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金曜日に京都に行ってきました。
でもまあ仕事ですから11時40分に京都駅について4時30分京都駅発の新幹線で家路につきましたから、5時間にも満たない滞在でした。
でもまあ京都ってところは駅のプラットホームから階段で一つ下の階へ降りるとそこはもう京都なんですな。
なんでそう思うのか説明しようがないんですけど、そう思っちゃうんですね。これが名古屋だとプラットホームからして名古屋なんですね。その点静岡はね改札口抜けて地下道に入ると静岡なんですね。これも説明になってないんですけどね。
京都駅のプラットホームから下に降りると修学旅行の中学生が300人ほど体育座りをしてましたね、そういうグループが三校分ぐらいいましてね。同じ中学校なのに学校によって随分雰囲気が違うんですな。いわゆる制服の着こなしなんですけどで随分と雰囲気に差が出るようで、京都に来て楽しんでる様子はやっぱり着こなしにも気を遣っている学校の方が良い感じなのかと思います。個々じゃどうだか分かりませんが、全体の印象としてでの話です。
そういう学生さん達を掻き分けるようにして八条口から京都駅に南に出ましたよ。この改札だけがJR東海の管轄下にあるようで意外と不便な場合もあります。
で、東寺まで行ったんですけど、こちとら田舎者で地理不案内ですからバスか電車で行くことにしたんです。ホントは歩いて一五分ぐらいなんでしょうけどね。
以前、タクシーを頼んだら乗車拒否された覚えがあるんです。
で、結局近鉄電車に乗って行きました。普通も準急も止まる「東寺駅」ですから間違いないだろうと思ったのです。
僕は電車のホームから出ると方向音痴になる傾向があります。ですから今回も電車の中から自分の全身をレーダーかソナーにしてるつもりで慎重に事を運びましたが特に間違いなく済みました。というより駅から東寺の五重の塔見えてましたから全く心配する必要もなかったのです。
駅から真っ直ぐ電車の進行方向右に曲がっていけば直ぐに着きますね。電車料金は一五〇円ですから、タクシー乗るよりはずっと得ですね。それから「東寺駅」は京都駅から一駅目だということで降りるときやや恥ずかしい思いをするかと思ったのですが、これも全然心配いりませんね。結構多いですよ一駅目で降りる人。
五重塔の見えた方向に歩いていくと白くて斜めに塗られた塀が見えてきます。東寺の寺域に入ることが出来ます。有料になっている宝物殿や五重塔に用がなければ、寺内を散策するだけでも気分が良いのではないかと思う。
僕が境内に入ると、何処からか笛の音が聞こえてきます、なんだろうと思って音の方向に耳を曲げると、篠笛を練習しておられる方がいらっしゃいました。
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京都だなあと思いました。
最高に歓迎されているような気分で境内を歩きました。
ただそれだけなんですけどね。
東寺界隈はそれほど観光客はいなくて静かなものですよ。
あんまり人気がないのはどうしてでしょうかね。
東寺って感じが結構重くありませんか。
あの五重塔を見ると自分の重心が下がるような気がしてならないんですね。世界遺産になっているそうですが、まあそれに相応しい重厚感は持ってるわけですね。他の寺っていうのはそこまでの戦闘意識は持ち合わせていないに違いない。京都の平地に立ってる立ってる寺って何でこうも城塞的なんだろうとおもったことのある人ありませんかね。
そういえば真言宗のお寺は時代に浄土真宗の本願寺みたいに反骨精神を持ってたことあるのかな。弘法大師さんはそういう人ではなかったはずだし官立の寺ですから、今で言うところの筑波大学みたいなものでしょ。寺の精神自体には戦闘意欲はより少ないと見た方が良いかもしれない。
まあ京都という戦災の激しい街では戦闘的と言うより防御姿勢の表れと言った方が良いかもしれません。
で、名前が「東寺」っていうことは「西寺」ってのもあっていいわけで、実際にあったんだけれど、今は無いそうですね。もしあったら京都の景観ももう少し変わるでしょうね。何ていうか京都自身のバランスが南の方に傾いているかもしれませんね。
住宅にかこまれた小公園といった感じで単に小高い丘のような土盛りの上に西寺跡の石碑があるだけでした。
それでも、想像をたくましくして往時の繁栄を脳裏に甦えらせてみます。
でも、近くにある羅城門跡もそうですが、時の流れのむなしさ、己の小ささをつくづく感じたりします。
▽今の季節、東寺ももちろんいいのですが、モミジで有名な東福寺(京都駅からJR奈良線で同じく1駅)もいいのではないかと思います。
紅葉に良い時期なのは分かってましたのでもう少し仕事が早く上がれば永観堂あたりに行ってみようかと思ってました。
東福寺って黄檗宗の少し異国情緒のあるお寺ですよね。渇水の酷かった夏の真っ盛りに行ったことがあります。紅葉もいいのですか、機会があったらいってみます。ありがとうございました。
これは、多分「萬福寺」のことではないでしょうか?
東福寺は、境内に2,000本のモミジがあり、ここの通天橋(つうてんきょう)からみるモミジが有名で、土・日などは人が多すぎて見るのが大変かも知れません。
このお寺は、なんでも桜をすべて切り倒し、春より秋を選んだとか・・(ちょっとうろ覚えです。)
また、とても大きなお寺なので周囲にはたくさんの塔頭があるのですが、少し南へ行った光明院はそれほど訪れる人も多くなく、静かな“とき”と対峙することができ気にいりました。
homepage2.nifty.com/cub/niwa/tofukuji.htm
7年ぐらいまでは職場の先達の方々が渋めの京都を案内してくれてたりしたんですが、その方々が引退してしまわれて以降全く駄目ですね。京都に行く機会も少なくなってしまいました。でも来年の春までには娘を連れてきたいと思います。
内容と無関係のことで、ちょっとお聞きしづらいのですが
「うろ覚え」を「うる覚え」と言うのは
遠州地方で一般的に使われている言い方なのでしょうか?
浜松方面の方も使っていらっしゃったので・・・
それとも、地域性と言うより世代差で、私より若い世代の方は普通に使っていらっしゃるのかしら?
原因について等はhttp://www.tt.rim.or.jp/~rudyard/hirago014.htmlに詳しく考察されていますから御覧になってみても良いかと思います。
ボクは、「ウロ」は「ウツロ」などと同じような語感でとらえていたので、「ウル」と言うと「得る」や「売る」という動詞を連想して非常に違和感があります。
anikiさんの世間とボクの世間が違うと言うことは、それだけボクも齢を重ねたということなのでしょうね。
11月にお返事を書かせて頂いたんですがアップされていませんでした。
失礼したしました。
お返事を書くと更に失礼を重ねそうで怖いのですが、お返事を頂いて考えたことは、僕の言う「世間」はあおい君さんのいうものとずいぶん違う感じがしてまして、節度という意味では熊さん八っつんの世間と武士の世間ほどの違いを感じてます。世代ではないなと思います。
ですから日本語が正しかった時代なんてなくて個々の精神のあり方で、日本語って変わるのかなって考えています。そしてその人に知的好奇心があるならば、より原義に基づいた日本語を話すべきだろうと思いますし、僕もそうありたいという意識で書いてますがまだまだ未熟であることを痛感させられてばかりです。
これからもそういったことがありましたらどんどんご指摘いただきたいと思います。