AN現代針灸治療

ANとは「にただあつし(似田敦)」のイニシャルです。現代医学的知見に基づいた私流の針灸治療の方法を解説しています。

代田文誌の年譜(代田文誌の鍼灸姿勢その1)ver.1.3

2023-08-21 | 人物像

 1.「鍼灸真髄」を著した頃

代田文誌先生(以下敬称略)の鍼灸は、前半生が沢田流太極療法、後半生は現代鍼灸に変化したことはよく知られている。沢田健の神業のような治療効果に仰天し、心酔したことは「鍼灸真髄」に詳しく記されているが、文誌の年譜を調べてみると、沢田健の治療を初めて見学した時は、文誌は鍼灸免許を取得して、わずか1年しか経過していないことを知った。すでにこの段階で、沢田流を受け入れる下準備ができていたことに驚いた。
 
ところで沢田流太極療法とはどのような治療法なのだろうか。今となっては、その名前だけしか知らない鍼灸師が多くなってしまったので、その概要を解説する必要があるだろう。これは次回ブログに書くことにする。

 


2.科学派鍼灸への転向

また文誌の後半生は、現代鍼灸に変化したが、私は沢田健の治療である沢田流太極療法に見切りをつけた理由が知りたいと思うようになった。これについては「經絡論争」(昭和24~25年頃)の時期、經絡肯定派と經絡否定派との間で、医道の日本誌上で討論がなされたが、それについて文誌は次のように記した。

「古典を古典のままに学びとり、これを生ける人体に応用し、それによって古典の真価を証明するとともに鍼灸古典の中に伏在する科学性を見さんとしたと述べた、さらに古典を生ける人体に合わせて実験し、死物の古典を以て生ける活物の人体を読んで、古典の真意をすっかり体得してから、然る後に現代科学を以てこの生ける事実を批判し解刻し、そこに伏在する科学的真理を探り求めねばならぬ」
 
すなわち文誌の求める鍼灸とは、古典鍼灸ではなく科学的針灸だったことが理解でき、ライフワークとして鍼灸を研究する順序として沢田流鍼灸から入ったとみるべきだろう。
 まさしく守破離を地でいった人であった。經絡論争にみる代田文誌の発言を、もう少し詳しく見ていく必要があるだろう。これは次々回ブログで書く予定にする。

上写真は、Data Chef によりモノクロ画像を、疑似カラー化した。

 

3.代田文誌年譜

<世に出るまで>


1883(明治16) 医制免許規則布告。漢方医排除された。ただし一般大衆に親しまれた鍼灸術は、一般の家庭で盛んに実施され続けた。

1990(明治33)  長野県飯田市の農家に生まれる
1911(明治44) 按摩・針術・灸術の営業取り締まり規則が発布。
1920(大正9)20才 正月に喀血、東京私立錦城中学校を結核にて中退。この闘病体験が以後の死生観に大きく影響し、仏門に入る。この年、マッサージ術、柔道整復術の営業取り締まり規則が発布。
1926(大正15)26才 早稲田大学文学部通信教育卒。
 鍼灸術検定試験合格し鍼灸師となる。当時は針灸学校というものはなく、鍼灸師の元で4年間以上修業をしたという証明書があればそれが針師灸師試験の受験資格となり、試験を経て鍼灸師となることができた(鍼灸師免許という大層なものではなく業として鍼灸してもよいという鑑札だった)。代田文誌は飯田市の盲人鍼灸師の処で「4年修業した」というニセ証明書を書いてもらい、ともかく鍼灸師になることができた。今となっては考えられないことである。
(皮内鍼で有名な赤羽幸兵衛も、当時のカネで金5円で証明書を書いてもらった。)

※20才~27、8才まで、結核により長い療病生活を過ごしていた。

<第1期(沢田流鍼灸と現代医学の研修時代)>
1927(昭和2)27才  沢田健氏に師事(以降12年間。沢田健死去まで)、 同年母、やすえ死去
 (沢田健氏の見学を見学し始めた段階では、ほぼ針灸臨床経験ゼロだった)
※沢田健は1877(明治10年)大阪の剣道指南の家に生まれた。青年時代に京都武徳殿で柔術を修業し、活殺自在の
法や接骨術を習得。青年期、朝鮮に渡り、釜山で鍼灸治療所を開設。
1922(大正11年)、後に沢田健の門下生となる城一格氏の招きで、45才で日本へ帰国。城氏は沢田に鹿児島で針灸免許を取得させようとしたが、灸の免許取得はしたが針の免許は取れなかった(当時の都道府県の針師灸師の認定試験の合格率は20%前後)。東京で開業。関東大震災(1923)で一切を焼き尽くすも、再び小石川雑司ヶ谷にて治療院を再開。

※代田文誌著の沢田健治療の見学記「鍼灸真髄」は昭和2年~昭和12年のもの
1929(昭和4)29才 東大の医学解剖学教室で勉強(以降2年間)
1930(昭和5)30才 父、代田安吉死去(昭和2年の母の死後、父も生きる気力を喪失)

1931(昭和6) 31才 長野県日赤病院研究生(以降3年間)
    昭和8年頃から東京は上野駅前の旅館「東洋館」で出張治療開始。月1回、治療日は一両日。
1936(昭和11)36才 長野に移転
1937(昭和12)37才 結婚(夫人の名前は、やゑ)

1938(昭和13)38才 澤田健は疔を背中に発病。同年61才にて死去 
文誌は、この年より終戦頃(昭和20年)まで、
茨城県東茨城郡内原村にある満蒙開拓青少年義勇軍内原訓練の衛生課顧問として、灸療所の開設および開拓医学の指導を行なってきた。この施設で訓練を受けた者たちは満州へ送られたが、敗戦と前後してソ連軍が満州に侵攻したことにより、落命した者も多い。 

 

<2期(GHQ旋風と科学派鍼灸の確立へ)>

1939(昭和14) 39才 代田文彦(元、東京女子医大教授)出生

昭和8年この頃、1944(昭和19) 44才 長野市で開業。倉島宗二、塩沢幸吉らと共同で臨床に従事(1966年, 代田68才)まで。代田文誌は、末尾が、7、8、9のつく日。すなわち月9日間担当。
他の二名の先生も同様に月9日づつ担当した。 この頃の東京出張は、東大正門前の新星学寮で施術。治療は6畳、
2組の布団。助手を1~2名使って非常に多忙だった。治療費は初回500円、次回以降は400円。
もぐさ一袋30円。なお 同時期、長野市で行った治療代金は、初回170円、次回以降130円だった。
  ※新星学寮とは、篤志家H氏が主として優秀学生のために共同管理、共同経営した学生寮。  
  毎月、月初めの、一両日。東京以外でも松本・上田等でも出張治療。これは日帰り、または一両日の治療だった。
1945(昭和20) 終戦
1947 (昭和22)  昭和21年、日本国憲法制定に伴い、GHQは鍼灸禁止令を指示しようとしたが、
  石川日出鶴丸(当時、三重医学専門学校長)は「鍼灸術ニ就イテ」という陳情論文を提出。また同年、代田は日本鍼灸
医学会の再建決意。
元京都大学生理学教授の石川日出鶴丸博士の門下に入り、求心性自律神経二重支配法則などを学ぶ。

1948(昭和23)48才 鍼灸術禁止令解除。日本鍼灸学会発足
  金沢大学病理学教室石太刀雄博士の下で内臓ー皮膚血管反射の研究開始。
1949 (昭和24)49才 皮電計について研究開始。東京小石川にて開業
  ※この頃から約2年間、「經絡論争」が起こった。經絡否定派は、代田文誌、米 山博久。經絡肯定派は、柳谷素霊、竹山晋一郎ら。昭和25年米山はついに「經絡非否定論」を医道の日本誌上に発表。
1951(昭和26)長野県鍼灸師会初代会長(昭和40年まで)
1960(昭和35)日本針灸皮電研究会(現、日本臨床鍼灸懇話会)を発足
1967頃(昭和42頃)67才 東京の井の頭公園傍に移転し、針灸院開業
1974(昭和49)74才 死去


頸動脈洞刺の意義 ver.1.3

2023-08-20 | 経穴の意味

1.頸動脈洞刺

1)洞刺(とうし)の開発 ※洞刺は「どうし」ではなく、「とうし」と読む。

1942年、中山(千葉大医学部教授)らは頸動脈球摘出術を施し、この手術が特発性壊疽、喘息、高血圧、狭心症等に著効あることを発表した。これをヒントに頚動脈洞の血管壁に針で刺激する方法を考案した。肺結核患者の訴える呼吸困難・極度の不整脈・高熱に対してこの技法を行ってみると卓効を得た。またある胆石疝痛患者の痛みに対して行うと即時に鎮静効果を得た、というエピソードが洞刺の始まりで、このことを契機として代田文誌と細野史郎(漢方専門医)が1948年に創案研究したもの。
頸動脈洞は、経穴でいう人迎穴がある部であることから、その血管壁刺針を、代田文誌は洞刺(頸動脈洞刺針の略)あるいは人迎洞刺と命名した。


  

2)洞刺の方法
①仰臥位にして、頸を過伸展させる肢位にする。喉頭隆起の高さで胸鎖乳突筋の内縁にある頸動脈の最大拍動部(人迎穴)を取穴。
②寸6~寸3の2番針程度の針で、拍動部からゆっくりと少しずつ直刺する。5分~1寸ほどの深度で頸動脈血管壁に針先を当てる。なお当たったか否かは、少し刺入しては術者の両手を針から離し、針の動きを見る。脈拍に一致した針柄の動きが観察できれば正解。そのまま7秒~数分間(病態により異なる)置針した後、抜針する。




