goo blog サービス終了のお知らせ 

平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

トップページに平和の歌が投稿

Opinion

2016年09月30日 | Weblog

灯り

     OPINION

 世界は北朝鮮が核実験で不安を与えイスラム国がテロでフランスなど庶民に恐怖を陥れた。先先はどうなると不安を持つのは少なくない。宗教は庶民に安心を与え国を平和に導くのが本来の目的である。しかし、戦争やテロに限らず、様々な事が起きている。例を上げれば、地震や台風での洪水などでの冠水、天候不順での果物等の被害、また、経済不安や医療費問題など。経典には、現世安穏と説かれるが、安穏生活なんて、夢の話のような思いである人は少なくない。その経典というと、大陸で生まれ、57千巻ともいう大きな数の経典があった。しかし、経典には、浅深、大小、方便、権教などがあり、日本に、538年に百済から伝わってきたのでありました。なかには、偽物や浅教など無利益のものが利益目的で売買されたのも。この点が問題で、偽物をつかまされると被害がある。例えば、ニセ札のように、無価値になのである。無価値では、安穏な生活など思っても無理である。歴史を見ると、中国や日本でも経典に説かれた安穏の時代があった。故に、真実に縁すれば安穏な生活は可能なのであります。

                                          月刊 KIBOU 10月


 核問題

2016年09月24日 | Weblog

23

国連安保理

核実験自粛採決  2016年9月

国連安全保障理事会が23日、核実験全面禁止条約(CTBT)の早期発効と、すべての国連加盟国に対して核実験自粛を求める決議案を採択する。CTBTが国連総会で国連総会で採択されて9月24日20周年となる前に核兵器のない世界をするために環境設備とのことである。決議案は米国が提案した。

 

参考 核兵器禁止条約(CTBT)1996年国連総会で採決。発行には核開発能力を持つ44カ国の批准が必要。米国、中国、エジプト、イラン、イスラエル、インド、北朝鮮の8カ国は署名していない。署名国は188カ国  2016年9月23日 毎日

 

解説 核の恐ろしさは広島、長崎で示した。広島では1発で20万ともいわれる人が亡くなった。

その恐ろしさは、多大の庶民の活躍で、世界の国に知られた。故に、禁止には批准が必要だが、核実験の禁止に世界の国の183カ国が署名されている。核廃棄の道は遠いいが、核恐怖の認識は多大である。故に、庶民のこれからも、善の声が大切である。


    なぞなぞ?

2016年09月22日 | Weblog

                                     

  なぞなぞ?           

 何も持たず、長い距離で、世界の国が競争するのは何か?

 

 

ヒント 世界の平和のシンボル

  古代オリンピックはギリシャ人しか参加できなかった。

近代オリンピックの基礎を築いたのがピエール男爵(フランス1863-1937年 )

                    将棋 答一7桂成 


   旅情報

 黒部渓谷トロッコ電車

  9月

東京駅出発―

富山駅―宇奈月駅

1泊2日

51,800円



 旅  渋谷

2016年09月17日 | Weblog

思い出の旅 2007年3月

          渋谷

 2月3日に渋谷の戸栗美術館にいった。ここは、歴史が光る陶器の専用美術館高度の高い作品が楽しめた。今回、鍋島の陶器が主たる陶器であった。江戸時代、鍋島藩は将軍への献上は陶器を陶器であった。故に、藩の優れた作品が選ばれ江戸へ献上されたのだった。陶器というと有田焼その系列の鍋島陶器は優れ特徴の一つは赤、青、黄、緑の4色の色を使った花などの絵があげられる。江戸時代に作られたが、現在似ても見事に色彩が出ている。 また、大川内山鍋島藩大皿(佐賀県重要文化財写)やさまざまな陶器が展示され見応えがあった。

戸栗美術館というと、実業家戸栗氏が長年において保存しておいた文化的価値ある陶器を一般公開を目的に1987年10月に設立された。収蔵品の大半が陶磁器であり、日本でも数が少ない陶磁器専門の美術館である。ちなみに、陶器、伊万里焼きは1650年に西欧向けに輸出が始まり多大の人気であった。しかし、17世紀には中国との価格競争で敗れ停滞し国内向けに作られたのであった。現在も自動車や食料品などさまざまに国際貿易がありその競争もまた厳しさがあるのだろう。渋谷というとビルなどで近代的な街と思いがちであるが、戸栗美術館近辺には池もある公園がある。ここの公園は、江戸時代鍋島藩が茶園を開いていた場所であった。松涛の名は、茶の湯のたちぎる音からその名がついたという。渋谷で有名なのが、忠犬ハチ公である。渋谷駅前にある。都心なので、渋谷を散歩などで楽しむのもいいとおもうのである。




詩 核廃絶へ  広島と16歳の娘

2016年09月13日 | Weblog

広島と16歳の娘   

 

1  8月6日 ピカと 一瞬に街は焦土 黒石炭のように人が黒死

 目が飛び出した盲目の学童死ぬ 

焼死の赤ちゃんにトマトを食べよ母が泣く

 

2  私は16歳 過去のことは知らないけど 広島はきいている   

   一瞬で万人が亡くなり 千人乙女がケロドで悩んだこと 

   幸福は誰もが願う

 

3  私は娘 希望が胸いっぱい 恋をし彼とのバラ色の人生を

   えがいています 一日は充実し楽しいの 未来の幸福と国の

   平和を願う

 

作詞 作曲 中道 進    2016年8月5日

 

 

解説 1番は戦争体験者の話である。体験者の話は貴重である。テレビや漫画で戦争をあこがれては大変危険であります。2と3は、現在の女の子の姿で、平和を望んでいる。自己だけの平和、幸福では破壊してしまう。他を思ってこそである。この作品は曲もあります。

