平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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  2014年 OPINION

2013年12月31日 | Weblog

  2014年 平成26年 

明けましておめでとうございます。
   本年もよろしくお願いします

                       月刊 KIBOU


 

 灯り  
       OPINION  
 

 世界はタイ、エジプト、シリアなどさまざまにゆれる。
我が日本国も、TTP問題、尖閣諸島問題や韓国との竹島問題
もある。TTP問題は経済であるから時がたてば解決するであ
ろう。尖閣問題は、過去に日本軍が、中国を強制的な軍事占領
をしたとなどの歴史的な背景があるので国際機関を通じて話し
合いが必要ではないだろうか。最近、中国が防空権で尖閣島
などの上空区域設定をし、米国が仲裁はいるも中国の主張を多
少認めているようである。その点から日本の一部では平和憲法
の改正の発言もある。しかし、日本はさんざんに戦争をして敗
戦しその苦しみをしっているのでそれはないとおもう。暴力は暴
力で滅びるのは、いつものの世界の現実である。今、非暴力主義
者が注目されている。12月5日に死去した南アフリカのネルソ
ン・マンデラである。彼は、アバルトヘイトで27年間獄中闘争
し勝利し黒人社会に光を与えたのであった。その昔、インドのガ
ンジー、米国のキング博士も非暴力で戦った。平和は誰しもの願
い。仏法では、誰しも尊い生命があるという。故に、どんな状態
でも話し合いで解決すべきである。

              KIBOU 2014年1月

  第36回   池田大作先生研究所  最終回

2013年12月26日 | Weblog
第36回   池田大作先生研究所  最終回  

広宣の一番星と勝ち光れ   池田先生 (創価新報 26年1月1日) 

池田先生は、上記の文の如く毎日といっていいほどメセージなどで励ましをしている。青年、壮年、婦人、少年などに。信仰、すなわち、日蓮大聖人の仏法を信仰している故に、悪口などされるひとも少なくない。故に、落ち込むことや闇にもなるのであるが、信仰には難があるのは当然であるので、池田先生は、勇気や仕事のことなどさまざまに励まししている。それも日本だけでなく世界である。今、創価学会は世界192カ国に流布している。日本は平和であるけど世界は内乱や不況などさまざまな国がある。故に、非暴力主義の創価学会メンバーは活動しているがまた困難な場合もある。しかし、池田先生のメッセージは大きな勇気をくれるのである。平和のため、人々の幸福のために懸命なのである。
 どんな悪口、嘘言を言われても、非暴力主義で戦っているのには驚く。相手の幸福を祈り、そして、対話が武器である。 
話は変わるが、上記の文を、愚人が研究すると、広宣とは、日蓮大聖人の仏法を広めることで、それには、さまざまな苦難が立ちはだかる。悪口、嘘、難、迫害、友人や、社会的地位の人からの迫害もあるだろう。しかし、負けてはいけない、社会を良くし、人々を幸福に導ける。そそて、自身の業を変えられる。生まれたときからの悪い業を変えられる。例えば、金欠病、仕事の悩み、彼女がいない、友人関係問題などさまざまな問題の業が変革できる。そして、一番星となれば輝き、幸福に包まれるのである。ちなみに、池田先生は、若い時は、貧乏で体も弱く、医者から短命と言われた。しかし、一番星と輝き、会館も多数作り、本年も大きな本部会館も建てた。また、長生きで80歳すぎても若々しさが失わない。見事な人間革命である。
なを、多くの方が見ていただいた当研究所も、今回をもって、研究所は終了します。当研究所は、正しき理解を発信し世界平和を目的を持って制作しました。ご存知の如く、世界は、混乱で困難状態や、困暗の人、また、泣いている人も少なくありません。そのなか、池田先生は、平和のため、世界の人々の幸福のために活動しています。その御理解をいただければとの思いです。それが平和につながってまいります。ちなみに、世界では、大学等で、池田先生の研究や、池田先生の思想の研究所などあります。それも少なくありません。それほど、平和の活動者、池田大作先生は求められています。謹言。 
MT 12月26日     

Infromation

2013年12月23日 | Weblog


         infromation


優曇華

 宇宙には無限数の星があるといわれている。もしかしたら、御先祖がいるのかな。



アンテナ
11月
フイリッピン 大型台風上陸 大きな被害がでた。
 
イラン 核兵器開発中止へと国連と話し合する

スーダン 南部で抗争 100人死亡


文化
東京美術館
ターナー展
10月8日―12月18日
場所
上野公園8-36
03-3823-0921

ターナーの絵は、文豪の夏目漱石も感銘させた名作品である。

KIBOU

  クイズ

2013年12月19日 | Weblog
クイズ
    

    特定○密保護法案           
 
  問題 上記の○の字は何の字か?


