「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

大原美術館2

2007年11月20日 22時48分21秒 | 紀行
 大原美術館いって、そのことを母に話したら、私も行ったことがあるといってたんですね。母は歯科医に勤めていたんですが、社員旅行で主な観光地は連れて行ってもらってますから、その類だろうなと思ってたんです。当時の歯医者さんって今と違って町に歯医者なんて2軒ぐらいしかなくて随分と大名商売でとおっていましたね。今じゃそうはいかないでしょ。過剰気味で営業時間も長くなったし、土曜日曜もやるところがあるし、大変だなって思います。
 で、ウチの母も従業員としては大変だったようで、よく怒られていましたし、半分家政婦扱いで家の掃除だとかさせられてましたので、ぶつぶつ言ってました。当時は僕も同情してましたが、8時半に出勤で、昼休みが2時間あって、5時半には仕事が上がれて、固定給とボーナスと土日の休みがあるって、結構良い職場だと思うんですよ。それに加えて半年か1年に一度の社員旅行があって、タダで、全く積み立てなしで連れて行ってもらえるでしょ。今じゃあまり聞かない待遇ですよね。
 そういうイメージで考えてましたから、今度もそうかと思ったんですね。でも母の返事は違っていました。
 ”修学旅行で行ったんだよ、中学?いや小笠農校の時だったよ。”ですって。だから少しばかり不意をつかれた感じで、18歳の母があの建物の玄関にセーラー服を着て友達と中に入っていく姿が思い浮かびました。僕の生まれる2年前の、今から五十年ぐらい前のことなんですけどね。昭和三十三年のころかと思います。そのころから「モネの睡蓮」や「受胎告知」の絵があって、当時十八歳の母と、今、四十七歳の僕が時を超えて同じ場所に立ち、同じように「へえ~」とか言ってると考えると不思議で面白い感じがしますね。うまくいえませんが、全くひょんなところで若い母と出会ったしまった感じがします。


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