平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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戦争の悲劇の体験者

2009年08月29日 | Weblog
 婦人 (中国で終戦を迎える)

 ラジオで終戦を告げたとき、現地の人が暴動起こした。日本人は逃げるのにいっぱいだった。私は両親の手配した漁船で逃げた。逃げなければ殺された。男の服装で頭は丸坊主だった。

証言 壮年
 ロシア兵など敵は女性を狙った。胸を調べる。うちの姉はさらしまいて逃げたよ。

 婦人は漁船で逃げた。多くの乗客がいた。子供も、だが、敵は密告船がいないか、サーチライトで調べる。その漁船に赤ん坊が泣いた、男性の乗客は言った。黙らせろ。敵に見つかる。母は赤ん坊の口をふさいだ。男性は見つかる、早くだませろと。そして、母は、赤ん坊の口をふさぐ。赤ん坊は二度と息を返さなかった。

 その漁船に、サメの大群が押し寄せた。船長は、サメの恐さを知っている。餌をあげなければ大変な眼にあうと。

 証言 壮年
 サメ恐いよ、歯がすごいよ。奴らも必死だ、大群では小さな船をひっくり返すことも出来るだろう。

 漁船の船長は、小さな子供を、病人を投げた。海に投げた。私は(助けて)の声を耳にふさぐことしか出来なかった。

 この婦人はこの悲劇を言うのがいやだった。胸に秘めていた。この恐ろしい話をするのがとても恐かった。しかし、信仰して、使命を知った。未来の人達のために証言をしなければいけないと。平和のためにもと。そして、講演をされている。

 解説
 日本は中国に侵略した。そして、現住民との間でトラブルを起こし兵舎を構えた。なにしろ、何もないのだ、兵隊には、御飯も少ないのだ。上官の命令なんか聞いていたら大変だとばかり、現地で民家を襲った。武力でだからたちが悪い。故に、終戦なったら、日本が負けたと聞いたら現地人の人はここぞとばかり立ち上がって仕返しだ。
 日本の外地の庶民は大変である。そんな思いもよらないから。来た時には甘い言葉で軍の甘い話で来たのだから。日本は強いぞ、勝った、侵略ではない、正義の戦争だ、強い者の領地だ、土地は強い者のものとばかり侵略していった。ひどいものである。 前記の婦人は運がよかった。日本に帰ってきたのだから、そして、言いたくない証言をマスコミにしてくれたのは、平和のためにも貴重であった。何分、今の世の中、戦争映画などで戦争が美化されている。実態は悲劇なのである。戦争は無残なものである。子供を、病人を海に投げてしまうのを平気でやるのである。ひどいものである。

続 

2009年08月16日 | Weblog
 現在、日本は戦争拒否の憲法がある。その平和憲法は世界的に評価が高い。その憲法は戦争で多大な人が犠牲になったうえから出来上がった。故にも、貴重である。世界では防衛から軍費に多大なお金をかけている。そして、核開発にも虎視眈々との国もある。平和は世界の庶民の願いである。権力の横暴を嫌う。故に、世界的な平和憲法がある日本に多くの期待がかけられている。故に、日本国リーダーは世界な平和の発言をいたすべきである。唯一の被爆国でその悲劇を知っている故でもある。

2009年08月15日 | Weblog
 インパール作戦
 昭和17年2月 開始 インド東部に在する英軍兵力拠点地を侵略する作戦。それには、ヒマラヤ系の3000Mの山を踏破必要だった。これが無謀で困難問題だった。
参加兵隊 8万6千人   生き残ったのが1万2千人

解説
 陸軍の無謀な命令により多数のひとが暑さ、飢えなど戦死された。武器もない、食料もない。ないないであるからひどい。運が良い人で、草やねずみなどを食べたから生き残れたという証言がある。

 軍隊の命令で戦地に追いやれた。命令に逆らうものは監獄である。新兵をいじめにいて、そして、武器もない外地へ生かされる。インパール作戦は特に悪質として名高い。暑い国へ
食料もない、武器もないのに行かされ、熱病におかされても進めの号令である。食料もないのに号令である。現場でなく、司令塔からの命令であった。その指令部では酒の三昧だからたちが悪い。行け、いけの号れいだもの。ひどいものである。