 


短編  七珍万宝

2016年09月10日 | Weblog

短編     七珍万宝   作 中道 進

           1母

 国男は18歳である。今は、製本会社に勤めているので生活は何とかできた。小さい頃はお父さんが7歳の時に亡くなった。母が、働きの生活だったので大変であった。学校から帰宅しても母がいないので寂しい思いをいたのだった。

――国男、勉強をしっかりいて下さい。母は国を励ます。国男はただうなづくだけだった。母は、夜遅く帰宅していた。夕食は前の日に、母が用意した簡単な食事をしていたのであった。

国男が13歳の時、ある日、母が国男に大事な話があるといった。母は夜が遅い仕事なので体が不調なので急死をしまっては話せないと思ったのだろう。

――国男、お前の亡き父が、お前にと残してくれたのがある。この木箱に入っている。母は、箱を出した。その箱は底は浅く、縦30センチ、横20センチの箱だった。もし、母に何かあったら国男はその箱をいただけるとのことだった。

 国男は中学をでて製本屋に勤めた。勤めてすぐに母が亡くなったのだった。夜遅い仕事で、無理もあったのだろう、まだ50代の若さであった。

 国男は安い給料で残業で夜が遅かったが一生懸命に働いた。

製本屋は小さな会社であった。国男の他、先輩の新一がいた。

 2 宝    

 さて、話は変わって、七珍万宝というと、まさしく、字のごとく七つの珍しい万の宝のことをいう。金、銀、瑠璃、シャコ、瑪瑙、真珠、マイカイをいう。

珍宝というと、例えば、ダイヤモンドのレット・ベリルは世界でユタ州トニユーメキシコ州の一部しか産出されず、採算ペースで採掘することは極めて困難である。世界にない宝は価値が高い。価値が高い故に、高く売れるのであるようするに、七宝があればお金持ちなのである。故に、その道の人は血眼になって探すのである。    次号へ


核問題 核廃絶へ

2016年09月08日 | Weblog

核廃絶へ

9月8日 原水爆禁止誓言された日

 1957年9月8日戸田城聖が原水爆禁止誓言をされた日である。当時は世界大国が核兵器勢力拡大であった。戸田城聖(創価学会第2代会長)は、核の恐怖を危惧され原水爆禁止誓言をされた。同精神は、池田SJI会長が継、各国のSJIメンバーが運動をされる。(S)

 現在、SJIメンバーは、国連主導の核兵器廃絶機関等と連帯し広島などの悲劇の実態など体験談や写真展など開催し世界に反響を与えている。

 2016年8月29日、核実験に反対する国際デー等の国際会議が、カザンスタン共和国で行われた。この会議にSJIメンバーが出席され、核廃絶等を訴えた。

参考 カザンスタン共和国 北東部のセミバラチンスク核実験場では、1949年から40年でソ連が450回超える核実験実施し、住民は今も被爆による被害に苦しんでいる。(S)

 

解説 現在、北朝鮮の度重なるミサイル実験、また、世界の大国の核の拡大、減少問題など世界的な問題である。今、核の脅威、恐ろしさは広島型より100倍の威力がある。広島では一回の核投下で20万ともいわれる死者であった。これも考えても恐怖がある。戸田先生は、広島、長崎の被害状態から核の恐怖が将来的に市民にいかに危険を与えるなど思唯され核禁止誓言をされた。この誓言は、今、世界的にも勇気、灯りのとう与えている。故に、戸田城聖の大きな眼力に驚かされる。


旅 三崎港

2016年09月05日 | Weblog

旅 神奈川県三浦市

        三崎港

87日三崎港にいった。ここは、マグロなどで有名な港どある。この日は、日曜であったが、魚市場はやっていた。隣接の野菜市場には、大きなスイカが展示されていた。なんでも、45キロはあるという。三崎は農業も盛んで様々なものが売られていた。魚市場の目の前の港には、小型船や、マグロ船がいた。マグロ船は、航海出るど、インド洋などへ操業するので日本にはしばらく戻ってこないのである。

三崎港の前には名物のマグロが食べられる食堂が並んでいた。また、魚市場の上にある食堂は、マグロ目当てのお客の行列であった。聞くところによると、東京からの観光客が多いという。三浦というと、鎌倉時代、源頼朝政権を支えた三浦一族が有名である。また、のちの、油壷で北条軍に敗れたのと三浦軍の悲衰も伝わっている。話は変わって、近年、三浦市は、マグロの水揚げも減少しているので三崎など古風的な街並みなどの観光にも力を入れている。ちなみに、三崎近辺の観光地は、関東でも有数な海岸の三浦海岸、自然が楽しめる、城ケ島、海面がきれいな油壷、他にさまざまにある。

 

交通 三崎港

三崎口駅(京急)よりバス



 核問題

2016年09月02日 | Weblog

北欧で核兵器なき世界への連帯展

ノルウェーの名門ベンゲル大学で核兵器なき世界への連帯展が開催された。これは、SJI(創価学会インターナショナル)が、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)の協力で制作された。

 情報によると、今回の開催である同校の学生は(ノルウェーの誇りの一つは、ノーベル平和賞の授賞式が行われること。幼いころから、学校で人権や平和について学び、語り合ってきました)と。

解説 現在の核兵器の威力は、広島、長崎型より100倍の威力がある。広島型で一発で20万人が亡くなったともいう。これを考えても恐ろしいものである。現在、戦争映画などで、暴力が英雄化されてもいる。これでは、青少年が迷い暗闇に入る。故に、真実の悲劇の実態、被害者の声、当時の写真など悲劇の実態をしることは大切でないだろうか。故に、同開催は貴重なものである。