平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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Opinion

2016年08月31日 | Weblog

OPINION

 リオオリンピックは閉幕された。日本は金12で銀銅29合計41個、過去最高のメダルである。今回のオリンピックで、太平洋にあるキリパス国の選手が自国が地球温暖化で30年後には水没の危険性を通じて、温暖化防止として環境改善の訴えをなされた。これは他人事ではないと思う。温暖化で水没は日本でも低い領土は当然にありえる。また、川の水の濁り、樹林腐食など自然破壊の危険性ある。自然破壊防止対策の国際会議では各国の利益などあるのかまとまりも進まないようである。地球的な視野になって話し合いで解決してもらいたい。しかし、オリンピックは国際的な平和の式典であるが、世界では紛争は止まらない。この日も(8月22日)トルコでテロやカシミール(インド・パキスタン)の紛争で多数の人が亡くなっている。

 領土問題や宗教問題もあるのだろうが話し合いで平和な解決をしてもらいたいと思うのである。オリンピックは世界の多くの方が平和的に楽しんでいたが、国により富貧の差で情報も届かないのであろうか。

 釈迦在世の時に、外道が利を貪った。釈迦はそれを嫌い人々が納得できる道を目指した。また、日蓮大聖人は貧などで苦悩する世界の人たちを救う為に求道された。世界の人が心から楽しんでオリンピックを楽しんでもらいたいものであります。

 月刊 KIBOU 9月号


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2016年08月28日 | Weblog

音楽CD 予約発売                          

アレキサンダー

 
    歌 中道 進

 
参考

 アレキサンダー 王の子として生まれ、のち、王国を引き継いだ。世界の国国を攻めて攻めた。あらゆる国を征服したのだった。その昔、エジプトも彼が征服をした国だった。彼の名が、街としてある。彼は戦争にては、常に先頭に立った。兵士が水をなければ、自分の水をあげたのだった。戦いの途中にして若くして亡くなった


旅  サッカーミュージアム

2016年08月25日 | Weblog

                           

                      サッカーミュージアム           

2007年10月7日の日曜日の御茶ノ水駅近くで写生を楽しんでいる人が多かった。趣味というのは若返らしてもくれるし、楽しみがあれば長生きも出来る。喜びは体に良い薬となるからである。駅から10分ぐらい歩いたところに、サッカーミュージアムがある。サッカーの博物館である。活躍した選手のユニホームなど展示されている。日本が外国で活躍したビデオも流されていた。サッカーは世界の国で愛好されている。何でも、大昔から世界で似たような球技があったという。国際連盟で認知しているのが、サッカーの発祥地は中国で紀元前に皮や毛で作られた球で球技されてたという。今、世界は混迷している。キリスト教国、イスラム国など対立がある。しかし、スポーツは平和をもたらす。友情をくれる。言葉は知らなくとも球技で対話を出来るのである。サッカーという名が日本に出たのは大正7年、大阪の商業チームでの対戦と伝えられている。又、東京オリンピックでは、ベスト8になったという。今は、多くの子供にも人気があるサッカー、この日も、サッカーミュージアムは子供も見学に来ていた。

案内

日本サッカーミュージアム(写真)

開館時間

土・日 10時―19時

火―金 13時―18時

月 休館

交通

JR 地下鉄

御茶ノ水駅から6分

他もあり

  将棋 答え 5二香成                


旅 国際交流センターー他OPINION

2016年08月15日 | Weblog

旅 中原区

 国際交流センター   世界の人が楽しむ

73日の国際交流会館(写真)はお祭りでにぎやかだった。屋台がたくさんでていた。ブラジルなど各国の名物の食べ物がいろいろとあった。広場では、剣舞をやっていた。いろんな国の音楽や踊りなどや食べ物を多数の人が楽しんでいた。まさしく平和の日本だから出来るのではないかと思った。昨日もバングラディシュで日本人7人テロの被害あったとニュースが伝えた。世界では様々にテロが起きて市民が被害にあっている。日本は平和である。しかし、日本であるからと安心はできない。だが、この日のように外人と仲良く音楽など楽しむのが理想国家であるだろう。

 

国際交流センター案内

 

川崎市中原区木月祇園町2-2 044-435-7000
 センターは外国語講座、外人のための日本語講座、ホームステイ、相談事業など外国人のための様々なのを設置されている。