 日本軍の司令部がこれほどまでに堕落したのは何の原因なのか、欲望に支配され、上官に逆らえない体質であったことも考えられる。本来、大和の魂は、強者をくじき、弱きを助け、友情を大切にし、先輩を、親を、後輩を大切にする精神だった。武士をみよ、意気盛んであった。信長軍、家康の部下、本田軍の意気盛んな攻撃、豊臣軍の天下制覇の武士魂、武田の騎馬隊、近年には、日露戦争の日本軍の攻撃、乃木、児玉、大山等それこそ大和魂の勇ましさだった。

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戦争の悲劇

2009年08月15日 | Weblog
 
 青年 戦争に行った人が言った。軍隊は暴力部屋だ。逆らえない。
 おじさん 外地に行ったのはもっと悲劇だ。寒くとも夜警だよ。寒さにこらえて。
 青年 戦争はなぜおきた。
 おじさん 人間の欲だよ。人間同士の争いだよ。仲間割れだ。私利私欲に走る結果だ。今年だって、冷害で農家は大変だ。生活が。
 青年 政治家の私利私欲で天も怒ったのか。やっぱり世の中を治める人は庶民の事を真剣にやらなければ。大きな心で。
 おじさん その昔、戦国時代の武田信玄、上杉謙信、大きな人物だった。庶民思いだった。
 青年 中国では天下泰平のときは、皇帝、治政はよかった。世の中も落ち着いていた。今は、日本はどうなっているの。対立する政党が、財政赤字で無料無料とばらまいてどうなるの。
 おじさん まあまあ、ここではそれはやめよう。しかし、庶民のことを考えないで私利私欲にはしると天は怒る。庶民が嘆き、それが天に通ずるのだよ。嘆きで響くのだよ。
 青年 どういう」道理なの。
 おじさん 例えば、会社で給料が少ないと社員の嘆きが響き渡ると、それが響いて取引先にも聞こえてーーーー
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詩  幸福はどこにある 

2009年08月12日 | Weblog
 幸福はどこにあるの あの街
 その街かな いやいや そうでない
 ここにある 己のなかにある
 喜びも 悲しみも 笑いも
 ここにある 己の中にある

 心は広く大きい 少しのことで
 心はかわる 悲しみも乗り越え
 歯をくいしばり 幸福を築ける
 しかし 堕落の心もあるから
 強い心が大切だ 負けない心が

 幸福は己の心にある 悲しみ
 泣きたい気持ちも 厳しき人生も
 のりこえ 幸福を築ける
 闇の壁を乗り越え 幸を築け
 己の勝利を確信し 前進である
                   遊歩

原爆症問題

2009年08月08日 | Weblog
原爆症訴訟(全員救済)
 原爆症認定集団訴訟の原告側に政府が謝罪した。これによって原告306人の全員が救済に向う。麻生首首相が閣僚、省庁の反対にも関わらず、衆議院も近いことから、全員救助を政治決断した結果である。(毎日 8月7日)


 解説
 戦争は政治の誤った判断からおきた。そして多大な人が被害を受けた。原爆問題もそうであった。故に、政治家は責任があるから判断を慎重にするのは当然である。また、その政治を監視するのは庶民でもある。政治が誤った道を行かないように監視である。例えば、政治家の判断で戦争となり、敗戦すれば、勝利国に多大な賠償金を払うことになる。そうなったら、貧乏の国となり重税で苦しむ。それが、お金で解決なればよいが、勝利国の支配下となったら惨めである。言論の自由はなくなる。それどころか、ギュギュに縛られる。故に、監視である。政治を監視である。誤った道に行かないようにである。


 

 続 

2009年08月05日 | Weblog
 平和の行動者の紹介
スティーブン・リーバー (広島平和文化センター理事長)

1947年 米国生まれ。84年来日 広島で通訳とう会社経営

彼がリーダーで、2007年9月から広島市が始めた全米での原爆展46州113都市実践し大きな成果あげた。

 解説 彼は米国生まれだが、広島、長崎等の原爆の悲劇、悲惨を知り、また、世界でのパキスタン国などの核の生産の危惧を感じ、平和への行動が大切との思いなどから核のない世界へと行動された。それにしてもすごいものである。全米を回ったのだから。人は誰しも無限の可能性がある。希望を持てば強し、壁があってものりこえられる。その姿を示してくれている。

