平和の歌・核兵器絶滅へと戦った英雄の歌

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詩  明るく

2010年08月31日 | Weblog

明るく 
辛くても 明るくすすむ
表は嵐でも 心は
晴天 故に 明るく
前進かな
人生はいろんな事がある
故に 少々の事で怒るのは
やめて 明るく前進へ
          遊歩

童話 山と草原 30

2010年08月21日 | Weblog
30 雑草は強し

空清 そこにいる雑草君 君は嵐も負けずに強いな
雑草 ははは 踏まれれば踏まれるほど強いぞ
空清 人間も鍛えていなければ弱い
雑草 ははは 厳冬は雪の中で辛抱 辛抱の連続 嵐は甘い
白老 お前たちなにをしている お前は人間界から来たな 欲の塊だ 自然をいじめて
空清 企業はお金が必要なのだ
雑草 しかし お金 お金お金では
白老 警告だ 自然との調和が大切だ 温暖化で苦しむ
空清 わかっているよ しかし
雑草 辛抱 辛抱
空清 しかし 人間界は辛抱は限界がある
            次回へ

童話 山と草原 参考

2010年08月18日 | Weblog
 山と草原

 空清は草原や山たちの要望で、リスの案内で広場に来た。自然界は嵐、大雨、風のあばれで大弱りであった。風が吹けば、弱い雑草たちは吹き飛ばされ生命が終わりになる。

 余談であるが、草にも家族の生命がある。種から大きく成長し自然を楽しむ。人間界も親は子供の成長を喜ぶ、自然界もおなじだ。しかし、草は無情界だからぎゃぎゃ騒げない。花だってそうだ、散る時は、種を、オシベ、メシベたちは次の世に期待をする。カブトムシの場合は子供に財産を残す。

 猫や犬たちの親は子供を丁寧に育てる。猫などは子供に餌のとり方を教える。鹿は猟師にわが身を犠牲にし子供を逃す、熊は雄はわが子を食べようとするが、メスが子を守る。
 
 少少話は長くなったが、もう一つ、動物たちも家族、組織を機能している。ゾウは雌が長老で組織を運営する。雄は出て行く。雌は勝れているのだ、子を育てたり、何かと。子供は男親にはーーーー。
              次回へ
                    

続4

2010年08月15日 | Weblog
 続4
太郎 日本の第二次大戦はどうしておきたの。日本の武器はひどかったというのに。外地で話しにならなかったという。
おじさん 不況、怒り、欲望など人間の心の病気からおきた。日本の武器。竹やりとピストルぐらい差があった。
太郎 日本の指導部の判断ミスか。
おじさん 判断ミスでは済まされない。多大な人が亡くなった。
太郎 負ければ賊で逃亡生活なのに、日本は残ったね。
おじさん 戦争で相手国の兵士等死んでいる。その分は返してもらうのが当然。故に、敗戦国の処罰は当然。昔だったら、庶民は奴隷だ。
太郎 故に、日頃の政治などの監視は大切だね。勝手に指導部が戦争起こされたらかなわないよ。
 しかし、戦争反対者もいたんでしょう。
おじさん 当然にいた。だが、憲兵隊の目は厳しく、言論の統制をした。
 自由に書けば連行した。

太郎 聞くところによれば、牧口常三郎先生は戦争の反対をし、庶民の幸福のためにがんば ったという。
次郎 まてまて、仲間にいれてよ、その牧口先生は創価学会だろう。やめてくれよ。なに  か、創価学会は悪い評判だ。
太郎 駄目だよ、うわさで判断しては。創価は平和の団体、人々が幸福になるために真剣に 行動している。
次郎 しかし、うわさでは悪口が、お前もか。
太郎 熱心ではないが、しかし、彼らは平和のために真剣に行動し、多くの方が幸福になっ ている。
次郎 なに、嘘言うな。
おじさん まて、怒るな、君がうわさにだまされるのは無理はない。経典にかいてある。悪口、迫害があると。しかし、それらの悪口、迫害に負けずに人々の幸福のために弘教すべき大切さをも出ている。
次郎 なに、悪口、嘘、迫害もあるとあるのか。それらに負けずにがんばっているのか。
太郎、話は戻るが、戦争の時、牧口先生は己の幸福、他人の幸福、国の幸福、世界の幸福の ための行動した。しかし、迫害され拘置され殉死された。
おじさん 牧口先生は、戦争反対し。権力による殉死されたことは知られてなかったが創価 学会第三代会長池田先生が真実を訴え現在は世界に知られている。悪口、迫害に負けずに真実の言論をされたのだった。ちなみに、世界で は 創価SJIは190カ国以上に流布し ている。

