平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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KIBOU   巨大地震とは

2013年05月31日 | Weblog
巨大地震とは


EDITORIALOPNION

   ランプ   備えあれば憂いなし
 南海トラフ巨大地震は千年に一度あるかないかの低い率であるが、しかし、例えば発生したら静岡で109000人が死亡が想定されている。ほとんど起きないとされるが、大小の地震もある故に地震が起きた時の持ち物の準備はしておいてもいいのではないだろうか。
ここでは、災害の時の最低限の持ち物をあげてみたい。まずは、お金で、そして貯金通帳、カード、身分証明書、健康保険、携帯ラジオ、懐中電灯、ヘルメット、軍手、食料品は乾パンやビスケット、水筒である。子供がいる家庭は緊急医薬品、下着、寝袋、タオル、雨具、テイッシュ、粉ミルク、食品缶詰などである。川崎市の避難所は自宅近辺の市立小中高校である。しかし、国、県等は将来的には、緊急避難所として、地下壕の設備、また、防災非常時携帯食料等を市民に県市など配給制度してもいいのではないだろうか。


参考 南海トラフ巨大地震
政府が2012年8月に公表した。東海から九州沖を震源域する地震。政府機関の中央防災会議とう検討会が最悪のケースを死者数、倒壊等など公表した。発生率は1千年に1度、あるいはもっと低いが対策をとれば被害を減らせるな冷静に受け止めるなど強調した。


参考
 最近の政府機関の防災会議の発表では発生率が上記より少々高い。

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2013年05月31日 | Weblog
  
 月刊 KIBOU  6月号
予告編

1面ー2面
 巨大地震とは         
   南海トラフ地震 確率は薄いが起これば多大の被害が


8面
    小説 青春登竜門
    少年A

 犯罪少年は環境によって犯罪者になった。すなわち教育である。故に、少年が起こしたのどんな犯罪も少年に対し死刑は反対だ。

 世界を見ても死刑判決は遅れている。少年死刑に反対を訴える物語である。

 今回は前論で、少年がいじめにあい、そしてやむ得ぬ事情から犯罪に入る場面である。


10面  
   詩 葉っぱ

 葉っぱはよわい、しかし力強く生きている

他将棋など

 

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2013年05月30日 | Weblog
Musc CD

    アレキサンダー

          
            歌 nakamiti

 参考 アレキサンダーは戦には先頭に立ち、水不足で弱っていた兵士には、己の水を与え励ました。過酷な戦いにも常に先頭で戦った。

KIBOU

2013年05月29日 | Weblog
 INFROMATION

世界

シリア 内乱電気供給1日1時間 4・18

イラン M7.8地震死傷者180人越える 4・16

ボストン爆弾テロ、タリバン関与不定 4・16


文化サントリー美術館
展示会
もののあはれと日本の美
2013年4月17-6月16日

交通
六本木駅(地下鉄大江戸線)
直結(他あり)





優曇華

釈迦は人々の悩みを解決のために出家しさまざまな方便を説いた。
そして最後の8年に末法の人々が幸を得られる真実の教え法華経を説いた。
そして、末法に日蓮大聖人が弘教された















第29回  池田大作先生研究所

2013年05月25日 | Weblog
2013年 5月     第29回 池田大作先生研究所
池田先生は、恩師、戸田城聖創価学会第2代会長の原水爆禁止誓言の遺訓を高めるため、長年にわたり核兵器廃絶への具体的な行動をされている。2007年には(核兵器廃絶への挑戦)展がスタートし、これまで世界31カ国、地域230都市以上行われている。本年3月には、中東地域初のバーレーン展がアラビア語で開催された。(S、5月3日)

池田先生は世界の各界の識者と対談集は60点を超えている。なかでもイギリスの歴史家トインビー博士対談集(21世紀の対話)は、世界の大学や高校の教材に採用されるなど、“人類の教科書”として愛読されている。(S 5.3)

研究
 人々は平和、幸福を求めています。しかし、今、世界はテロ、内乱、経済不安などさまざまに混乱しています。そのなか、池田先生は、世界の平和のために率先して戦っているのは驚くばかりであります。さて、話は変わりまして勉強であります。
 新人間革命 第24巻 P41
 今日の人間疎外をはじめ、現在の生き詰まりは、人類が政治優先、経済優先に陥り、人間を見失ってしまった帰結であると、私は申し上げたいのであります。今こそ、人類は、(人間)という原点に返り、人間性の発露である、文化の復興を優先しなければなりません。 
                        
 解説
 その指摘の如く、今の社会は不安である。人間性よりお金が大事とばかり悪口、ねたみ、リストラ、親子の対立、人が信じられぬ不信とう暗闇の世界である。まさしく人間疎外、先行き見えない生き詰りである。落ちこぼれたしゃかいではもがいてもダメだと知った若者の不安は広がるばかりである。しかし、先生は、上記で、人間らしく、やさしさ、笑顔、親を大事に、友人を大事してこそ向上した人生であり、若者達は希望を抱き生き生きと生きられる人生には文化が大事なことを指摘している。文化は心が休まる。歌、美術、演劇、スポーツ、陶器、絵、写真とう多大なものがある。ご存知の如く、歌は、外国、日本でも若者達を多く引き付ける。
そして、人間性に戻る。美術なども同様である。池田先生が創立した民音もさまざまな外国、日本の歌い手、俳優などが出演し多大の人に人気がある。
 しかし、先生の、戸田先生の恩、また、平和への思いは驚くばかりです。
                                  次回へ

  クイズ

2013年05月21日 | Weblog
                          将棋 答え3六 桂馬 7手詰 

    クイズ
       


    TPの次の英字はなにか?
         TP? 