 創価学会広島青年部
核兵器の恐さ、悲惨、核兵器廃絶など訴える(平和のための広島学講座)を1989年から始めた。今年で20周年を迎えた。話しやすく雰囲気がよいと好評。

 解説 持続こそ大切なりのごとく20年間続けているのがすごい。ロマン、夢も持続こそ可能なりの言葉の如くである。核兵器は一度落とされると大きな被害があるだけにその悲惨を訴えるのは大きな価値がある。しかし、青年は社会を活気を与える。行動もある。未来の可能性も多数ある。

3 戦争は恐い

2009年08月04日 | Weblog
 核の認識 さて、私たち核の恐さをどのくらい認識があるのだろうか。1回の使用でどのくらいの被害があるのだろうか。その認識が深ければ核の禁止が多く支持され国際的な核兵器禁止運動が盛り上がるのである。広島市が国際世論に核の恐ろしさを訴えるために行動を起こされた。そのリーダは、日本語が上手な外国人であった。聞くところによると、原爆展は、最初は偏見で反対もあっあようであったが、次第に、核の反対、すなわち、平和への支持されてきたという。国際世論に原爆の恐ろしさを訴えた組織に、sji創価学会もある。写真で当時の恐ろしさなど展示し理解をさせるように行動した。大きな成果があったと聞く。何分、今の青年らは戦争の恐ろしさを知らない人は少なくない。故に、平和への訴えは大切ではないだろうか。

2 戦争は恐い

2009年08月02日 | Weblog
 人間の心というと大きく広い、そして、少しのことで動きやすい。修羅心あれば餓鬼の心も、人間らしい心あれば地獄の心もある。
 その昔、日露戦争の時は日本軍のリーダー達は現場に足を運んだ、兵隊たちの苦戦を知っていた。そして、その判断をもって戦った。そして、日本軍は勝った。武士道であった。弱気を助け、後輩を思い、先輩を大切にし、仁を大切にした。しかし、大戦の司令部は司令部で酒を飲み部下に突撃の命令だった。
 武器、食料もないのに、威勢があった時はそれで通じた。しかし、ぼろが出る、長期の戦いにはその欠陥がでる。要するに、教育である。次回へ

戦争は恐い

2009年08月01日 | Weblog
戦争は恐い、青年もその尊い生命を失う。兵舎に入れば人間性が変わる。上官からびんたを喰らう。生意気な態度をすれば何べんも何べんも殴られる。これでたいていはぐらっと心はくる。もう権力の思うつばだ。日本軍万歳。と叫ぶのである。人権なんかあったものではない。大戦中、反戦記事書けば憲兵隊に睨まれ、警察で絞られる。これでいうこときかなければ暴力だ。お上の名を持ってやるからたちが悪い。純粋な青年も変わる。心は闇となる。夢なんかなくなる。外地へ戦争で行けばない崩し、食料はない、武器はない、ないないで兵隊はこもる。そこで大陸に行った時は、敵の民家に押し入る。かっぱらいだ。ひどいものだよ。ないのだから、腹がへっているのだから。しかし、この押し込みがたちがよくない奴だとひどいものだ。素人のひとをおどしてそれこそだ。ひどいものだ戦争は。やるかやられるからだ。人間性はなくなる。
はなしは飛ぶが、核が仮に使われたら大変だ。地獄図だよ。広島型で叫ぶこえ、泣き声がーーーーーーー。しかし、米国の大統領はすごい。核の恐ろしさを認識しいているから。核の禁止の思いだろうが、なかなか、相手国がいるし、自国のうるさい連中もいるから。なかなかなのだろう。しかし、イラン、北朝鮮もあるし、他の国も虎視眈々とううのか、仮に、ゲリラなんかに。平和への実現へうまくやってほしいものだ。平和は人類の願いだもの。しかし、話は飛んだ。戻そう。
 兵舎で田舎から出てきた青年がびんたを喰らいビックリする。権力はいうこと聞かなければ暴力を使うのだ。ちょと時間がなくなった。次回へ。