2.洞刺の意義
代田文誌先生の記す適応症を個々に考察する。

1)圧受容体刺激による血圧降下作用

頸動脈洞には血圧の上昇を感知する圧受容体がある。血圧上昇すると頸動脈血管が拡張する。この反応を舌咽神経が捉え、延髄の血管運動中枢に信号を送る。すると血管運動中枢は迷走神経に信号を送り、血管拡張させ、血圧降下が起こるという仕組みになる。したがって洞刺は、高血圧時に血圧を下げる目的で行う適応が生まれる。しかしながら、この血圧降下は、正常血圧者では10~20㎜Hg程度(最高血圧150㎜Hgであれば時に50㎜Hg降下することもあるという)に過ぎず、反応は一過性である。洞刺が開発されたのは今から70年以上前の話であって、現代では効果的で安全で安価な降圧剤が広く普及しているので、応急処置は別として、高血圧の治療としての洞刺は適切な治療とはいえず、廃れてしまった。

なお血圧降下目的で行う洞刺の置針時間は左右とも7~10秒程度にするべきで、長時間の置針は人によっては血圧降下し過ぎる危険があるという。実際、洞刺を十分学習していない者が、洞刺の針に低周波通電10分ほどしたことがあり代田文彦先生を驚かせたが、実際には何の副作用もなかったということだ。


2)化学受容器刺激による気管支拡張作用

気管支喘息発作に洞刺を行えば、喘鳴が改善し呼吸が楽になると代田文誌は記し、実際にも有力な手段であることは確からしいが、この機序はよく分かっていない。滝島任ほか著:気管支喘息の鍼治療 気道抵抗連続側的による評価(日本医事新報 昭和54.12.29)によれば、「頸動脈洞には迷走神経からの線維を受け取っているので、迷走神経の鎮静化が治効を生むのであろう」と述べるに留まっている。

周知のように頸動脈洞部には、頸動脈洞とは別に頸動脈小体とよばれる直径1~2㎜の組織がある。これは血中酸素分圧の低下を感知する化学的受容器である。酸素分圧低下という信号は、舌咽神経により延髄の呼吸中枢に伝達される。呼吸中枢は、迷走神経興奮を弛めるよう命令が出され、これにより気管を広げるようになる。鍼で頸動脈洞を刺激すると舌咽神経が刺激されるが、これを中枢は頸動脈小体からの刺激だと誤認するので、呼吸中枢は血中酸素を増やすために、迷走神経に気管支拡張命令を送るのではないだろうか?

洞刺は気管支喘息発作時の鎮静に用いられるのだが、鍼灸治療院に来院することは喘息発作時には困難である。また現代の喘息治療は必要十分な量のステロイド剤吸入であって、発作に至る前に処置することになる。一方入院レベルの重度気管支喘息(肺性心)患者には、ほとんど洞刺の効果がないという事実がある。すなわち施術する機会は非常に限られるものになる。

3)舌咽神経痛の鎮痛

舌咽神経は、下根部~咽頭、外耳道、鼓膜を知覚支配しているので、洞刺によりこれらに鎮痛効果をもたらすことが知れる。代表疾患は扁桃炎。
速効しない場合には、人迎部に3㎜皮内針を皮下鍼的に下から上へ斜刺し固定する。おおむね24時間以内に扁桃炎症状は完全に治まる(渡辺実:扁桃炎・口内炎の簡易療法 医道の日本 昭58.8)という。

4)亜急性リウマチの鎮痛

代田文誌のいう「亜急性リウマチ」という言葉が、現在では何を意味するか不明であるが、慢性関節リウマチやリウマチ熱とは異なるようだ。
慢性関節リウマチ四肢痛に対する洞刺は、ほとんど鎮痛効果がない印象を受ける。

ただし私は過去28年の臨床中、興味深い症例を2回経験した。数週間来、四肢の多関節痛を訴えて苦しんではいるが、訴える関節部にはまるで圧痛を始めとする炎症所見がないケースであり、ともに1回の洞刺で症状消失したのだった。このことを代田文彦先生に報告すると、結合織炎ではないか?との一言だった。もっと詳細にお聴きすべきだったと後悔している。

慢性関節リウマチの疼痛や関節変形は、昔から医療における難題だった。数年間痛みをとればよいだけなら麻薬を使う手もあるが、本疾患は基本的には命にかかわる疾患ではないのでそうはいかない。かつて薬はできるだけ使わず様子をみて、改善しなければ消炎鎮痛剤、次いで抗リウマチ薬、悪化すれ強力な抗炎症薬であるステロイド薬を使った。「強い薬には強い副作用がある」との考えがあったためだが1990年頃からRAは発症後の最初の2年間で、骨破壊が進行することがわかり、薬物の使い方に変化した。 

身体の中でリウマチを悪化させるタンパク質あることは知られていて、そのタンパク質の作用と症状を抑えて関節の破壊を食い止めるリウマチ薬がいくつも開発され普及した。初期にはメトトレキサートなどの免疫抑制剤など強い薬を使い、それで効果不足であれば生物学的製剤のエンブレルやレミケードも併用して関節の変形や機能低下を防ぐようになった。
ある病院のデータでは、2000年頃の慢性関節リウマチの寛解率は8%だったが、2014年に50%に達した。 

※抗リウマチ薬:1990年代。代表はメトトレキサート(商品名リウマトレックス)で第一選択薬(免疫抑制剤)になる。関節リウマチを起こす免疫異常に作用し、病気の進行を抑える。痛みを直接抑えるのではなく、関節の軟骨や骨破壊を抑えることで、関節の痛みや腫脹が軽くなり、関節痛が改善される。 

生物学的製剤:2000年代。関節破壊に直接関わる物質(炎症性サイトカインTNFαなど)や細胞の活性を抑える。生物学的製剤は一般に高価。副作用は感染症に脆弱。レミケード(点滴注射)・エンブレル(皮下注射)・シンポニー(皮下注射)  

※生物学的製剤:バイオテクノロジーにより、生物がつくりだすタンパク質などから生成された(従来薬は、化学的に合成されたもの)。細胞から分泌される蛋白質の一つにサイトカインがる。これは他の細胞に情報を伝える働きをもつ物質だが、リウマチ患者ではサイトカインの働きが過剰になってリウマチが悪化する。生物学的製剤には、このサイトカインの作用を抑える薬やリンパ球の活性化を抑える薬がある。副作用は易感染。
最新薬はシンポニーで4週間に1度の皮下注射となるが、3割負担で1回4~7万円弱(2019年)かかる。

 

5)胃痙攣・胆石疝痛

胃痙攣は、現代でいう胆石疝痛に相当するとされる。胆石疝痛の痛みは、尿路結石と同じように迷走神経過剰興奮による中腔器官痙攣によるもので、体幹症状部に交感神経刺激目的の強刺激の針灸をすれば鎮痛するのが普通である。
洞刺激→舌咽神経→中枢→交感神経緊張作用という機序が作用するのであろう。

開業針灸にとって胆石疝痛はあまり縁のない症状だろうが、本症に緊急入院した患者に対し、側臥位にて魂門(肝兪外方1.5寸)に起立筋深層筋膜に向けて斜刺すると、数分後に鎮痛できた経験がある(数時間後に痛み再発)。ただし、このことを患者の担当医師に報告すると、ほとんど興味を示さなかったが。痛みをとるだけなら非ステロイド系消炎鎮痛剤を使えばよいことを知っていたからだろう。内臓痙攣痛に使うブスコパンではなく、ボルタレン等の消炎鎮痛剤が適応になることをもって、鍼灸が胆石疝痛にも効果あることを推定でき得る。

 
3.現在での洞刺の価値
 
現在でも頸動脈球摘出術は医科診療報酬点数表に載っているが、すでに過去の医療技術となっている。一方、洞刺を開発してすでに70年が経ているが、洞刺のことは針灸臨床の場でもほとんど話題にならなくなった。薬物療法の進歩により相対的に洞刺の価値は目減りしたのだろう。筆者が実際に洞刺を試みても、①②にあまり効いた印象をもっていない。咽喉痛に対しても速効するわけではない。③の胆石痛に対しては未追試(胃倉刺針の方が効果確実なため)。


石坂宗哲著『鍼灸茗話』より(兪穴の俗称、妊娠と不妊の治療、肩関節痛治療のコツ) Ver1.3

2023-08-20 | 古典概念の現代的解釈

石坂宗哲著『鍼灸茗話』は、江戸時代の鍼灸書の中でも広く知られている。そのせいもあって、鍼灸師の基礎知識として学校教育で学習済みの内容が多く、その意味からは新鮮味は少ないが、中にはオヤッと思う記載があるので、いくつか紹介する。なお、鍼灸茗話は、久次米晃訳による。
茗話は<みょうわ>ではなく、<めいわ>と読むのが正しい。「茗」とは遅く摘んだ茶葉のことで、通常の季節に摘んだ茶葉のことは単に「茶」という。すなわち茗話とは、「のんびりと回想しながら書き溜めた茶飲み話」といった意味になるだろう。なお※印は、筆者の注釈である。
『鍼灸茗話』は和綴じ本ながら、昔は医道の日本社店頭で普通に購入できた。



1.兪穴俗称


1)ちりけ
第三胸椎棘突起下の「ちりけ」は、元々小児の痰喘壅盛(今日の小児喘息)の病名であると鷹取の書にもある。今日の人が兪穴の名前であると思っているのは間違いである(『本朝医談』)。今も関西では小児の急吼喘(=喘鳴)を、「はやちり」とよぶところが多い。

※「壅」(よう)とは、人家を堀や川で囲む、押し込める、塞ぐの意味。この文中では、呼吸しにくいとの意味
※鷹取の書:鷹取秀次著「外科細漸」上中下巻 全3冊  江戸初期 和本 医学書 (下写真)


2)斜差(すじかい)


