰めて埋める方法しかありません。そういう現状にありながら、原発を稼働し続ければ核廃棄物は増え続けることになります。福島原発事故による放射能で汚染された廃棄物やがれきさえ、どこでどう処理し管理していくか、見通しが立っていません。

こういった現状と福島原発事故の教訓から、私は脱原発の方向を明確に打ち出し、それに向けた最善の方策や対応に取り組み、原発に代わるエネルギーの推進・活用に踏み出していくことが急務なのではないかと思います。原発の推進を容認してきた大人の一人として、安全で安心な暮らしができる地球環境を 未来に生きる子どもたちのために残すことが 責務であると考えるからです。

やがてやってくる選挙のために、既成政党も 新設される政党も、原発の取り扱いについて今後の方針を明確に打ち出すことになると思います。ただ、政治家の考えや判断だけに任せていてはいけないような気がします。原発問題は、日本の未来をどう方向づけていくか、とても重要な問題でもあります。以前に朝日新聞の社説でも提起されていましたが、こういった国民全体に関わる大きな問題については、広く国民にその考えや意見を問う 国民投票制度のようなしくみをつくり、そこで集約された意見や考えが、実際の政策や政治に生かされていくことが、必要なのではないかと思います。そうすることで、国民と政治家の意識のずれが少しは正常な方向に戻り、政治に対する信頼も深まって来るのではないかと思うのですが……また、政治家任せにしないで、国民が自らの判断で日本の未来を方向付けていく流れも つくられていくのではないかと思うのですが……


スイカを 開けて

2012-09-05 08:59:22 | インポート

「ミカンを開けて」と 差し出す 小さい頃の娘の心境を思い出しながら、新たに収穫したスイカを開けてみることにしました。

ワクワク ドキドキ しながら、2つ目のスイカを収穫し、包丁を入れてみました。刃先が少し入ったところで、ビシッと 縦にひび割れが生じ そのすきまから 中が見えました。赤ではなく レモン色が見えたので、もしかすると 早すぎたのではと不安になりました。そのまま一気に包丁を下ろすと、勢いよく二つに割れました。濃いレモン色の中身が はっきりと目に写りました。

そういえば スイカの種は、3種類播いたはずでした。1つ目のスイカと2つ目のスイカは、外側にできる模様が同じだったものですから、てっきり1つ目と同じ中身は赤色だと思って切ったのですが、種類の異なるものだったようです。開けてびっくり玉手箱 という印象でした。

妻とそのことを語り合いながら、さっそく切り分けて試食してみました。驚くほどあまくみずみずしい味がしました。種の一部に白いものが混じっていましたが、今がちょうど食べ頃だったようです。(うん、これだと市販のスイカに負けない味だ) と思いました。皮の近くまであまみの行きわたったスイカだったので、家族にも大好評でした。

そして、今朝 昨日収穫した 3つ目のスイカに 包丁を入れてみました。これまでの2つと異なる模様をしたものだったので、どんな中身が出現するのか、ワクワク ドキドキ しました。包丁の先をちょっと入れだけで 縦割れが生じたので、完熟した頃あいなのだと直感しました。二つに割れた中身は、熟した赤色で 見ただけでも おいしそうな感じがしました。食べてみると、口中にあまみとみずみずしさが広がりました。これより早く収穫しても遅く収穫しても味わうことのできない、完熟した状態でした。ブログを読んでくださる皆さんにも その一片を味わっていただきたいなあと思いました。言葉だけ差し出すような形になってしまい、申し訳なく思います。

次の収穫を待っているスイカがまだまだ畑にありますので、中を開ける楽しみはまだ続きそうです。雨の降らない暑い日が続いているようですが、降り注ぐ太陽が作物の味をこれまで以上に高めているような気がします。今年は、トウモロコシもエダマメもトマトも、格別の味わいがありました。でも、そろそろ水不足も深刻になりそうですので、雨の恵みも必要になりそうです。

天の神様に、穏やかな雨を降らせてくれるよう お願いしてみたいと思います。