平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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2009年05月30日 | Weblog
旅 1990年5月 神奈川の衣笠城跡公園に旅に行った。ここは、鎌倉時代、三浦氏の領地だった。三浦一族は鎌倉政権の重臣で栄華を極めた。しかし、宝冶の合戦で負けて滅びた。その城跡付近はハイキングのコースでハイキングの客もいた。己はここで道に迷ってしまった。話は変わるが、人生に迷っている人は多いいのではないか。明確な目標もなく。生きることは目標は大切である。日蓮大聖人は(法華経と申すは一切衆生をほとけになす秘術まします御経なり)すなわち、迷いの人生、暗闇の世の中でも哲学を持っていれば強く生きられる。ソクラテスだって、正義を行っていたが、迫害悪口の人生だった。しかし、堂々と生きていた。眼力を光らしていた。希望を持っていた。哲学があったからである。はなしを戻し、道に迷ったが、元に戻って道を歩いた。

池田先生云わん(社会や人生には(幸福)と見える姿は多くある。しかし、、永遠に崩れない(実像)の幸福は、仏法による以外にない)すなわち、お金持ち、別荘もちの人もいるが、家族での喧嘩、対話なし、では幸福とはいえない。また、たとえ仲良くても、来世はどうだろうか。疑問である。お金を持っていけないし。

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2009年05月29日 | Weblog
 日蓮大聖人云わん、(40余年の諸教に会うことは大微塵よりも多く法華 涅槃に会うことは爪上の土よりすくなし)

 解説 釈迦はさまざまに方便をといた。その経に会うことは希ではない。しかし、法華涅槃に会うことは希である。その希な法華はダイナミックである。そして、スケールがおおきい。その一つには、女性を男性と同等とみなしている。欧米諸国でも魔女狩りあった如く、女性を差別していた。また、中国の儒教もそうだった。日本でも女性はそうだった。

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2009年05月29日 | Weblog
童話 海で私に会うことは難しい。昔はたくさんいてよく会えたものだ、しかし、狙われt、仲間は羽毛や布団にされ高く売れるので狙われたのだった。私を人が呼ぶ名はハホウドリ、又は バカトリト呼ばれた。私は畜生のみだが、上から人間さんをみてると、騙しあったり、汚職もあり、さまざま。騙しあいしないで、仲良く生きればいいとおもう。

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2009年05月24日 | Weblog
神奈川県の金沢文庫への旅 ここは鎌倉時代からでも有名だった。文庫は、すなわち、ここにある図書館は鎌倉時代に建設された。その行った日は、仏像、経典が展示されていた。仏教というと、聖徳太子の頃に百済から伝わってきた。それまでは、日本は神の国だった。歴史は勉強になった。ここの港の風景は煩悩から解放されるような気分になった。景色は良い街だった。しかし、海の汚れもあった。さぞかし、昔は良い風景だったと思う。

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2009年05月23日 | Weblog
今の世の中は人により困難な世間である。お金がない、人間関係がうまくいかない、将来が不安であるとか悩みが深い人も少なくないだろう。そこで、人生の達人である、戸田城聖先生は明快な答えをだしている。ちょっと紹介するが、戸田先生は多くの青年を育てた。今は世界的な創価SJIだが、まだ、悪口がすごかった頃、創価を育てた人である。戸田先生いわく(この世の中には、お金に困り、病気に苦しんでいる人がいる。心から楽しい生活をさせるには折伏以外にない)すなわち、悩みに生まれてきたのではない、お金に困るために生まれてきたのではないのである。心から楽しむために生まれてきたのである。
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2009年05月17日 | Weblog
日本にはカモメの種類が12ある。そのカモメは上空から魚を見分けられる眼力がある。馬は足が速い、犬は鼻がいい、牛は牛乳を出す。生物はそれぞれ特徴がある。人間にもさまざまな財がある。眼力、天眼、肉眼などもそれである・世界はさまざまに揺れる。正しき眼力を持って生きたいものである。MINtabi 17

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2009年05月16日 | Weblog
雪山童子 仏教説話 その昔、釈迦の前世の修行時代、雪山童子は道を求めて修行した。その前に、突然に帝釈が鬼に姿を変えて偈を説いた。雪山の修行を試したのだ。雪山は残りの偈を聞きたくて、鬼の要求に応じ高い木から身を投げた。しかし、鬼は帝釈に戻り雪山の身を受け止めた。この話を聞くと、私たしは一般に小物や人相の悪い者を小ばかにしまいがちになるが、しかし、その人達は良く人生の道を知っている人も少なくはない。もしかして、帝釈天の変装かも。 

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2009年05月09日 | Weblog
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絵鑑賞記  源平海戦絵巻 第2図 作品者 絵画家 中村正義(19224-77)展示場 東京国立美術館 
 有名な源平の戦いの絵である。絵には兵士が300人以上画かれ、それぞれ顔も姿も違う。ある兵士は槍を、ある者は刀を、あるものはものすごい顔で敵に立ち向かう。軍舟も細かく書き、両軍の旗も赤白見事に画いている。絵巻の大きさも大男が20人ぐらい入りそう。いや、それ以上かもしれない大きさで見事に画かれる。絵巻には勝利者の大将なのか、堂々としていた。しかし、人生は勝利し堂々としたいものである。ちなみに、源平の戦いは敗者の平家の幹部クラスは街にひきまわしされたのだった。いつもの世でも勝利と敗者は大きな差がある。

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2009年05月06日 | Weblog
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鯉のぼり、中国に鯉が上る滝がある。その滝に昇りきれば竜と成る。竜は空に舞い上がり雨を降らす。しかし、鯉が滝に昇るには狼や漁師、熊などが狙っているからなかなか昇れない。しかし、昇ればたいしたものである。これを考えると、わたくしたちは社会生活にてさまざまな出来事がある。学生諸君も同じである。いじめる人、睨む人、仕事がきつい人など、しかし、人生に勝によってまさしく竜のような勇ましく人生を舞うである。勝とう、人生に、そして、笑おう。

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2009年05月04日 | Weblog
5月の節句 男らしい人物を祝った。その昔、真面目に庶民のために働いた。しかし、妬まれた。悪口を言われた。国王につげ口された。嘘の悪口を。国王はひかかった。その悪口を信用してしまった。そして追放である。まじめにやっていたその人物は追放された。しかし、今も、その人物は人々に人気がある。なぜか、庶民は正義を愛するからだ。
 しかし、負けては泣くだけだ。騙されては馬鹿を見る。見破ろう真実を。