次郎 今は核の時代だ、お宅さんらは、核の廃絶にも力を入れているね。世界に回ってパネ ルなどで核の恐ろしさを訴えているようだね。しかし、うまくいくか。強国は血眼だ。核 さえあれば安全だからだ。強国に利用されているのではないか。
太郎 核の今の威力はすごいぞ。多数の人が亡くなる。街も家も破滅だ。ソ連の原子発電所 の事故はひどかったよ、豚も牛も奇形で生まれた。目も足もない。人々も苦しんだ。後遺 症でくるしんでいる。これが武器だったらそれ以上ひどくなる明快だ。故に、核廃絶は当 然だ。
おじさん 急激の革命は危険だ。ゆっくりでいい。有名な言葉にある。カタツムリのごこと ゆっくりと。謹言

続 3

2010年08月14日 | Weblog
大戦で日本は負けた。負ければその国は奴隷国となるのが当然だ。中国では昔、負けた国の男たちは、牛、馬より安く売られた。アフリカでは負けた国の男たちは奴隷として売られた。負けたのだからしょうがない。日本でも源平の戦いでは、負けた平家はさんざんにされた。将校はさらし首だ。大戦では米国は、日本に温情をしました。キリスト教の国だったからであろう。それにしても相手国に恵まれた。これが、ソ連だったらどうなっていたか。
まあ、それは、おいといて、ひどいものだった。敗戦国の日本は。故に、戦争は二度と起こすべきではない。核兵器は廃棄すべきである。
 私は関係ない。外から見ているでは無責任である。禁止、使用しない心が大切である。例えば、私は関係ない、見ているわで、日本国が借財、赤字再建で首が回らなくなり、国際資金からお金を借りる。そうなっても、関係ないとすると、そのうち、日本経済はパンクで経済は国際が管理する。そうなると、重労働させられ個人的プライバシーが守られずおかしくなってしまう。それでも関係ないでは人間性もとおもう。故に、その前に、監視、政治の監視、悪には許さぬ心がたいせつ。犯罪者を野放しにすればいい気になりよけい悪くなる。
 故に、監視は大切ではないだろうか。核兵器は恐い、大量の人を殺す、後遺症で多くの人が泣いてしまう。魔の武器である。ルールを無視した武器である。

  2 続き

2010年08月10日 | Weblog
 戦争映画は青少年を戦争に夢を持たせる。暴力映画、暴力漫画も同じ。世の中そんな甘くはない。だまされてはつまらない。人間の生命はお金には変えられない価値がある。
 平和、幸福は人間の求めるものだ。笑顔の家庭、安心の世の中、天下泰平は万人が求めるものだ。その昔、中国では太平の時代があった。役人は汚職をやらず、青少年は年上を大事にする。人々の心も穏やかで道で拾ったお金は届けた。就職も困らず、齢をとっても困らず、話は飛んでしまったが、要するにだまされないことである。
 核兵器があれば国は安全と思い装備をするのであろうが、しかし、大量に人を害にする武器である。人間にもルールがある。常識ある社会生活してこそ世間が認める。戦争にもルールを設けるべきだ。大量殺人化学兵器や何十年も後遺症にする兵器は廃棄にすべきである。