すじかいとは、男児では左の肝兪と右の脾兪に一壮ずつ、女児では右の肝兪と左の脾兪に一壮ずつ灸すること。肝兪は風邪に侵入されないように、脾兪は飮食で疲労しないように。小児は気力が脆弱で灸熱に堪えることができないため、左右の肝兪・左右の脾兪という四穴全部に施灸しない。二穴に省略して施灸する。



3)貫き打ち(=打ち抜き)


内果の上四指一夫を三陰交という。また外果の上四指一夫に絶骨(=懸鐘)穴がある。この両者を世間一般では「ぬきうち」の穴とよぶ。打ち抜きの灸とよぶこともある。外関と内関にも貫打ちの灸を行うことがある。向かい合う2穴同時に灸熱を加えるもので、術者が一人でやることは難しい。

※一カ所から灸をすると、病邪は奥に逃げ、逆側から灸をすると、病邪は、元の方に戻る。このような場合、病邪の逃げ場がなくなるよう、病邪を挟む位置にある二穴同時に灸熱を加えるのが良いとの考え方がある。

※四指一夫:第2指~代5指を、指を開かないで揃えて伸ばすこと。



4)井のめ


井のめとは、腰眼のことで、十六・十七椎(第4・第5腰椎)の間で左右に三寸半開いたところの陥凹部をいう。「井のめ」とは亥目である。
※骨盤を後からみた時、イノシシの顔に似ていて、イノシシの目に相当する位置に井のめ(=腰眼)を取穴する。 井の目は、ハートを逆にした形だが、イノシシの目の形がカタチがハートに似ている(実際には似ていない)ことに由来する。猪目には火災を遠ざけるという意味があり、奈良時代頃からお寺や神社などの建築装飾としていたるところに使われている。

 

5)からかさ(唐傘)灸

足の第二指・第三指の間で内庭穴のこと。唐傘灸。(「医学入門」では足痞根している部位でもある)

※「痞」とは、胸がつまる、胸がふさがる、つかえ、腹に塊のようなものがつかえる病気などの意味をもつ漢字)。この部の灸は逆上のぼせを下げるのに効くという。 

※唐傘とは洋傘に対する和傘の総称で、唐代にわが国に入ってきたもの。それ以前の傘は、折りたたむことができなかった。唐笠には別名番傘ともいう。竹の骨組みに油紙を貼っている。洋傘よりも重く大きい。番傘というのは油紙に紛失防止のための番号が振ってある和傘で、貸し出し用として使われた。内庭は、足の五本指が集まるところという点から、唐傘の骨組みの中央にたとえだのだろう。

唐傘は、「番傘」のほかに、「蛇の目傘」ともよばれた。広げた傘を上からみると二重円で内円が黒くぬってあるというデザインが流行した。注意を促す記号として従来から知られていて、蛇の目のようであったことから、蛇の目と呼ばれた。蛇には瞼がないので、ずっと目が開いているように見える。(実際は目の上に透明な瞬膜という膜があり、目を保護している)


※通常の痞根は、L1棘突起下縁と同じ高さ、後正中線の外方3.5寸の部位。L1棘突起下は、後正中から、懸枢→三焦兪(外1.5寸)→ 肓門(外3寸)→痞根(外3.5寸)と経穴が横並びになる。

 


6)かごかき三里

かごかきは、「駕籠かき」の意味。駕籠をかついで人を運ぶのを職業とする人足のこと。ふくらはぎの下の筋溝で陥凹部。人体の中の三魚腹(=下腿三頭筋)のうちの一つで、承山穴がこれ。かごかきは足をよく使うことから、脚の疲労回復のつぼのこと。
※時代劇などでよく見るのは「四つ手駕籠」で駕籠の中では最も軽量なタイプだが、それでも重さは約10㎏はあった(ちなみに大名駕籠は50㎏)。これに人を乗せて運ぶのだから、当時の客人は小柄だったとしても総重量60㎏にもなっただろう。それにしても当時の人夫の体力には驚かされる。ちなみに四つ手駕籠の料金は、一里(4㎞)で、現在の一万円以上もした。
                  

2.求嗣断嗣(きゅうしだんし)

求嗣とは子孫を求めること、断嗣とは子孫を求めないことの意味である。昔から妊娠させること、させないことの方法が論じられているが、顕著な効果をあげたという例は極めて少ない。しかし、まったくだめだと言い切ることはできない。(中略)
 
かつてある人妻が不妊症で私の処にやってきた。診ると臍下に引きつっている部分がある。天枢穴の下にあたるところで、かすかな動きがある。そこを押すと、陰器の奥に響いて痛む。これは疝癖(「疝」とは、生殖器・睾丸・陰嚢部分の病証。体内の潰瘍が外に膿を出す)であり、不妊症になっている原因がこれだと考えた。まず二十日のほど当帰勺薬散を煎じて飲ませ、外陵・大巨の左右四穴に施灸させ、十数日間に七・八回、子宮口と周辺に細鍼で連環刺した。更に毎月十五回ずつ前の四穴に施灸させた。数ヶ月もたたないうちに生理が止まり、臨月になり安産した。(中略)
なお連環刺とは、連環の形(半月を連ねたような形)に刺すもので、営衛の經絡・宗気の流れを漏らさずに取るための治療手技。石坂流の家定三刺法の一つ。

石坂宗哲著『鍼灸説約』に掲載された治験には次のようなものがある。
『銅人腧穴鍼灸図経』1027年製作)では、「中極穴は女性の不妊を治す」とあり、『千金方』(唐代618年- 907年)では「関元は女性に刺針すると子が生まれない」とある。中極穴と関元穴は3寸(1寸の誤りか)離れているだけである。ところがその一方は不妊症を治し、他方は刺すと子供を産めなくなるとある。
これは疑わしい。昔、貧しい商人の家で、毎年出産する者がいた。五、六年で五、六人の子供が産まれた。その夫婦は生活に困り、不妊になるようにしてほしいと言った。そこで試しに関元穴に2寸から3寸刺針し、右門穴に十四壮施灸した。七日間施術して終わりにした。ところが、その人はまた妊娠した。やってきて、鍼は効かないと、私を嘲笑した。

妊娠5ヶ月になるのを待って、関元・合谷・三陰交の三穴に七日間刺針したが、妊娠は良好だった。臨月になって、男子を出産した。安産だった。私はここに至って、昔の人も嘘を書き残すことがあるのだと悟った。

(この見解に対し柳谷素霊は「不妊治療は成功しやすいが、避妊・堕胎は成功しにくい。しかし施術がうまくいけば、避妊・堕胎も不可能ではないが、上に示している避妊の穴に刺針して、内臓収縮現象が起こらなければ効果を期待できない。」と記している。


3.狄嶔(てききん)の言

唐の魯州の刺史庫で、狄嶔という人が風痺(筋肉・関節の疼痛を特徴とする病証を痺証といい、風痺は、とくに風邪が勝っているもので、四肢の関節・筋肉の遊走性の疼痛が特徴)であり、の病気を患い、弓を引くことができず、非常に困っていた。
その時に医師瓢権が治療した。まず嶔に、弓矢を持って弓場に行かせ、立ったまま肩髃穴に刺針したところ、鍼を刺入するにつれて、射ることが自在になったという。


※症状の起こる動き(この場合、弓を引く動作)をさせ、その時出現する局所圧痛点に刺針することが効果を生む秘訣で、これは現代においても針を効かせるための重要なコツになる。


喉頭症状に対する前頸部の針灸治療点の整理 ver.1.1

2023-08-18 | 耳鼻咽喉科症状

1.舌骨上筋刺針(舌根穴など)

適応:舌痛症、喉の詰まり感、
位置、刺針:舌根穴とはいわゆる舌の根もとの部分で、下顎骨の正中裏面。寸6#2で直刺1~2㎝数本刺入。刺入したまま唾を飲ませる動作を行わせる。
解説:
舌骨上筋とは、舌骨と下顎骨を結ぶいくつかの筋をいう。顎舌骨筋、顎二腹筋後腹など。
ノドのつまり感は、嚥下の際に強く自覚する。嚥下運動は、咽頭にある食塊を喉頭に入れることなく食道に入れる動作で、この食塊の進入方向を決定するのが喉頭蓋が下に落ちる動きである。この喉頭蓋の動きは喉頭蓋が能動的に動くのではなく、嚥下の際の甲状軟骨と舌骨が上方に一瞬持ち上がる動きに依存している。嚥下の際のゴックンという動作とともに甲状軟骨が一瞬上に持ち上がり、喉頭蓋が下に落ちる動きと連動している。

 

 

2.上喉頭神経ブロック点刺針

適用:上喉頭神経ブロック点に圧痛を認める咽頭部痛。
位置:前正中線上で、舌骨と甲状軟骨の間で甲状舌骨膜部に廉泉穴をとる。ここから左右それぞれ1㎝ほど外方に上喉頭神経孔があり、ここを治療点に求める。
刺針:仰臥位でマクラを外す。上喉頭神経孔に命中するよう、寸6#2で斜刺。咽頭に針響を広がる。
解説:上喉頭動脈という細い動脈で声帯に酸素や栄養を送っている。上喉頭神経が興奮すると、喉のイガイガ感が出て咳込むようになる。これは喉頭内への異物侵入防止のための咳誘発反射といえる。ポッテンジャーによれば、上喉頭神経が興奮すれば喉頭異物感が出現するという。この見解からすれば、梅核気など喉のつまり感には上喉頭神経内枝刺の適応があるかもしれない。