 ヒント 下記から
       
  比 日 火 ひ 昼 秘 必



 将棋の答え

 次の一手は  2一 角成  
              

  

旅    横浜

2013年12月14日 | Weblog

       横浜   美術館 
    
中華街   日本丸
10月中旬に横浜美術館に行った。この日は、横山大観展、良き師、良き友を開催していた。多数の人が開展前から並び人気を現していた。さまざまな絵が展示され、そのあでやかな絵に魅力されていたのは自だけでなく、鑑賞に来ていた多くの人たちも同じであった。
 横山大観は水戸の生まれ、東京美術学校で学び、岡倉天心を師として美術を学んでいた。師が排斥された時、師とともに行動された。のちには、大きな作品など発表し大きな評価を得ている。代表作
 というと、“無我”“屈原”“大楠公などある。しかし、師を大切にしている人は大きく成長できる。例えば、野球でも、フォームの欠点を指摘し修正し打てる如くである。 
 横浜というとさまざまな観光地がある。日本で2番目に高い超高ビル、ランドマーク 横浜名所を走る2階建バス、味の醍醐味の中華街、帆船ハンセン・日本丸、日本丸は、大型練習船で昭和5年に進水し半世紀にわたって活躍した。ちなみに、日本丸はその美しい姿から、(太平洋の白鳥)(海の貴婦人)と呼ばれていた。他、野毛山動物園などさまざまに観光地はある横浜である・

参考 
横浜美術館 みなとみらい駅から3分
日本丸 桜木町駅から約7分 (写真)





月刊 KIBOU

人物伝     巨星音楽家  バッハ

2013年12月10日 | Weblog
人物伝
   巨星 音楽家
 バッハ 

(ドイツ 1685年―1750年)

音楽家の故に、宮廷から追放や迫害された。また、優秀な音楽を作曲されたが、当時は無視され葬られた。死後は、バッハの作品は西洋音楽に大きな影響を与え、(音楽の父)と呼ばれている。
  
バッハは、ヨハン・ゼバスティアン・バッハの名前で、9歳で母が死去、10歳で父が死去で兄に引き取られるが生活難で給費生となった。のち、音楽が優れ宮廷楽団に就職する。
 
 1708年には宮廷オルガニストになり、のちに、楽士長に昇進するも、お家騒動に巻き込まれ投獄された。
 
 のちには、長年住み慣れた宮廷を追放され、他へ就職する。そこでも、権力争いの犠牲になり音楽活動など不遇されるも忍耐し作曲活動など活発に行った。その後には、宮廷の楽長の就職問題で交渉し就職するも、1750年頃に目の手術を行うも失敗し薬を投下も高齢の体で弱体となり寝込体となった。のちに、炎症をお越し死去する。財産は、20台の楽器と莫大な楽譜だけであった。
 
 バッハが世界的に有名になったのは、メンデルスゾーンによる。彼は、バッハの弟子の弟子に音楽の教えを受けバッハの音楽を理解しその音楽の素晴らしさを世界に訴えた。そして世間は、バッハの音楽の素晴らしさ、価値を知ったのであった。



月刊  KIBOU

灯り   opinion

2013年12月01日 | Weblog
灯り

   opinionthe whole world confusion the weather the same other day.
フィリピンでは大きな台風があった。報道によると、死者が4460人、避難者が1180万人である。直撃した中部レテイ島に米空母が救助にいき活動している。日本も医療チーム、自衛隊が救援活動している。
 レテイ島というと第二次大戦で、連合軍と日本軍の海戦があったところである。現在は、観光地ではないが、外国客が訪れ、また、ホテルなどの設備は整っている。
今回、フィリピンを襲った台風330号は、風速65m 最大風速は90m観測史上例がない勢力であった。台風というと日本はよく来るのであるが、突然に発生するので、地震と同様に困り者である。
天災、地変の歴史を開くと、鎌倉時代には大きな地震があった。
また、日本の災難でもあった蒙古軍が日本を占領するために攻めてきた時代でもあった。この鎌倉時代は、末法の仏様、日蓮大聖人が御出現された時でもあった。天災、災難とうから身を守り安穏な生活にはと法華経を弘教されたのであった。
 鎌倉時代14代目、北条高時の代に、これも人災、災難というべき、敵の新田軍が鎌倉を侵略し、北条高時が自刃し鎌倉幕府は滅びたのであった。
 話は、それてしまったが、天災、災難は昔からあった。天候不順で農作物とうの凶作、世界的には飢饉とうである。故に、人々は、太陽や土偶とうに豊作とう祈ったのであった。その昔、中国の王は、日照りが続き穀物は凶作となり庶民の生活は困難きわまったので、僧侶に祈らしたのであった。その僧侶が正しければ、雨は降り豊作になる。しかし、誤っていたら、反対に日照りが続き凶作となる。それほど、祈りは生活に大きな源となるのである。今回、大きな被害を受けたフィリピン レテイ島の復興と人々の幸福を祈りたい。 


 月刊 KIBOU