   ヒント 環太平洋地域経済連帯協定

 答前のページ

青春の登竜門  7話

2013年05月13日 | Weblog
          クイズの答 TPP 
           
短編小説
      青春の登竜門
                 中道 進
        7話 娘の決意
         1突然
 妙子は20歳になった。恋人は造船会社に勤めていた。朝は両親と一緒に食べる。妙子が住む広島は、明治時代には、日清戦争では、広島陸軍の兵器都市として機能をしていた。のちには、日本国軍隊の参謀が会議も行ったことがある軍事的重要地でもあった。
 妙子は、この広島で育ち両親も里も大好きであった。その日も、妙子は朝早く起き朝食の準備をしていた。その時、突然、ピカドーンとし、雷が響くような恐ろしい音がした瞬間に家が崩れた。両親を探すも家が崩れてダメだった。危険なので急いでその場を離れ広島駅に向かった。
    
         2 学校も崩壊
 妙子の家の近くにある師範学校は、原爆で木造校舎は崩れ落ち、コンクリート校舎のみであった。この日、学校は、教員などは勤労動員され工場へ行っていたので、留守番のわずかなき教職員だけであった。しかし、原爆でその教員たち7人も亡くなったのである。
 妙子は、崩れた学校を後にし必死で駅に向かった。親を思うがどうにもならず何とか歩ける状態でであった。

           3友人
 道路には人々が倒れ男女の差別がわかないほどの状態であった。また、焼けた洋服など来たままの人が助けの声を上げてさまよったり、また、叫び声、赤ん坊の泣き声、母親の泣き声、そして、川には死体がたくさんあった。やけどや、体の熱さや、水の欲しさできたのだろうか。まるで地獄絵のような姿であった。当時35万人の広島の人口が、原爆投下で、2ヵ月後には9万人から16万人が亡くなっているのである。一人の人間の爆死さえ恐ろしいのであるから、多大の人の爆死のその状態の悲劇を想像すれだけでも底なしおそろしいものである。
            4生きる
 妙子は後に、市の紹介で原爆被害者住宅へ住むようになった。しかし、顔にはケロイドが残り、恋人にも別れを告げられた。両親も亡くなり心もずたずたとなった。しかし、市の紹介で被害者に理解を示す商店に勤めが見つかった。
 住宅には若い人から老婆の被害者が多く住んでいたのだが、前途を悲観し泣き崩れていたのも少なくなかった。その日、妙子が勤めから帰宅したら老婆が自殺したと聞かされた。今年で4人目だという。妙子は中の良い老婆だったので心が揺れ動き、自身が、この先、生きて価値があるのだろうかと思うのであった。そして、深く、死と生に対して悩むのであった。
                               
                              第6話終了

映画鑑賞

2013年05月07日 | Weblog
映画鑑賞
アンナ カレーニア      渋谷 道玄坂
 4月1日に渋谷でアンナ アレーニアを見た。映画は他国を知り、人間を知り、風景、時代などさまざまに教えてくれる。この映画は、ロシアの貴族階級が主役であるが、人生には金持ち、貧乏人、運が良い人、悪い人とまたさまざまである。映画のストリーは、政府要人の夫人と貴族の青年とが恋をするが、人妻の故に、世間にはうけいれられない。しかし、2人は熱烈に愛し合うのであった。もう一方は、破れた愛が、時を立ち、また、再び純粋な愛で結ばれるのであった。二組のいずれも貴族階級である。映画は古い年代のロシア貴族の生活、また、風景、雪国、競馬などさまざまに楽しませてくれる。映画の色彩の素晴らしさも楽しめる。ラストシーンとなると、主役は熱烈に愛し合ったのも時がたてば忘れたように、女性が自殺となる。現在社会、また、さまざまであるが、映画のような悲しい結末でなく、勝利の人生を歩みたいのは誰しも思うものである。映画を見た後、道玄坂、センター街など散歩を楽しんだ。飲食店、ファツション店などが集中し若い人たちも多くにぎやかであった。
映画の歴史というと1893年に米国のエジソンが自動映像販売機(映写機)を一般公開し、フランスのリュミエールが1895年にパリで試写会をした。日本では、1896年神戸で映画上映された。最初の本格的映画は1908年の本能寺合戦の劇映画と記されている。戦後の映画の黄金時代の1951年ごろの黒沢明監督の羅生門の作品はじめ他の作品も国際的評価が高かった。
 現在、映画、インターネット、スポーツ、ゲームなどさまざまな娯楽があるが映画は古き時代より庶民に人気がある娯楽でもある。