3.輪状甲状筋刺針

適用:高い声が出にくい場合か? 本刺針法が有効かどうかは不明だが、発声に関係している触知可能名筋は輪状甲状筋のみである。
位置:前正中線上で、甲状軟骨と輪状軟骨間に仮点を定め、そこから左右1㎝の処。
刺針:輪状甲状筋に対し直刺1㎝。刺針した状態で発声させると。本筋が収縮し針体が大きく動くのを観察できる。
解説:輪状甲状筋刺針が収縮すると甲状軟骨と輪状軟骨の距離が狭まり、これが声帯靱帯を伸張させ、高い発声を可能としている。つまり輪状甲状筋の緊張は、声の高さを決定する因子になる。

 

4.気管軟骨刺(郡山七二著「鍼灸治法録」の、”気管と喉頭直刺”より)

適応:喉頭や上位気管にに原因のある疾患の鎮咳去痰としての特効。それ以下の気管や胸腔内疾患の鎮咳去痰には効果がない。刺針部には知熱灸を併用。
位置・刺針:気管・喉頭ともに前面と側面から4~5本づつ、1~2㎝間隔で、せいぜい1㎝ほど刺入。軟骨に触れるものを限度にする。特定の部位といったものはないので、適宜に行えばよい。輪状軟骨にづづく気道は気管になる。気管は気管軟骨により内径が狭窄して呼吸困難になるのを予防している。気管には迷走神経が分布している。迷走神経興奮すると、咳が誘発される。
解説:
咳には、ノドから出るものと胸から出るものの2種類があり、患者は咳の出所を自覚できている。喉頭炎はノドから出る咳で、気管支炎や肺炎は胸から出る咳になる。
また咳には痰を伴う湿性咳と、痰のない乾性咳がある。湿性咳の場合、痰を喀出する目的で咳が 出るのだから、治療目標は鎮咳よりも去痰になる。去痰とは痰をなくすことではない(痰を減らすのは一朝一夕にできない)、痰を切れやすくする(痰の粘稠度を緩める、すなわち痰の水分を多くする)ことである。

 

5.下咽頭収縮筋刺

 

咽頭収縮筋には、上中下の3種あるが、治療で用いるのは主に下咽頭収縮筋。

適応:嗄声、良いつやのある声が出せない。
位置:甲状軟骨の外縁と頸動脈の間
刺針:下咽頭収縮筋刺へ深刺、または押圧
解説:中咽頭収縮筋が緊張するとは舌骨を頸椎に押さえつけ、下咽頭収縮筋は甲状軟骨を頸椎側に押さえつける。中・下咽頭収縮筋はは頭に入った食塊を食道に押し込む目的  があるが、同筋が緊張すると喉頭を頸椎側に押さえつけるので、声帯の動きを妨げることになる。本筋の緊張を緩めることで、正しい発声をしやすくする。
枝川直義著「ドクトルなおさんの治療事典」地湧社1983年9月)には、「風邪症状の嗄声とか声が出なくなった人で、前頸部の主として、下咽頭収縮筋とその周辺に超希釈ステロイド剤を注射しますと、その直後より正常な声が出始めるという事実があり、まるで奇術をしているような気になることもある」との記載があった。

 

6.洞刺(とうし)
※洞刺の読みは、ドウシではなく、トウシが正解。1948年 に代田文誌と細野史郎博士が協力して創始した。しかし降圧剤、気管支拡張剤(β2刺激剤)、抗コリン剤(内臓平滑筋痙攣の緩和)、などの薬物療法が進歩した現在、その実用的価値は低下したが、鍼灸発展の経過としての医学史的価値があるといえる。

適応:①血圧降下、②気管支拡張(喘息発作の改善)・止咳など
位置:喉頭隆起の高さで、総頸動脈が、内頸動脈と外頸動脈に分岐する部にある頸動脈洞(ふくれている部)部。
刺針:仰臥位で、左右一側づつ頸動脈洞部の血管壁外壁に刺入。7秒程度刺針(血圧が下がりすぎるのを予防)
解説:

①圧受容体刺激による血圧降下作用

 
頸動脈洞には血圧上昇を感知する圧受容器がある。

血圧上昇時に伴う頸動脈血管の拡張 →舌咽神経を刺激→ 延髄の血管運動中枢を刺激→迷走神経を介して血管拡張による降圧 
極端に降圧する恐れがあるので高血圧に対する場合7秒置針に留め、また両側同時に実施しないこと。ただし降圧効果はせいぜい最高血圧値で10~20程度(最小血圧値は変化ない)と強力な作用はない。現在では廉価で安全な降圧剤が入手できるので洞刺を行う意義は乏しくなった。

②化学受容体刺激による気管支拡張作用

気管支喘息発作時に洞刺を行えば、瞬時に喘鳴が改善して呼吸が楽になると代田文誌は記している。これも現代では気管支拡張剤(交感神経β2刺激剤)の入手が容易になったので、喘息発作の鎮静のため洞刺を行う意義は薄れた。頸動脈小体は、血中酸素分圧の低下を感知する化学受容体。 針で頸動脈洞を刺激すると舌咽神経を刺激するが、これを中枢では頸動脈小体からの信号であると誤認するので、呼吸中枢は血中酸素濃度を増やそうと迷走神経に気管支拡張命 令を送るのではなかろうか。

頸動脈小体が酸素分圧低下をキャッチ →舌咽神経が伝達 → 延髄の呼吸運動中枢 →迷走神経興奮し、気管支拡張


③舌咽神経痛の鎮痛

舌咽神経は、舌根部~咽頭、外耳道、鼓膜を知覚支配しているので、洞刺によりこれらに 鎮痛効果をもたらす。その典型は扁桃炎の痛み。洞刺を行って速効しない場合でも、人迎部に3㎜皮内針を皮下針的に斜刺し固定すると、おおむね24時間以内に鎮痛効果が得られる。(渡辺実:扁桃炎・口内炎の簡易療法、医道の日本 昭58.8)



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


Ⅰb抑制を応用した膝蓋靱帯炎の治療(40才、女性)

2023-08-15 | 膝痛

1.主訴:膝屈伸時の、右膝骸骨下際の痛み

 

2.現病歴
満一才幼児の育児でだっこすることが多い。1ヶ月前頃から 歩行で膝を曲げ伸ばしする際に右膝蓋骨下が痛くなり、整形受診して膝蓋靱帯炎との診断を受けた。X線は正常。治療はロキソニン軟膏と痛みが強い時の頓服用としてロキソニン錠、および右膝関節部のサポーターを処方された。
痛み止めを使って、痛みが止まっても本当の治療にはならないと思い、当院に数年ぶりに来院した。

 

3.所見
内・外膝眼と犢鼻に強い圧痛あり。脛骨粗面の圧痛はあまりない。他に陰包、鵞足にも圧痛を認めた。

 

4.考察
大腿直筋短縮→膝蓋骨上方移動→膝蓋靱帯の牽引ストレス。
膝蓋靱帯炎は犢鼻圧痛(++)により明瞭。脛骨粗面の圧痛(-)なのでオスグッドとはいえない。内・外膝眼は撮痛は伏在神経膝蓋下枝の興奮で、鵞足の撮痛は伏在神経下腿内側枝の反応。陰包は伏在神経内転筋管部の神経絞扼障害の反応点だが、非常に強い圧痛とはいえないので内転筋管症候群とまではいえない。
膝蓋靱帯の圧痛だけでなく、伏在神経痛も絡んでいることを示すものだろう。

いつもなら大腿直筋緊張をゆるめる目的で、仰臥位膝伸展位で伏兎・梁丘・血海に刺針して、膝屈曲の介助自動運動を行わせるところだが、同じことばかりしていても進歩がない。今回はⅠb抑制を使って四頭筋緊張をゆるめる方法を試してみた。
 
まず膝蓋靱帯の両側を術者のr両手の拇趾と示指で指で強くつまんで引っぱり上げる、あるいは術者の指先を膝蓋腱下に潜り込ませるようにする(患者は痛がる)。膝蓋靱帯を上から押圧すると非常に痛がるので止めた方がよい。
膝蓋腱をつまんだ状態で、患者に膝の曲げ伸ばしを軽くゆっくりと行わせる(患者はさらに痛がるが我慢させる)。
数回この運動を行って術者の指を離す。そして床を歩かせてみる。今まで痛くてできなかった歩行が、痛みを忘れたように普通に歩けるようになった。

これだけでは治療時間が短すぎるので、内外膝眼・鵞足・陰包などの伏在神経反応点にせんねん灸をして治療を終えた。


5.コメント

 
今回の治療は、大腿直筋の端にある膝蓋腱を引っ張り、身体が腱が断裂してしまうことを回避するため大腿直筋緊張をゆるめるというⅠb抑制の臨床応用て治療した。

 なお膝蓋靱帯をつまんで引っ張り上げるという治療手技は、<重症専門TV>光田昌平氏「オスグッドの原因と治し方」ユーチューブ動画をアレンジした。膝蓋靱帯炎でもオスグッドでも治療は大差ないに思う。

       
        
        
        
        
      


切迫性尿失禁が中髎の灸1回で改善した自験例(69才、男)

2023-08-14 | 泌尿・生殖器症状

1.主訴:突然尿意が強くなり、トイレが間に合わない

2.現病歴

1週間ほど前の就寝中、少々尿意を感じたので、起き上がりトイレに向かって十数歩歩いた。そのわずかな間に、我慢できないほど尿意が強くなった。トイレまであと数歩となった時、我慢できずにパンツやパジャマのズボンだけでなく、廊下やトイレの床などにも小便を漏らした。一度排尿を始めると、膀胱にある尿全部が出終わるまで尿の勢いは止められなかた。それ以降、1日数回は我慢できない尿意が急に出現し、たびたびパンツを取り替える必要があった。こういう状況になって紙製の尿漏れパンツを使おうかとか、寝床のすぐ隣に携帯トイレ(ポリバケツ)を置こうかと考えるようになった。まるで後期高齢者のようであった。