事業情報   初級、中級英会話、中国語、ハングル、フランス語等など様々な国の語学講座を設けている。

その他  外国人のための相談コナー 通訳ボランティア、ホームステイなど様々な外国人のための設置されている。

 


灯り

 OPNION 2015年 8月作

 8月15日は終戦記念日である。8月6日は広島、8月9日は長崎に原爆が落とされ一度の原爆で20万人とも言われる人が亡くなった。多大の人が後遺症に苦しみ、また、亡くなった。第二次大戦時は原爆の開発は、日本、ドイツ、米国、イギリスなどで行われていたのであった。冷戦時は、米国、ロシア、フランセなど2,000回の原爆実験が行われていた。現在の原爆の威力というと80倍はあるとも言われ、広島型の6000倍の核爆弾が存在る。  日本は、原爆の被害国で大きな被害を受けた。戦争しない、核兵器を持たない、世界でのボランティア活動を目的とした平和軍を創立したらと思うのである。仏典には、馬鳴菩薩(めみょうぼさつ)が、白馬を呼び王に力を与え国の平和に貢献した。また、仏典には、菩薩が、鳩を助けた喩を通じ、畜生さえ助けた、まして人間の生命はそれ以上に尊いのであるとの意である。故に、平和のためのさまざまな企画をだしてもいいのではないだろうか。




 お知らせと  詩  夏の花

2016年08月11日 | Weblog

 お知らせ 平和の特集の続編は、ホームページ KIBOUへ移りました。


      

                            夏の花

 

   夏の花 濁った世でも清らかにする

   僕の心晴清に

 

   夏の花 あと何日の生命かな

   懸命に生きていきまくる

                   遊歩


NO7 続 平和の特集

2016年08月10日 | Weblog

7 戦争の悲惨
 壮年 (当時 青年 南方へ戦争へ行く)
 壮年 米がない、ご飯がないんだよ。

 聞き手 御飯ないことは、戦が出来ないですね。腹がへって出来ないですね。

 壮年 ご飯がない。ひどいものだった。
                
 解説 現在 映画など戦争はかっこいいと思っている青年もいるが、実際は悲しみの日々ですね。どうして、御飯や物質なものがなくて戦争が出来るだ。当時、日本は何もなかった。銃だってひどいもの。米軍の連発銃はすごかったが日本はぜんぜん駄目だった。物がなかったのだ。命令の違反者はびんた。
 
 南方ではたくさんの日本兵が飢えで亡くなっている。道路には飢えで亡くなった人が多数いたという。
                 2007年08月26

南のインパールなどは多数の死者が出た。武器がない、食料がない、薬品がない、ないない、で、マラリヤ病などがある。ひどいものだった。何しろ、終戦ちかくは、国内でも、ベニヤで魚雷艇をつくり、若者を乗務員にし敵の艦艇に特攻隊であった。何にしろ、貧乏でないもないのであるから。


 NO6 平和の特集

2016年08月09日 | Weblog

 

6核問題   戸田平和記念館
横浜 戸田平和記念館  (反戦 平和と生命尊厳の哲学を発信する拠点会館)
1979年オープン
来訪者100万人へ

 戸田城聖が1957年9月、原水爆禁止宣言を発表する。その弟子の池田大作が、恩師の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶へと、世界を舞台に反核展示、提言とう行動されてきた。戸田平和記念館は平和への発信の拠点として誕生させた。記念館には、戸田城聖の貴重な草稿及び核兵器の恐さしる資料、パネル等展示されている。現在、来訪者は100万人近くに。

 交通 桜木町(JR)
からバス 石川町駅(JR)徒歩15分他あり

解説 原爆は広島、長崎で多大の人が亡くなった。一発で何十万人も。家、ビルの姿もない。赤ちゃん、年配者、青年も無差別に。その無残さを、創価学会会長の戸田城聖は悲しみ、原水爆禁止誓言をされた。その弟子の池田大作は、師の戸田の精神を受け継ぎ行動した。世界へ、国連へ、原子爆弾廃絶へと行動した。その発信の拠点が戸田平和記念館である。まもなく、100万人になる。会館には原爆の恐ろしさをわかり易く解説されている

                             2010年08月04日 作品

 1945年 8月9日は長崎に原爆が投下され7万人が死去された。

現在では核兵器の威力が考えられない大きい。人類が何回も滅亡させる核が地球上にある。核は怖い、後遺症で何年も苦しんでいる人もいる。核兵器の廃絶は当然であろう。戸田城聖先生が1957年に核兵器禁止誓言なされた眼力は大きな驚きである。

