「この国のかたち」的こころ

敬愛する司馬遼太郎さんと小沢昭一さんに少しでも近づきたくて、書きなぐってます。

東京紀行2 年の瀬の準備 湯島天神

2006年12月29日 00時38分24秒 | 紀行

 湯島天神は学問の神様である菅原道真公を祀っておりますね。菅原道真公は政権争いに巻き込まれる形で太宰府に左遷された人なんですね。
 で、ついに京都に戻ることなしに太宰府で亡くなってしまう。随分と恨んだでしょうね。という考え方が京都の人達の察する心情でした。だって京都以外の土地って太宰府なんぞネバーランドぐらいに想像の地でしかなかったでしょうからね。
 で、道真公が亡くなったその年は結構異常気象が続いたんで、これは道真公が祟っているんじゃないかってな話になってしまうんですね。
 そういうのって日本人というのはとても苦手なんですね。闇を極端に嫌う傾向がある。森の中とか避ける傾向がありますよね。光と闇のコントラストが錯綜する自然を持っているせいでしょうかね。
 まあとにかくそうすると日本人はどうしちゃうかっていると、道真公を神様にしてみんなでお祀りしますから大人しくしてくださいってなだめようとしちゃうんですね。
 日本人の神様感覚は西洋の神様の思いとは全然違っていますよね。西洋だと唯一絶対神が一人いて、その神様が何でもしちゃって、信徒は神様に近づけるように知恵と勇気を与えるかわりに、服従を強いるでしょ。
 日本の場合は神様が八百万(やおろず)の神と言って何にでも神様がいるわけでしょ。
 そうすると木にも水にもテレビにもいるわけだから、これは神様というより精霊に近い存在なのかもしれませんね。
 だから人間が神様になっても全然構わないわけで、このあたりは他の宗教とは全く違って寛容性がとてつもない広さを持っているわけです。
 だから人間を神様にしても全く気にする必要がない。。
 
 で、恐くて強い人には神性を感じてしまうんですね。それがたとえ国家という社会では悪者でもね。

 で道真公はぜんぜん悪くないですし、しかも学問の家柄だったものだから学問の神様にされてしまったんでしょうね。
 まあそれで名を千年に残したんだから大したものだと思いますよ。
 湯島の門をくぐるとテキ屋さんというか屋台の人達が準備してますね。本殿もまわりも工事の人達が入って、初詣に備えていますね。
 

 

 巫女さん達も忙しそうにお神籤を補充してました。



 絵馬には沢山の人達の願い事が書いてるんですが、正月を前に撤去されて絵馬掛けはすっきりしてしまいます。 

 裏に回ってみるとそれなりに工事していて邪魔しちゃう感じなんで早々に引き上げたんですが、この界隈はあいかわずラブホテルの多い地域で拝んで少し目線をあげると

 

 こういう景色が目に入ってしまう。

 他の国じゃまず考えられないことでしょうね。都市の景観美という点に置いては。

 


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