3.診断

切迫性尿失禁であり、その原因となるのが過活動膀胱によるもの。腹圧性尿失禁については、これまで患者の訴えとしては度々あった。笑ったり咳をしたり、重い物を持とうと下腹に力を入れた際に尿が漏れるというもので、その症状を想像することができた。切迫性尿失禁については以前から知識としては知っていたのだが、膀胱が意志とは無関係に収縮した結果、失禁するとはいう状態を身をもって体験した。

4.切迫性尿失禁とその針灸治療効果

 
早速ネットで、本疾患の治療について調べると、抗コリン剤が有効で、服薬により寛解しやすい疾患と書かれていた。しかしすでに私は糖尿病の治療薬を多数服用していることでもあり、これ以上薬は増やしたくなかった。では過活動膀胱による切迫性尿失禁の針灸治療はどうすべきかと調べると、北小路博司氏の発表で、中髎から仙骨骨面に対して斜刺し、骨盤神経を刺激するとあった。これは以前から勉強していたことで、日常的に患者に使用している方法でもあった。とはいえ、通常治療には多くのツボを同時に使うのが普通なので、次髎が本当に効いたとする確信をもてた症例は、ほとんど記憶に残っていない。何事も実体験しないと手に入れることができないということだ。

 
中髎に自分自身で針をすることは難しかったので、家内に頼んで左右の中髎あたりにせんねん灸(強力温熱タイプ)をしてもらった。直接灸が良かったのだがモグサをひねる技術がなったので次善の策としてせんねん灸をしたもの。施灸体位は腹臥位でなくアグラ位で上体前屈位とこだわってみた。これは少しでも交感神経優位に誘導しようとする狙いがある。左右中髎に2壮づつ実施。


それから1~2時間経ち、尿意を感じた。トイレを目指して歩くこと十数秒。こみ上げてくるような激しい尿意はなくなり、普通に小用を足すことができた。念のため翌日も同用に中髎のせんねん灸治療を実施。あれから丸2日が経つが、切迫性尿失禁症状はなくなっている。中髎施灸の効果が、これほど強力なものだとは嬉しい誤算だった。


5.中髎刺針の効果の臨床研究結果の整理 
 (北小路博司:泌尿・生殖器系障害に対する鍼灸治療、「鍼灸臨床の科学」医歯薬、2000年9月より引用)

1)中髎刺針の原法(北小路博司)

 
2寸(60㎜)7番(0.3㎜)針を用い、中髎を刺入点とし、45°頭側の斜刺し、刺針転向で仙骨骨膜に沿うように50~60㎜刺入、重だるい得気感覚が得られた後、手で針を半回転する旋捻刺激および2~3ヘルツでの雀啄刺激を左右10分間ずつ行う。これを1回の治療として、基本的に週1回の治療感覚で行った。

これまで八髎穴刺針は、習慣的に針は後仙骨孔を貫通べきだとされていたが、実際にその必要はなく、仙骨孔を貫通しない刺針でも骨盤神経に影響を与えることが重要なことが判明した。骨盤神経に影響を与えるには、8番針にて仙骨骨面にこすりつけるような強刺激の針が効果的だという。

2)中髎刺針の効能の要点

 ・過活動膀胱の収縮過敏を鈍化させる。したがって切迫性尿失禁に効果がある。
 ・内尿道括約筋の緊張を緩めることで排尿困難を改善する。

①切迫性尿失禁
過活動膀胱による切迫性尿失禁に対しては、最大尿期時膀胱容量が増加傾向。切迫性尿失禁患者の60%が、尿失禁の消失ないし改善した。中髎刺針は膀胱容量を増加させる傾向がある(対抗コリン剤と同じ作用。抗コリン剤とは内臓中空内臓の痙攣による疼痛鎮静に使用)。 

②前立腺肥大症(第Ⅰ期)
前立腺肥大症第Ⅰ期に対して、週1回の中髎刺針を行い、平均6回あまり施術した。夜間の排尿回数減少、昼間排尿間隔の延長がみられた。治療終了後は元に戻る傾向があった。
  
③排尿困難に対して
排尿筋、外尿道括約筋協調不全(膀胱機能正常、尿道機能は過活動)による排尿困難6例中、4例で排尿困難が消失、1例は改善した。すなわち中髎刺針には、尿道括約筋過活動を鎮める効果があるらしい。
  
④低緊張性膀胱による排尿困難
神経因性膀胱の一タイプ(膀胱括約筋が低活動、尿道機能正常)で、主訴は排尿困難。このタイプ7例に中髎刺針を行い、1例に排尿困難の軽減がみられた。つまり膀胱括約筋の収縮力を増やすことはあまりできなかった。


※腹圧性尿失禁   

切迫性尿失禁ではなく、腹圧性尿失禁はどのように施術すべきか。斎藤雅一は、中極深刺手技針が有効だった例を紹介した。腹圧痛性尿失禁の70歳女性に対して、中極穴に対して下方に45°の斜刺で4㎝刺入し、得気を得た後10分間半回旋刺激。週1回治療で5回治療を1クールとした。すると、1クール終了時に、尿失禁時の不快感が消失した。(斎藤雅一:排尿障害プラクティスVol.7 No.1. 1999)

 

 


痔疾に対する孔最刺激の検討 

2023-08-07 | 腹部症状

1.孔最の語源

正穴名に「孔」の字が入っているのは孔最のみである。一般的にツボは穴という字が使われるが、あえて孔最と命名したからには
理由がありそうだと思った。「孔」の漢字は、「子」+「乙」に分解し、”小さな子が曲がった穴を通る”という意味がある。すなわち顖門(=大泉門すなわち顖会穴)のことで、骨と骨の隙間を示している。

孔と穴の違いについて、窪んだアナには「穴」、突き抜けたアナには「孔」を使うとの見解もあるが、例外が多いのでこの区別はあまり成立しない。ただ「孔」は、「瞳孔」「鼻孔」などで用いられるように、何かが通っているアナをいう。たとえば「針孔」は糸を通すという用途を示唆したアナのことである。
 
孔最を押圧すると橈骨と尺骨、そしてその両骨間のつくる大きな間隙も触知できる。この間隙を満たしているのは、肌肉しっかりと触知できる肌肉(腕橈骨筋など)や脈中を流れる血(橈骨動脈など)、脈外を流れる気(正中神経など)となるだろう。


2.孔最の位置


①標準孔最

肘から手関節横紋までを、1.25寸と定めた時、前腕前橈側、太淵の上7寸。つまり曲池の下5.5寸である。 
②澤田流孔最
尺沢の下3寸。したがって標準孔最の上2.5寸になる。代田は、実際の取穴は時と場合により上下に移動することが多く、指先の按圧感によりその最高過敏点かつ硬結点を取穴すると記している。

3.孔最の適応
 
「鍼灸治療基礎学」には孔最の適応症として、①痔痛、痔核、痔出血、痔瘻、裂肛、脱肛。ただし脱肛には効かないこともある。②肺尖結核や喘息にも反応が現れ、または治効がある。灸治が適するとある。孔最は肺経上の代表穴なので上記②の効能があると記すのは納得はできるが、
痔疾がなぜ効くのかの理由は分からない。
 いろいろな針灸治療書を調べてみると、痔に対する治療穴として孔最の名前があがっていないもの多い。結局孔最が痔に効くことの理由を求めるのは無理で、特効穴としての取り扱いなるのだろうか。
 
昔は形の似たものには共通の作用があるとする考え方があった。たとえば耳孔によく似た岩の割れ目を耳神様と崇め、耳の悪い者が供え物して合掌した。
虫歯地蔵も各地に建てられた。煎った大豆を供えて平癒を祈ったという。煎ると殻が割れるが、その割れ目から歯中に入った虫を外に外に逃がそうとする願いがあったと思われた。この類にについては以下の記事を参照のこと。

歯周病に対する局所刺針の方法と女膝の灸 ver.1.8

 

そこで妄想することになるが、孔最穴を深々と押圧すれば、橈骨と尺骨の骨間に指が入り、指の左右は軟らかい肉が隆起して二つの尻のようにも見える。また孔最は肛門に似ていると直感的にひらめいたのではないだろうか。


4.痔核治療の孔最刺激は、座位で強く手を握りしめる肢位にする(三島泰之)


三島は、孔最の主な適応症は痔出血と痔痛で、孔最の刺激を有効にするには、仰臥位で施灸するのではなく、坐位で強く手を握りしめた肢位で行うべきだと記した。針ならば太針を用いて5分~1寸、数分間の手技針を行う。
痛みを我慢する姿勢は、歯を食いしばり、上下肢を含め全身に力を入れた状態になる。昔の排便スタイルはでは、膝を相当窮屈にまげた姿勢で、手は自然と結ばれ、前腕は屈筋に力が入った姿勢となる。前腕屈筋群では、孔最穴あたりから手首に向かって一番力が入った状態になる。痔痛に耐えながらの排便姿勢、この延長上である」(「今日から使える身近な疾患35の治療法」医道の日本社刊 2001年3月1日出版)。


5.痔疾に対する孔最刺激の方法(国分壮)

国分壮・橋本敬三共著「鍼灸による速効療法 運動力学的療法」医歯薬、昭和40年4月20日)では自分の治療ノウハウを率直に書いてあり興味深い。

①局所刺激

肛門周辺を押圧すると特定の位置に圧痛点を発見できる。その中心めがけて深く刺入する。この一針だけで痔痛はなくなり痛むことはなくなる。この圧痛点に直接灸するのは具合が悪い。太い線香や蚊取り線香を使い。圧痛点に徐々に火頭を近づける。はじめはポカポカとほのかに温かく快適であるが、さらに火を近づけるとアッと灼熱感を覚えて肛門がキュッと締まる。間髪を入れず火先を遠のける。これを5~6回施すと圧痛がとれる。翌日また圧痛があれば4~5日続ければ圧痛はとれる。