                     2016年8月


続4-B他 平和の特集

2016年08月08日 | Weblog

4―A

婦人(当時学生)

午前8時 一舜の閃光(せんこう)直後爆風  外に出た時、広島は地獄に変わっていた。 真っ黒に焦げた顔。赤くただれた皮膚、ボロボロになった服を着た血だらけの人たち、病院に押し寄せてきた。階段や玄関まで負傷者があふれていた。(助けて下さい)(子供がーーー)。   毎夜のように、病院の広場で遺体が焼かれた。絶えない炎と人間の臭い。(2016年8月七日S)

5原爆の恐さ  広島 

爆心から1,2キロ地点 その日のうち 50%死亡
 i回の投下で14万人とも20万人ともいわれる人が死亡。

 婦人の体験 (爆心から1,2にいた) ( 大勢の人が逃げてくる。顔が腫れはがり、男女の区別がつかない人が、バタバタと倒れていく。皮膚が指先に垂れ下がり、水をくれ!とうめく
 (体験者は父を原爆でなくす。本人も原爆症にかかり、せきたんで苦しめられ、ガンによる死亡の恐怖感になやまされる。しかし、立ち直り、現在は明るく生きている)

 解説 恐いものだ一発の原爆で多大の人が亡くなった。今年も、その後遺症で多くの方が亡くなった。しかし、体験者のはなしだと、原爆で、顔が男女の区別ができないというからひどいものだ、水くれはのぞが熱くて体があつくて、水がほしくてしょうがないじょうたいであったんだろう。恐ろしいものだ、将来の原爆の廃棄は当然だ。

                               2010年08月07日 


NO4 続平和の特集

2016年08月07日 | Weblog

4平和の道

 婦人 (中国で終戦を迎える)

 ラジオで終戦を告げたとき、現地の人が暴動起こした。日本人は逃げるのにいっぱいだった。私は両親の手配した漁船で逃げた。逃げなければ殺された。男の服装で頭は丸坊主だった。

証言 壮年
 ロシア兵など敵は女性を狙った。胸を調べる。うちの姉はさらしまいて逃げたよ。

 婦人は漁船で逃げた。多くの乗客がいた。子供も、だが、敵は密告船がいないか、サーチライトで調べる。その漁船に赤ん坊が泣いた、男性の乗客は言った。黙らせろ。敵に見つかる。母は赤ん坊の口をふさいだ。男性は見つかる、早くだませろと。そして、母は、赤ん坊の口をふさぐ。赤ん坊は二度と息を返さなかった。

 その漁船に、サメの大群が押し寄せた。船長は、サメの恐さを知っている。餌をあげなければ大変な眼にあうと。

 証言 壮年
 サメ恐いよ、歯がすごいよ。奴らも必死だ、大群では小さな船をひっくり返すことも出来るだろう。

 漁船の船長は、小さな子供を、病人を投げた。海に投げた。私は(助けて)の声を耳にふさぐことしか出来なかった。

 この婦人はこの悲劇を言うのがいやだった。胸に秘めていた。この恐ろしい話をするのがとても恐かった。しかし、信仰して、使命を知った。未来の人達のために証言をしなければいけないと。平和のためにもと。そして、講演をされている。

 解説
 日本は中国に侵略した。そして、現住民との間でトラブルを起こし兵舎を構えた。なにしろ、何もないのだ、兵隊には、御飯も少ないのだ。上官の命令なんか聞いていたら大変だとばかり、現地で民家を襲った。武力でだからたちが悪い。故に、終戦なったら、日本が負けたと聞いたら現地人の人はここぞとばかり立ち上がって仕返しだ。
 日本の外地の庶民は大変である。そんな思いもよらないから。来た時には甘い言葉で軍の甘い話で来たのだから。日本は強いぞ、勝った、侵略ではない、正義の戦争だ、強い者の領地だ、土地は強い者のものとばかり侵略していった。ひどいものである。 前記の婦人は運がよかった。日本に帰ってきたのだから、そして、言いたくない証言をマスコミにしてくれたのは、平和のためにも貴重であった。何分、今の世の中、戦争映画などで戦争が美化されている。実態は悲劇なのである。戦争は無残なものである。子供を、病人を海に投げてしまうのを平気でやるのである。ひどいものである。
                        20098月作品