あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

「戦争を取材する」を読んで

2012-09-21 09:30:09 | インポート

シリアで取材中に亡くなったジャーナリスト<山本美香さん>の書いた「戦争を取材する」を読みました。戦火の中で暮らす子どもたちが、どんな体験をし、どんな悲しみや苦しみを抱いているのかを、日本の子どもたちに向けて伝えようとした本です。

美香さんがジャーナリストとしての仕事の意義を深く感じたのが、アフガニスタンでの取材中の出来事でした。医者は病や傷を治すことはできるが、ジャーナリストである自分はいったい何ができるのだろうかと悩んでいた時のことです。ボロボロのテントで暮らす避難民の父親が、栄養失調と厳しい寒さの中、風邪をこじらせて亡くなった4歳の息子の墓に案内してくれました。目を赤くして泣く父親が、その時に「こんな遠くまで来てくれてありがとう。世界中のだれも私たちのことを知らないと思っていた。忘れられていると思っていた」と語ったとのこと。その言葉と涙ながらに語る父親の姿に、美香さんは大きな衝撃を受け、(私がこの場所に来たことにも意味はある。いいえ、意味あるものにしなければならない。たった今目撃したことを世界中に知らせなければならない……)と、ジャーナリストという仕事に全力を注いでいく決意をしたそうです。

本の中に、たくさんの子どもたちが登場します。

コソボで会った少年アデム(13歳)とアルティン(10歳)は、地雷で両脚を失ってしまいます。アデムは、右目も見えなくなり、なくなった脚が痛む幻痛に苦しめられます。アルティンは、両脚だけでなく爆発の衝撃で記憶の一部も失い、ときどき激しい頭痛に苦しめられます。少年たちは、絶望の中にあっても、義足をつければ歩けるようになるかもしれないというかすかな希望の光を見出しているとのこと。世界中に埋められている地雷の数は、およそ111000000個で、エジプト・イラン・アンゴラ・中国・アフガニスタン・イラク・カンボジア・べトナム・ボスニアヘルツェゴビナ・コソボ……といった紛争のおこった国々に埋められています。

ウガンダで会った少年ターティ(15歳)は、戦場で銃をもって戦った少年兵でした。ターティは、5年前に村を襲ったゲリラにさらわれ、無理やり兵士にされ戦わされていたのです。こういった少年兵を保護し体や心の治療する施設に、ターティは収容されていたのです。8歳のリルは、さらわれて1カ月後にセンターに保護されました。ターティに比べればゲリラのもとに居た時間は短いわけですが、どの子も心に傷を負っており、それを癒すために施設はつくられました。ターティはそこで5年ぶりに、お母さんと会うことができました。声をあげて泣き出すお母さん、お母さんの無事を知ってとびきりの笑顔で迎えたターティ、心を打つ再会の場面でした。

アルジェリアで会った8際のアブドゥヌールは、小学校が武装集団に襲われた時、友達が何人も殺される様子を目撃しました。それ以来、血だらけになった友達の姿が頭から離れず、眠れなくなりました。トラウマを抱えてしまったのです。コソボで出会った少女ミハーネ(8歳)は、父親が目の前で撃たれるのを目撃して以来、血だらけになった父親の姿を何度も思い出してしまうフラッシュバックに苦しんでいました。これもトラウマの症状のひとつです。

チェチェンでは、廃墟に子どもたちだけで暮らす、13歳のディーマ、ホセイン、9歳のマハカと少年の4人に出会います。父母を亡くし、自分たちだけで食物を手に入れ生きている戦災孤児たちでした。コソボで出会ったダウト(12歳)は、難民となって逃げる途中で家族とはぐれてしまいます。その途中で、たくさんの村人が死んでいて、首になわをかけられてつるされている恐ろしい光景を見、3日間しゃべることができなくなってしまいます。幸い避難する途中で出会ったガーシさん(63歳)が、実の孫のように保護してくれました。その後、ダウトはお母さんと再会することができ、家族そろって村で生活することができるようになりました。

戦争という悲劇をつくりだしたのは、大人の責任です。そのことによって多くの未来ある子どもたちの命が失われ、たくさんの子どもたちが体と心を傷つけられています。その重さを、紛争地から遠く離れた日本に居てもしっかりと受けとめたいと思います。

美香さんは、本の最後をこう結んでいます。

 ……ちがっていることは壁でも障害でもありません。人間はひとりひとりちがっているからこそ、豊かな関係を築いていけるのです。だれもがちがいを学び、相手の気持ちを考え、他人を理解しようと努めることで、おたがいの価値観のちがいを乗りこえることができるのではないでしょうか。

子どもたちには、日々の人間関係もこんな形でつくりあげ、やがては世界の人々と力を合わせて平和な世界を実現してほしい そんな思いも込められたメッセージのように感じました。

金子みすずさんの詩の一節「みんな ちがって みんな いい」を思い出します。世界の紛争地を歩き、そこで戦争の悲惨さを実感し、出会ったたくさんの人々の抱えきれないほどの悲しみや苦しみを受けとめた 美香さんの切実な願いでもあったのだと思います。

一人一人が、戦争のない世界を願うことから、その一歩は始まるように思います。命を奪いあうのではなく、悲しみや苦しみをつくりだすのではなく、人としてのちがいを認めることから、そこから学び理解することから、価値観のちがいをこえた 信頼という平和に近づく一歩を 踏み出せるのではないかと思います。