②孔最刺激

灸の治療は必ずしもモグサを必要としない。70℃くらいの温熱感がツボに的中すればよい。直接灸の場合はできるだけ細い艾炷でよい。要するに快適な感覚がツボ周囲に放散すればよい。温灸では刺激部位を広くとらねばならない。

 
6.結論

いろいろと調べると、痔に効くという効能は、痔核限定のようだ。しっかりと反応している孔最の反応を捉えることが重要で、その反応点が結果的に孔最や澤田流孔最の位置にこだわる必要はない。


気管支喘息に対して天突から胸骨裏への水平刺が効いている例 ver.1.3

2023-08-02 | 投稿記事

岡本雅典 氏 レポート 2022年7月18日

A.気管支喘息の症例報告

普段から体月2回ほど身体のメンテナンスで来院する48才男性。ある日の来院時、「今回また喘息発作が治まり、呼吸が浅くて息苦しい。いつもこの状態が1カ月ぐらい続く」と訴えることがあった。

その時は、仰臥位にて迷走神経刺激目的で天突に2寸♯5の鍼で、鍼体を90度くらいに曲げ、胸骨の裏に這わすように刺針。「喘息には天突」というのは教員養成科での授業で教わったもの。天突から直刺しなかったのは、気管壁へ直接刺激するのを回避する意味。

固いところに当たったら「響きましたか?」と問うとYes と返答するような具合に行った。得気が得られたらそれ以上深刺せず、また廉泉には寸6#5で刺針し、両者をクリップでつないで1ヘルツ20分間の通電を行った。廉泉刺針は、喉の奥への響きを得やすく呼吸が楽になるかもしれぬという思いからで、迷走神経刺激の意図もある。刺激が不足するようならば、徐々に100ヘルツまで上げていった。1~2分間ほど通電していると、「呼吸が深くなって、楽に呼吸できる」と喜んでいただいた。
喉を湿らすために、寸3♯1で両側の顎下腺にも鍼刺し、ここにもパルスを流した。

その後の来院の際にも天突水平刺や簾泉刺針をしたが、パルス通電はしていない。これは天突に水平刺しただけでも「呼吸が深くなる」という効果が得られたため。このような治療により、これまでリバウンドの経験はない。定喘や治喘は一度も使っていない。


なお41才、女性で同様の症状を訴える患者に対しても天突から胸骨裏への水平刺が有効だった。

※周波数の使い分けについて、現在の僕は1Hzは気管支喘息発作後、深く呼吸が出来るようにする。(2診目以降はパルスなし)、10Hzは花粉症などで喉がイガイガする場合。
100Hzは風邪で喉が痛い場合といったように一応使い分けているが、厳密に比較検討したものではない。

 

B.気管支喘息の薬物療法から考える鍼灸治療の整理

1.気管支喘息に対する現代薬物療法の概略

40年前頃までは、気管支喘息で鍼灸に来院する患者は珍しくなかった。当時の治療はステロイド内服が中心だった。しかしステロイドには強い副作用があることから、過度には使わせず、ギリギリの処でコントロールされていた。予想外の大発作が起こると、呼吸困難となり、救急車で病院に搬送されるのが常だった。

しかし現在、気管支喘息で鍼灸に来院する者はマレとなった。その意味するところは、現代医療が進歩し、代替医療として鍼灸に頼る必要が薄れた結果でもある。

治療の2本柱は、吸入ステロイド薬+気管支拡張剤である。治療の重点は気管支の炎症を軽くして気管支の腫れを引かせる方に置かれるようになった。炎症改善にはステロイド剤が最も効果的である。その投与法はステロイド錠の内服ではなく、気道狭窄の度合いを調べ、必要十分な量のステロイドを吸入する方式に変わった。これによりステロイドの使用量は数十分の一程度と激減したので、昔ほど副作用をあまり心配する必要がなくなった。

 
気管支拡張剤とは、交感神経β2刺激剤のことである。発作時は副交感神経優位になっているので、気管狭小し気管分泌物も多くなり呼吸困難になっている。この自律神経バランスを交感神経優位にする目的で気管支拡張剤を点滴する。


2.気管支喘息に対する鍼灸治療法の整理

以下は、似田敦著「現代鍼灸臨床論」の中から大幅に引用させて頂いた。自分の行った治療が気管支喘息の鍼灸治療体系の中で、どういう位置づけになるのか知ることができる。

1)交感神経優位を目的にする施術

気管支喘息の鍼灸治療は、ステロイド剤のような強力な抗炎症作用はないので、発作時に必ず効くという保証がない。鍼灸治効の基本原理は、副交感神経優位の状態を交感神経優位に誘導させるという意味では、上述の気管支拡張剤的といえるだろう。それには2つの方法が広く行われている。

①仰臥位での天突刺針
天突刺針は、30年以上昔から、天突から胸骨裏にむけて水平刺(事実上は斜刺)する方法が知られていたが、仰臥位で上背部にマクラを入れ、頸を過伸展位にさせるのが大変なのか、中国でも天突から直刺する方法に変わったようだ。天突から胸骨裏へ斜刺する場合、針は縦隔中に入る。縦隔は結合識に満ちていて刺激には鈍感。壁側胸膜を刺激せず、臓側胸膜も刺激しない。ただ大動脈を刺激できる。これは大動脈壁に分布している迷走神経の刺激が治療的意義をもつだろう。天突水平刺というと、気管壁刺激のイメージとなりがちだが、気管は大動脈の奧になる。

仰臥位で天突水平刺が効いたとする場合、座位で大椎強刺激と同じように、副交感神経優位の身体を交感神経優位に誘導した意味があるのだろう。

②肺気管支の脊髄神経断区としてTh1~Th5(とくにTh1~Th3)の高さの起立筋施術として治喘、定喘、肺兪など(伏臥位)への刺針がある。
本来、肺・気管支は副交感神経優位作動性なので、基本的に内臓体壁反射は生じにくい。そのため交感神経優位の胃の治療に中脘や脾兪、同じく交感神経優位の心臓の治療に心兪や巨闕などという兪募穴治療パターンは使いづらい。

③人為的に交感神経優位の情況を作り出すため、強刺激治療や座位での治療を実施する。これには欠点もあり、強刺激になりすぎ、数時間後(とくに夜間)にリバウンド(発作の再発)しやすくなることがある。自律神経は振り子のようなもので、自然に振れ動いている限り問題ないが、人為的に大きく振り子を動かすと、反対方向にも大きく動いてしまうのである。

④このような失敗を防ぐため、筑波大の西条一止先生は太い鍼で短時間(単刺施術)・少数穴治療という考え方を誕生させた。イメージ的には、熱いバスタブに短時間入る感覚である。熱いバスタブに長時間入ると火傷するので問題外。ぬるいバスタブに長時間入ると副交感神経がさらに優位となるので逆効果。ぬるいバスタブに短時間入るならば、風呂に入る意味はそもそもなくなる。パルスをすると、どうしても長時間置針になるので、短時間治療という原則からは外れる。ただし軽度の喘息発作では、振り子の振れ幅も小さいのでパルスをしても、リバウンドについては心配するに至らなくてすむ。
 
2)首コリ肩こりの治療
 
故・高岡松雄医師は、気管支喘息患者発作時に皮内針治療を実施したところ、同じ患者でも、効く場合と効かない場合のあることを経験し次の結論を得た。患者によっては、アレルゲンや感染によって発作が起こるのではなく頚肩部の筋のコリが発作の誘因になっている場合がある。コリを緩めることで発作が楽になることもある」。アレルギーが発作の誘因ならば皮内鍼治療の効果はないとの解釈を提示した。

(高岡松雄「痛みの治療」医道の日本社)


3)灸痕による異種蛋白療法


40年ほど前の医道の日本誌に、「ガットグートつぼ療法」の記事が載っていた。ガットとはガットギターのガットのこと(昔のギターの弦は羊の腸を原料としていた)。グートは小腸のこと。すなわち羊や豚の小腸を細くしたものを、注射注射器で体内に入れる治療法である。ガットグートは体内で自然に溶けて消滅する。要するに埋没針療法の一種である。       


これは減感作療法と似た面をもつ。身体の中に異物が入ってくると、身体は退治しようとして、アレルギー反応が起きる。しかし、その異物は大した悪さをしないことが分かると、同じような刺激にあっても以降は過敏反応を呈さなくなる。そこで用いられるのが手術用の糸や絹糸の埋め込みである。


異物を皮下に埋め込む方法は日本の鍼灸師には禁じられているが、その代用として
透熱灸があると浅野周氏は記した。これは皮膚を焼いて蛋白質を変性させることにより、異物を皮下に埋めたのと同様の効果がある。ただし皮下に異種蛋白ができなければならないので、上質モグサでは効果が乏しい。灸頭針用の質の悪いモグサを使い、米粒大の灸をすえる。浅野氏による喘息に対する施灸による異種蛋白療法は次のように行う。
伏臥位。大椎~至陽(督脈上の棘間穴の中から、圧痛の強い2穴を選択)、左右の肺兪と左右の膏肓(できるだけ肩甲骨を開かせてその内縁)を選択。計6点を選ぶ。灸頭針用もぐさを使用。底辺直径2~3㎜、高さ5㎜大の艾炷をつくり、上記穴に9壮づつすえる。9壮×6ヶ所=54壮になる。熱さは1壮で30秒間ほど続く。粗悪もぐさを使う処が治療のカギ(異種蛋白をつくる)である。10日前後または発作時に、再び同様に施灸する。3回程度の治療で改善するのが普通で、1年に3回治療というパターンを継続する。10日毎ならば何回すえてもよい。

