平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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 大量殺人兵器の恐さ

2009年12月26日 | Weblog
 殺人兵器の恐さ
 武士の刀の戦いでなく 西部劇のピストルでなく 機関銃でなく
 爆弾でなく ナチのガス室でなく ガス室もひどい 多大の人が
 子供、老人 女子も差別なく亡くなった。罪もないのに、戦争という名を
 看板に多大の人を死亡させた。しかし、もっと残酷なのが 核爆弾である。

 広島、長崎 1発、1発で多大の人が亡くなった。被害者で生きている人も 
 後遺症で苦しんでいる。現在は広島、長崎型より威力も恐ろしいほどある。
 今度それが1発使用されたらその被害は大量な被害をもたらすのである。
 しかし、人類の良心の人は目覚めた。その恐ろしい兵器の廃棄に立ち上がっ
 におである。そして、その核兵器廃棄運動は続けられている。

 正しいことには邪魔が入るのがまたこれ当然のことでもある。これ例にする
 と、人間の心には修羅の心が誰しもある。また、道徳心もある。修羅は弱い
 者をいじめようとする心である。そして、ねたも心もある。これを防止する
 のいは日ごろ訓練や学び心、相手に対しての敬う心など心の優しさ、清らか
 さが必要になってくる。それが生まれつき誰しもある。

 生まれて誰しも清らかである。しかし、家庭の環境などでさまざまな境遇を
 えてくるので性格も変化する。そして、優しさ、清らかなこころは眠ってし
 まうひとも少なくない。誰しももっているのであるが閉じてしまうのである。
 もったいないものであるう。これを述べる時間がながくなるので、愚者が言
 いたいのは、恐ろしい核の廃棄はその恐ろしさを人々が知れば可能である。
 

   平和の勇者

2009年12月19日 | Weblog
  正田篠枝作  

 (目玉飛び出て 盲となりし 学童は かさなり死にぬ 橋のたもとに)

 彼女は多数の原爆の歌をのこした。戦後まもなく作られた歌である。最初はその歌は脅しの出版の差し止め、また、悪口など悪評された。しかし、負けなかった。これからの、未来の人達のために作った。勇気ある女史である。私ら、その原爆の悲劇はわからない。故に、体験者のはなしや写真などで納得できる。故に、彼女の歌は価値がある。現在の原爆の威力は広島型の何百倍もある。故に、その恐さは恐ろしいものである。故に、事実の話は貴重である。  
  

 

平和の勇者6

2009年12月12日 | Weblog
     平和の勇者
   ディビット・クリーガー
     1942年生
   核時代平和財団所長

 未来の平和へと青年をへの平和教育に力を注ぐ
 核の廃絶運動の(アポリションの運動)で多大な署名を成した。

 解説 アポリション運動は1955年ー2000年の間での核廃絶の署名運動であった。創価学会青年部で成した1200万の署名を含め、個人、支援団体の活動で多大な成果をあげた。最初は、少数の支援団体であったが、のちには、世界90カ国の2000余の団体や自治体などが支援する世界的なナットワークとなった。
 核兵器廃絶の運動にはさまざまな悪口、障害、壁などがある。しかし、クリーガー所長は負けなかった。情熱、熱意、信念等で戦った。まさしく、獅子王の戦いである。獅子にはさまざまな敵が現れる。影から、横から、壁をつくり向ってくるのもいるだろう。しかし、獅子は声は響く、他のやからはその声で静まる。しかし、人間の世界はよけいに大変だある。妬むものもいtるだろう。権力の押しもあるだろうから。動物はおかけないがーーーーーーー。

平和の勇者 5

2009年12月05日 | Weblog
 平和の勇者
 ライナス・ポーリング博士
 1962年 ノーベル平和賞受賞・地上核実験反対運動で平和賞受賞した。1954年にはノーベル化学賞を受賞している。ノーベル賞を2度の受賞は唯一の人である。
 ポーリング博士は1955年 ラッセル・アイシュンタイン誓言した11人の一人である。

 解説 ポーリング博士は米ソ対立時代、米国の議会、マスコミを利用され、ソ連に通じているなど嘘、でたらめので多くの迫害を受けたのだった。博士はどんな迫害も負けずに己の信念を貫いたのだった。正義は正義、悪は悪と。敵は議会、マスコミを巧みに使い悪口、でたらめを流した。しかし、博士は負けなかった。大きな山のようにどんとしていた。人間、周りからいじめられると弱気になったり、信念を曲げてしまうのは少なくない。そのような場合にあってもいかに己の信念を主張できるかである。例えば、会社でも学校でも、仲間はずれや、いじめ、悪口されても平然と対応できるかである。ポーリング博士は大手の新聞、議会からのいじめを跳ね返したのだから驚く。博士の姿勢、対応、信念の強さは、人々に大きな希望、勇気を与えた。