平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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3-2 核問題

2018年08月05日 | Weblog

 

 広島への原爆投下

1945年(昭和20年)8月6日 午前8時15分米軍が原爆を広島へ投下した。この攻撃で広島市人口35万人のうち10万人以上が4ヶ月以内に被爆で死亡した。

 

3-2  平和部隊

ユニタール広島事務所(国連訓練調査事務所)
所長 ナスリーン・アジミ女史

活動・国際的な規模で広島被爆研修など行ってきた。
世界48カ国の人が原爆投下の実態の研修をされた。
又、さまざまな企画で世界の人々を広島で研修されている。      2006年8月

 



3-3  広島平和記念資料館 

原爆投下後の惨状の写真、被爆者の遺品など展示されている
2005年の実績 119万人の人が訪れた。 そのうち13万人が外国人。

 

3-4     広島で被爆者救護で被爆した看護学生 Y女史の話

 広島へ被爆者へ救護班で行ったが、救護活動で、飲み水などの影響で被爆者となった。Y女史(当時15歳の看護学生)

爆心の2キロ先に、衣服も肌も焼かれた人々から助けを求められた。一目見て、施しようがないとわかる人がいた。

横たわるひともいた。医師と手当てに回るも、傷口から飛び出した無数のウジが地面でうごめく。足がすくみ、膝が震えても、

処置の手はとめなかった。遺体の山をかき分け、家族を捜す人がいた。 (S新聞)