ただし似田がこの方法を試してみようと、喘息患者に大椎の透熱灸を行い、人為的に火傷をつくったことがあったが、あまり手応えはなく残念な結果に終わった。異種蛋白療法として施灸痕を考える方法は、興味深いものだが、神経痛や筋肉痛の鍼灸治療などどは異なり作用機序は複雑になる。今後とも喘息のタイプ別の分類、体位や施灸刺激量などを試行錯誤による検討が必要だろう。

 

4)ヒストキシンからヒートショックプロテインへ

「異種蛋白(ヒストキシン)療法は、興味深いものではありが、実効性は疑問にある」と私(似田)は以前から思っていた。ヒストトキシンという単語が生まれたのは1930年頃で、以後は研究の進化みられていない。これに対して、現在は医学界でヒートショックプロテイン(Hsp)が注目されてきた。灸の火傷作用の効果は、Hspによるものではないか?
Hsp70について、分かっていることを簡単にまとめる。

①Hspは細胞が様々なストレスを受けた際に細胞の中で作られて放出される蛋白質で、なかでも熱に反応するのがHsp70という。Hsp70には炎症を抑制する作用がある。
②ただし自己免疫疾患(アレルギーや膠原病など)の場合には却って症状が悪化することもある。
③Hsp70を分泌させることが、免疫システムに対して良い影響を与える。たとえば40℃の湯船に20分つかると、体温は核心温度1℃上昇するので免疫反応を活性化するという。④直接灸は熱いが熱量的には大したことはないので、たとえば気管支喘息に大椎に7壮の半米粒大灸をしたからといって、Hsp70が上昇して治効をもたらすかどうかの疑問は残る。
これが打膿灸になると話は別で、打膿灸の治効はHsp70増加によるものかもしれない。


5)気管支サーモプラスティー(BT;bronchial thermoplasty)の開発

気管支を物理的に熱することで重症気管支喘息の発作を緩解させようとする治療法が開発され、2015年4月に日本でもこの治療法が保険収載された。これを気管支サーモプラスティー(BT)とよぶ。気管支鏡の先から高周波電流を出し、これにより気管支壁を65℃に加熱する治療である。肥厚した気道平滑筋を薄くし、筋肉量を減少させ、喘息発作を緩和させる。気管支に熱を加えても基本的には痛みや熱さは感じない。この治療原理もヒートショックプロテインといえるのではなかろうか。


6)次回発作までの期間を長引かせる全身治療


発作時の治療は現代医療に任せ、鍼灸は次回発作までの期間を長引かせること。すなわち発作が起こりにくい身体にすることが重要だといわれている。これは方向性としては妥当だが、実際の施術方法まで示すものではない。

 

上写真:外国人向け指圧講習会2022年。下段中央が筆者(高野山宿坊にて)

 

岡本  雅典
あはき師、元東京医療専門学校講師     
オフィス:The 立川鍼灸院 治療室ホスピターレ
     東京都立川市柴崎町3-3-3 櫻岡ビル4F
                  電話 042-526-0766

 


足三里の効能 ver.1.1

2023-07-30 | 経穴の意味

1.俳人、松尾芭蕉は著書「おくのほそ道」の中で、旅立つ際は足三里に灸する旨の記載があったことが針灸師にはよく知られている。このようなイメージから足三里には健脚の効能があるとされるようになった(江戸時代の旅人は、宿代を節約するために1日30~40㎞も歩いた。)ただし中国では足三里の効能に「健脚」は見当たらない。
 
2.江戸時代になって一般民衆の文化水準が向上すると、世の中の動きにも興味をもつ者が多くなり、神社仏閣参りを口実に、旅に出かける者も増えた。江戸時代の旅人の心配事は、道中で病に倒れることだった。旅人にとって”食あたり”は体力を消耗する致命傷となった。足三里の灸は、あたりを予防の意味があったらしい。
 
3.最近になり、旅人はツツガムシ病を恐れたのではないかとの見方が出てきた。ツツガムシ病は、かつては風土病の一つで、夏になると川沿いの草原に入った農民や旅人の間に、突然高熱(38~40℃)を発し,身体中に赤い発疹が現れ、意識朦朧状態になった。10人に4~5人は14~15日から20日のうちに死んでいく熱病だった。抗菌治療が行われない場合の致死率は3~60%。ツツガムシ病に対しては足三里の灸もあまり効果なかったことだろう。
 
4.江戸時代後期、とびぬけて長寿の家系として百姓の万平の一族がいた。長寿のお祝いとして当将軍、徳川家斉の招待を受けた。その折長寿の秘訣を聞かれた。すると万平は「両足の三里に灸するだけ」と返事した。万平一族は月の初旬の8日間、生涯にわたりお灸を続けていた。当時、中風(脳卒中)になるのぼせの結果だとされ、足三里の灸は、気を下にさげる効果があるとされ、長寿の灸としても推奨された。

 

モノクロ写真を疑似カラー化・詳細度化したもの


写真の人、原 志免太郎は健康灸として腰部八点灸を提唱した医師で、針灸師ならば誰でもご存じの筈。これまで針灸医学史上の人物だばかりと思っていたのだが、昭和58年2月号の針灸専門月刊誌「医道の日本」に本人の写真が口絵をかざった。福岡市内で百才を越えてもまだ医師を続けているということで、長寿としての灸の効果を身をもって証明した格好になり、読者を喜ばせた。結局104歳まで聴診器を持ち、「男性長寿日本一」として108歳で逝去した。

原志免太郎は昭和4年、灸の研究でで博士号を取得した。その要旨は次の通り。①ウサギへの施灸後、皮膚組織におけるタンパク変性と血液中の血球変化、とくに白血球数の増加が免疫性を増強し、病気予防に有益であった。②ウサギを4つのグループに分けて結核菌を感染させ、結核菌を感染させる前からお灸を始めたグループが最も良好な結果を示した。原は灸により火傷させることが病気予防に重要であって、施灸場所は無関係であることを主張した。場所はどこでも同じだから、施灸場所があまり目立たない腰仙部に8カ所するのがよいだろうと結論づけた。つまり本稿の「足三里」だけでなく、ツボごとの固有の効果には興味を示さなかった。


古代中国の天文学と経穴名 ver.1.3

2023-07-28 | 古典概念の現代的解釈

最近、経穴の語源について調べているのだが、そうこうしているうちに経穴の中に星や星座と関係する経穴がいくつかあるのを発見したので、354正穴の中からピックアップしてみた。昔の中国人の考え方の一端を知ことができて感慨深い。とくに前胸部の胸骨に特徴的なツボが並んでいる。


                                       
      
1.紫宮(任)    
華蓋の下1寸にある。紫宮穴は心臓の位置にある。古代中国では、天帝が住んでいる星すなわち北極星を紫微星(しびせい)とよんだ。紫微とは、価値のある星の意味。紫が尊いということは、道教の思想である。北京にあったかっての中国皇帝の住まい(故宮)のことを紫禁城と称した。これは、紫微城の地を一般人の立ち入りを禁ずるというところからきている。一方、それ以前からあった五行説では五方(東西南北と中央)ので中央にあるのは黄だとして、中国黄帝以外に黄色の服は着てはいけないとの規則をつくった。

紫色染料の原料として、アクキガイ科の巻き貝の内臓からとれる分泌腺を利用してきたのだが、1gの染料を採るのにアクキガイ科の巻貝が約2000個必要だった。大変高価なものだったので王様や貴族など、ごく少数の富裕層の服飾にのみ使用された。紫が尊い理由は、貝からとれる染料(これを貝紫とよんだ)が高価なもだという理由による。ちなみに聖徳太子のつくった冠位十二階の最高位も紫だが、こちらは植物の紫根を染料にしたので安価だった。紫根は現代では、紫雲膏の原料として知られている。

紫微星は一つの星ではなく、北極付近の星々のことを指している。紫微星の北には北斗七星、南には南斗六星がある。

 


2.華蓋(任)  

華蓋穴は、胸骨角(胸骨柄と胸骨体の接合部の骨隆起)中央にとる。
華蓋とは、五臓六腑の中で最も高い位置にある肺のこをいう。ただし華蓋は高貴な身分の者の頭上にかざした、上質の絹でできた傘をさすことが多い。



上図中央の人物は、黄色の服(皇帝以外に着用禁止)や冕冠(べんかん。四角い板の端から珠暖簾のようなもの)から秦の始皇帝だと思われた。冕冠の意味は、世の中の端々の嫌なことを見ないようにするためだとする意見がある。自分からは相手が見えるのに、相手から自分の顔が隠され見えないという役割があると思う。

 

と思われる。

ちなみにキノコの一種のキヌガサタケ(衣笠茸)は絹傘茸とも書く。華蓋の形状に似ていることからつけられた名前であろう。

 

3.璇璣(任)
華蓋の上1寸にある。   
①璇(せん)と璣(き)は北斗七星を構成する星で、どちらも美しいとの意味がある。
ちなみに天枢とは北斗七星の一番目の星、

②回転仕掛けの天文器械。渾天儀(天体の位置を観測するために用いられた器械)の別称。

4.天枢(胃)
天枢穴、臍の外方2寸にある。
北斗七星の七つ星のうち、最も紫微に近い星も天枢とよぶ。これはどういうことだろうか。
枢」は、もともと回転扉の回転軸部をいう。現在では金属製の丁番(=ちょうつがい)が当たり前に使われるが、昔は金属は高価で金属加工技術も低かったこので、丁番に代わる方法を工夫した。扉の片側に凸状の出っ張りをつけ、片方を凹の部分と噛ませることで扉を開閉させていた。凹凸の部品は枢で、和名は「くるる」とした。この回転のしくみが元となり、回転の軸となるものを枢とよぶようになった。


一方、臍の高さは、お辞儀をする際に上半身を前屈する境界となる。すなわち天枢は身体を上半身と下半身を分ける境目線としての意味があるのだろう。
これが回転軸という意味になった。天枢とは動く部分と動かない部分の境界というのが語源だろう。

