あの青い空のように

限りなく澄んだ青空は、憧れそのものです。

演劇を見てきました

2012-02-04 22:08:58 | インポート

今日、仙台で演劇「八百屋のお告げ」を見てきました。かっては、仙台演劇鑑賞会の一員として定期的に見ていたのですが、改めて生の演劇を見たいという思いが高じ、親しい友人の主催するサークルに妻と入会し、観劇の機会を得ることになりました。

会場は、仙台市民会館の大ホールでした。以前仙台市内の小学校に勤務していた頃、演劇クラブをつくり、市民祭りに参加して、市民会館の小ホールで演劇公演をした時のことを思い出しました。リヤカーに大道具や小道具を積んで市民会館まで運んだことや親の方々に子どもたちの衣装や化粧にご協力いただいことなどをなつかしく思い出しました。

「八百屋のお告げ」の主要な出演者は、『グループる・ぱる』というグループを結成した女優3名<松金よね子、岡本麗、田岡美也子>でした。

ストーリは、お告げが当たると大評判の近所の八百屋さんから「今夜、12時にあなたは死にます…」と宣告された主婦(松金)が、親友(岡本、田岡)に過ごし方を相談し、大騒動が起こるというものです。生きる時間が限られたとしたら、どんなことを望むのか、喜劇タッチではあるものの、生きることの意味や本当の幸せとは何かについて、考えさせられる、心に残る劇でした。出演者一人一人の演技のすばらしさだけでなく、生の演劇の良さを改めて体感できました。

劇を見るだけではなく、台本をつくって、演じてみたいという思いもかきたてられました。これを機会に、物語の創作だけではなく劇の台本も創ってみたいと思います。完成の暁には、このブログの中でも内容を紹介していきたいと思います。

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精神科医の先生の話を聞いて

2012-02-04 21:22:25 | インポート

仙台市で定期的に研修を受けているのですが、先日は市内の精神科医の先生の話を聞きました。その中で印象に残ったことをまとめてみます。

精神疾患で治療を受けている人は、全国でおよそ330万人おり、認知症を含めると500万人ぐらいの患者がいる<3~4%の割合、百人のうち3~4人>とのこと。患者を入院と外来で区分すると、1:7の割合になるそうです。

驚いたのは、諸外国と比較した場合、精神科の病院の入院期間は日本が平均300日なのに対し、諸外国では2~3週間で、日本の方が圧倒的に入院日数が長期にわたるということです。その理由は、諸外国の方が病院数が少なく病床となるベッド数も少ないという事情もあるのですが、家族や社会が患者を積極的に受け入れ支援していく体制が整っているとのことでした。日本の方が、病院や施設に預けておけば安心といった傾向が強く、精神疾患に対する理解や社会の中で支援サポートしていくという体制づくりが遅れている面があると、講師の先生も危惧していました。

精神疾患は、人とかかわる中で生まれてくるもので、日常の生活がうまくできず、コミュニケーションや人とのかかわりがスムーズにできない病気である。精神科医ができるのは、患者本人が自分で症状を自覚し、自分で変えようとする動機づけを図り支援していくことである。それは、指導することではなく、説教やアドバイスすることでもなく、あくまでも本人が自分を変えようとする意志を尊重し、患者によりそうことである。

悩みの相談を受けた時の基本姿勢も、カウンセリングの対応と同様に、決してクライエント<相談者>に対して指導的にならず、その心や思いによりそうという姿勢です。それは、悩みを解決するための答えは、相談者の心に内在しているという考え方でもあります。精神科医の先生の患者さんに対する姿勢と共通する考え方なのだということを知りました。

統合失調症、躁うつ病等の症例についても具体例をまじえて説明していただきました。その内容については省略しますが、精神科医としては患者さんから見えている部分を判断し、病名を判断することになるが、その見えている部分は氷山の一角であり、水面下の見えない部分の方がはるかに大きく、そのことを忘れてはいけないという自覚をもって対応している という話が印象に残りました。

大なり小なり、自分の内にも精神疾患にあてはまる要素があるのではないかという思いも感じました。そのことを自覚し、自分でコントロールできるかどうかが心の面での健康を維持するするためのポイントなのかなとも思いました。

特に印象的だったのは、「人は、何かができるということの前に、それができなかった状態があるということを忘れてしまいがちです」という言葉です。

歩くことができるのはあたりまえだ思ってしまうことから、歩けないという状態があったということを忘れてしまうということ。理想化した自分をあたりまえだと考えてしまうが故に、できない自分とのギャップを過大に考えてしまう……できない状態があるからこそ、不完全な自分を許容でき、そこから少しでも向上させようとする意識や意志が生まれてくる。

そこに、生きるということのエネルギーの源があるような気がし、深い感動を覚えました。

不完全である自分であるからこそ、可能性は開かれている……そう意識することが前向きに生きるという姿勢につながっているような気がしました。

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