平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

トップページに平和の歌が投稿

原爆は恐い  その7 平和への道

2009年03月28日 | Weblog
 北朝鮮ミサイル問題
現在、北朝鮮のミサイル問題で報道はにぎやかである。韓国紙によると、北朝鮮のミサイルの射程は8千キロあると。今回の北朝鮮の実検は日本国を通過した射程きろである。誤って国土に落ちたら大変な問題となる。提言であるが、北朝鮮と冷静な話し合いを持てるように外交をすべきではないだろうか。日本は拉致問題で感情的になっている。それは北朝鮮にも言える。音楽など文化外交し友好をすべきと思う。何分、何でも解決は話し合いが基本であるからである。不信感は不信をさらに深める。話は飛ばし、今、世界が注目しているのが、米国、ロシアとの核兵器削減問題である。米国新大統領になった、オバマ大統領が核兵器の削減に真剣であるからである。

  米ロの核縮問題 
 現在、二国は核を1万発もっていると言われる。これを軍縮しないと他国の国は増やし、核の競争に限度がなくなる。もっていない国も開発に血眼になる。そうなると火薬倉庫に地球が成りかねない。欲望を限度しないと限りがなくなってしまう。宇宙にまでに核の基地をとなってしまうだろう。
 オバマ大統領は選挙で(核のない世界を目指す)と明言している。聞くところによると、ロシアの大統領と話し合いの場が4月にあると言う。その会談で核軍縮の問題に期待されている。報道によると二国で1千発で十分と。
 しかし、核兵器絶廃者、平和者には歯がゆいだろう、未来の核絶の道を作ってもらいたいだろう。核の先進国、米国、ロシアは他国の核の管理、開発など監視など当然である。また、そうしないと、自国の首を締めかね得ない。しかし、なんといっても、被爆国、日本が米国などに核縮などの強い意見を述べるべきだろう。被爆国の恐ろしさを知っているし、北朝鮮の核問題もあるからである。

 

参考 続3

2009年03月21日 | Weblog
  
 戸田城聖 (創価学会第2代会長)   
原水爆禁止宣言(昭和32年9月 青年部5万人の前で発表)
(核あるいは原子爆弾の実験禁止運動が、今、世界に起こっているが、私はその奥に隠されているところの爪をもぎ取りたいと思う。それは、もし原水爆を、いずこの国であろうと、それが勝っても負けても、それを使用したものは、ことごとく死刑にすべきあることを主張するものであります。なぜならば、われわれ世界の民衆は、生存の権利を持っております。その権利をおびやかすものは、これ魔ものであり、怪物であります)(戸田城聖全集)第四巻)

 原水爆禁止宣言はSJI(創価学会インターナショナル)の平和運動の、不朽の原点になっている。


 原爆の広島型でもその破壊力の恐ろしさは人間の想像力を超えた。青年が学生が多くの民衆が犠牲になった。何とか生き延びた人も、被爆で何十年も寝たきり、また、心臓など体内に入り込んで痛さなど苦しみながら不安に悩まされ何十年も生きる人など実態がある。旧ソ連の原子発電所事故でも街が廃害となってしまって用に原子、まして爆弾となると恐ろしいものである。戸田城聖の原水爆禁止誓言は当時
にても、世界に平和の灯りを与えた勇気の言論であった。今さながら、先々、未来を見通した勇気の発言であったと驚く。




参考 続 2

2009年03月14日 | Weblog
 満州事変 1931年(昭和6年)
 日本軍 中国本土侵略ご満州事変を起こす。中国の列車を爆破し中国の仕業となした。以後15年戦争に突入。


 満州事変は関東軍参謀らによって起こされた。中国に対する危険感から。要するに、外国の国を侵略し勝手に列車を爆破しその責任をその国になし権力を握るのだった。権力の思い上がりである。たとえば、日本に武器を持って外国の国が侵略し、かってほうだいな行動し権力を行使するようなものだ。民の反感をおこし、言うこと聞かないものは牢獄へもっていく。そのような行動である。そのような行為は長く続かない。末には破滅するのは当然である。しかし、その当時は権力の横暴で平然と起こされたのだった。
 ちなみに、戦後、大戦当時、日本軍が南京での横暴な虐殺事件は真実と誤報との声があったが、今は、真実の線が強い。何分、現在でも、嘘と真実の報道がある。戦争でも、日本が勝ったなど嘘の情報に庶民は騙された。嘘の報道には騙されないほうがよい。真実を見極めよう。

参考   6 原爆は恐い 3話から

2009年03月07日 | Weblog
  歴史
 黄巾の乱 中国 187年(後漢末期)張角が起こした農民の乱、目印に黄色の頭巾を頭に巻いた。1年足らずで鎮圧された。
 漢王朝は崩壊、乱世の世に突入。

 
 乱世、乱で泣くのは庶民、貧乏、仕事がない、食物も不足、弱者の子供、老人、婦人は泣かされる。男は戦争にもっていかれ、家庭には、ないない、物がないのないつくしだ。