 昭和の始め頃、第二次大戦の時、日本は軍部が力を持っていた。憲兵隊を使い言論を統制した。自由に発言したならば早速警察が身柄を押さえた。そして、ヤキを入れた。逆らうものはひどい仕打ちをした。
 青年らも軍隊へ。強制てきであった。軍隊では鍛える。言うこときかないにはバットにちかいものでヤキである。純粋な青年にもヤキである。
 ひどいものだ。戦争は。多大のひとが外地でなくなった。むしけらのように。夢、ロマンを、希望を持った青年は目を輝かせていた。しかし、平気で鍛えた。暴力で。日本国の名をもって逆らうものは弾圧した。青年はめの輝きは失せ、失意のドン底であった。
 そして、特攻隊の命令だ。逆らうのは反逆の名を持って弾圧。ひどいものだ戦争は。そして、武器を、無敵の武器開発に懸命になり各国はあらそう。核兵器はまた恐ろしい武器であった。
 しかし、戦争の時でも平和を求めていた人達は活動した。権力から弾圧されながらも平和活動した。中には、権力に拘束され絞られて我慢し時を待った人たちもいた。
 

核廃絶の道

2010年08月09日 | Weblog
戦争はなぜおきたか、戦争で子供、女史等が泣いてしまう。米もない、おかずもないないないである。若い兵隊は、だまされて、いやいや、マスコミの戦争のあおりで兵隊は美談となし、日本列島は参勇士を宣伝した。これに青年は憧れた。満々とだまし、いや、宣伝にのった。ムリもない。マスコミの英雄扱い。
 戦争に行った青年は悲劇だ、なにもないのだから、あああ、あった、びんたが。上官のびんた。ひどいものだよ。特攻隊は帰りの燃料は入れない。特攻の青年は可愛そうだ。
 だまされるな。戦争は悲劇、核兵器は大量殺人武器、廃絶すべきである。核兵器は廃絶すべきである。

被爆

2010年08月07日 | Weblog
原爆の恐さ  広島
爆心から1,2キロ地点 その日のうち 50%死亡 45年12月末まで14万人死亡

 婦人の体験 (爆心から1,2にいた) ( 大勢の人が逃げてくる。顔が腫れはがり、男女の区別がつかない人が、バタバタと倒れていく。皮膚が指先に垂れ下がり、水をくれ!とうめく
 (体験者は父を原爆でなくす。本人も原爆症にかかり、せきたんで苦しめられ、ガンによる死亡の恐怖感になやまされる。しかし、立ち直り、現在は明るく生きている)


 解説 恐いものだ一発の原爆で多大の人が亡くなった。今年も、その後遺症で多くの方が亡くなった。しかし、体験者のはなしだと、原爆で、顔が男女の区別ができないというからひどいものだ、水くれはのぞが熱くて体があつくて、水がほしくてしょうがないじょうたいであったんだろう。恐ろしいものだ、将来の原爆の廃棄は当然だ。

核問題   戸田平和記念館

2010年08月04日 | Weblog
核問題
横浜 戸田平和記念館  (反戦 平和と生命尊厳の哲学を発信する拠点会館)
1979年オープン
来訪者100万人へ

 戸田城聖が1957年9月、原水爆禁止宣言を発表する。その弟子の池田大作が、恩師の精神を受け継ぎ、核兵器廃絶へと、世界を舞台に反核展示、提言とう行動されてきた。戸田平和記念館は平和への発信の拠点として誕生させた。記念館には、戸田城聖の貴重な草稿及び核兵器の恐さしる資料、パネル等展示されている。現在、来訪者は100万人近くに。

 交通 桜木町(JR)
からバス 石川町駅(JR)徒歩15分他あり


解説 原爆は広島、長崎で多大の人が亡くなった。一発で何十万人も。家、ビルの姿もない。赤ちゃん、年配者、青年も無差別に。その無残さを、創価学会会長の戸田城聖は悲しみ、原水爆禁止誓言をされた。その弟子の池田大作は、師の戸田の精神を受け継ぎ行動した。世界へ、国連へ、原子爆弾廃絶へと行動した。その発信の拠点が戸田平和記念館である。まもなく、100万人になる。会館には原爆の恐ろしさをわかり易く解説されている