 

5.太乙(胃)
 天枢穴の上2寸、下脘穴の外2寸。
太乙は北極星をさすが、なぜ甲ではなく「乙」なのか不明。中国語の発音では、太乙と太一は同一なので、太一から変化したのだろうか。太乙も太一も、中国の古代思想で、天地・万物の生じる根源。太極という意味もある。太極は万物の根源であり、ここから陰陽が生じるという易学における根源の概念である。


.箕門(脾)    
①箕門穴は、大腿内側の上1/3で縫工筋と長内転筋の間、大腿動脈拍動部に取穴する。箕門膝を曲げて足を外転させた姿勢で取穴する。その姿が箕(み)に似ていることから命名。箕は竹で編んだザルのような農具で、米などの穀物の選別の際に殻や塵を揺すって外に取り除くために用いた。ちなみに蓑(みの)はワラで作った雨具のことで別物。

②古代中国で「箕星(みぼし)」は南斗六星から柄を除いた四角形の部分をいう。南斗六星は北斗七星に比べて暗く規模も小さいものだが、はるか昔の夜空は暗く空気も澄んでいたから、容易に発見できたことだろう。

     


7.太白(脾)  
足の第1中足趾節関節の後、内側陥凹部。
①古代中国の金星。太陽、月に続く3番目に明るい星として認識されていた。その光が白銀を思わせるところから太白と呼んだ。本来は明けの明星を啓明,宵の明星を長庚または太白と呼んで区別した。
②中国には太白山と名前のついた山が多数あるが、西安(唐の都長安のこと)の西の宝鶏市にも太白山(標高3767m)がある。ここは太白峰の別名がありかつて道教の聖地たっだ。この太白山は西安から見て「宵の明星金星、すなわち太白星がその山上に輝く位置、そして沈む位置」にあることから命名。
③太白金星のこと。中国伝統神話に登場する白髪の老人で金星の神様。中国の民族宗教と道教の神。天界と地上との伝令役で、孫悟空を天界に案内した。もともとは若い女性の神様(西洋の美の女神ビーナスを連想させる)だったが、時代を下ると老人の神様ということになってしまった。しかし老人になってからの方が人気がでてきた。


8、日月(胆)
9肋軟骨付着部の下際に期門(肝経で、肝募)をとり、その直下5分に日月(胆経上で胆募)をとる。期門穴と日月穴は1㎝ほどしか離れていない。たとえば期門に針や灸をすれば、その作用は日月にも波及するだろう、その逆もしかり。このことが日月という穴名にも関係している。

日月で、日(=太陽)は胆、月は肝をさしているが、天体としての太陽・月との結びつきは弱い。
唐の文人韓愈は、「肝胆相照らす」という成句を創案した。これは「教養ある立派な二人がいて、互いに相手に感化されつつ、心底親密な関係」という意味である。五行での肝は戦略構想を計画し、胆はそれに基づき決断実行するということ。すなわち肝は計画、胆は実行ということ。

期門と日月は、車の両輪のように協調しつつ、疾病に対処するといった意味になるだろう。


         

 

 


良性発作性頭位めまい症とメニエール病に対する針灸治療の根拠

2023-06-27 | 耳鼻咽喉科症状

針灸院に来るめまいの2大疾患は、項部の筋コリを別格とすれば、良性発作性頭位性めまい症とメニエール病であろう。両疾患とも、特別な針灸治療法があるわけでなく、項部の筋コリを緩めることで改善していくというのが実情のようで、治療のアセスメントにしっかりとしたものはないようだ。
最近、上記2疾患の病態生理に共通点のあることが指摘された。卵円囊、正円囊から剥がれた耳石片が原因をつくるのだという。

 

1.平衡覚センサーとしての平衡斑とプクラ

  

内耳の前庭には卵形囊と球形囊がある。半規管近くには卵円囊があり、蝸牛近くには球形囊があって、それぞれの内部には平衡斑(=耳石器)がある。平衡斑内部には耳石があり、この動きにより自分の頭位情報を中枢に伝えることで、体をまっすぐに保つ静的平衡覚に関係している。身体の動きにあわせてバランスを保ち、まっすぐに体を保つことができるのは平衡斑の働きによる。
   
卵形嚢と球形嚢の平衡斑は互いに直交していて、卵形嚢では水平方向の直線加速度(電車発着の加速度など)を感知し、球形嚢では垂直方向(エレベーター昇降の加速度など)の動きを感知している。

  
一方半規管の根元の膨大部にはプクラ(=膨大部頂)があり、プクラ内部には感覚毛集合体がある。半規管内部にはリンパ液が充満している。頭を動かすと半規管内部のリンパ液が動き、これにつれてプクラも動く。プクラの動きは、回転加速度(=動的平衡)の情報を中枢に送る役割がある。半規管は互いに直角になるよう3本ある。


2.良性発作性頭位めまい 


1)原因と病態生理

  

 

卵形嚢の平衡斑にある耳石から小さな耳石片が剥がれ、それが半規管内に混入することがある。この砂粒様の耳石片は細かいので、リンパの動きに影響を与えることはない。しかし長期寝たきりや外傷などで、耳石が長時間同じ場所に集まると、次第に結合して大きな塊になり、リンパ液の流れを乱すまでになり、めまい発作を起こすようになる。
 
耳石片は、やがてリンパ液中に溶けていくので1ヶ月以内に7割が自然治癒する。しかし次々に新しい耳石片が剥がれるケースでは、回復には長期間を要する。


2)症状

   
①特定の頭位変換で誘発される回転性のめまい。30秒ほどすると自然消滅。
②難聴・耳鳴(-)                   
③減衰現象(+):ある特定の方向を向いて、数秒後にめまい出現するが繰り返すうちに、 めまい減衰。


3.メニエール病

 
1)原因と病態生理


   

蝸牛管内のリンパは絶えず産生され排出され、一定量を保持している。しかし球形嚢内で耳石が剥離し、耳石片が内リンパ液の通路を塞ぐと、内リンパ液は行き場を失い、蝸牛は内リンパ水腫となり、難聴・耳鳴りが起きる。内リンパ水腫がある限界に達すると、外リンパ液との境界(=ライスネル膜)が破れ、リンパ液の乱流がおこり、その際に回転性めまいが起こる。
しばらくするとライスネル膜は自然修復され、内外のリンパ圧は等しくなるので、症状は寛解するが、数週間~数ヶ月後には同じ機序で発作を繰り返す。

メニエール発作とは、発作性反復性に生ずる回転性めまいをいう。これを<前庭型メニエール病>とよぶことがある。メニエール病には<蝸牛型メニエール病>もある。これは従来、急性低音障害型感音性難聴に分類されていたものである。めまいを伴わずに低音域の難聴と耳鳴りだけが反復。人の声は中音域なので、あまりコミュニケーションに不自由しない。このタイプはと分類され、緩解しやすいが再発もしやすい難聴として知られる。20~40代の若い女性が多く発症。 


2)症状   

本疾患は、めまいの4割近くを占める。40~50才台に好発。性差なし。

 三主徴は、めまい(回転性)、耳鳴り、難聴
①水圧が上昇して音を感ずる細胞を圧迫→鼓膜からの振動が伝達しにくい→感覚細胞を乗せて震動する蝸牛基底板の動きを全体的に悪くするので、低音障害型の難聴となる。
②水圧上昇し、膜迷路が膨張し、ライスネル膜が破れると発作性回転性めまい(反復性)
③難聴耳鳴は一側性。難聴、耳鳴が同時に起こる。補充現象(+)
④めまい発作は2~3時間程度、ときに半日続く(30分程度で治まるということはない)。
⑤めまい発作は、発作性反復性に起こる。めまい発作が治まり、寛解期に移行すれば、難聴・耳鳴も消失する。

 

4.めまいの針灸治療の検討
 
1)頚部性めまいの針灸治療

   
針灸治療は頚性めまいに効果あるとされている。すなわち内耳平衡機能障害によらず、頸コリにより生じた非回転性めまいに針灸は有効ということだ。非回転性とは、フラフラした足が地面につかない感じ。あるいはまっすぐに歩くつもりでも、片一方に寄ってしまうというような状態をいう。

内耳の障害ではないので、前庭症状(-)、回転性めまい(-)、難聴・耳鳴り(-)。   

 平衡感覚に関する情報は、①内耳から、②目から、③深部感覚から来た情報が橋・延髄移行部にある前庭神経核に集められ、互いに照合されて平衡機能としての用を成す。頚性まいとは、③の深部感覚情報の誤作動で前庭脳の情報処理に矛盾をきたした結果である。深部感感覚は全身的に存在しているが、頭位とのかかわりを考えた場合、頸部深部筋との関わりが深い。頸部深部筋とは、後頭下筋、頭板状筋・頭最長筋・頭半棘筋などをさす。
 
前庭は左右独立して機能しており、一側前庭の興奮は同側の筋緊張を高めている。左右同じ程度に前庭が働くことで、筋の左右バランスがとれ、正常な平衡感覚を保つことができる。
もし左右一側の頚部深部筋の緊張がると、その側の前庭機能のみ亢進するので、平衡感覚異常が生ずる。したがって一側の頚コリを改善することが、平衡感覚異常の治療になる。
 
 
2)良性発作性めまいの針灸治療

   
本症は椅座位から仰臥位になるなどの体位変換時に、地面がひっくりかえるような感じがするので、患者は恐怖感がある。これは一瞬にしておこる激しい症状なので、発作時は独歩して針灸院に通院することはない。膝痛など他の疾患で治療していて体位変換を指示する際、良性発作性めまい発作が突発することはあるが、患者は慣れており、数十秒じっと動かないでいると自然に発作はおさまることを知っている。したがって、この時も針灸の出番はない。

   
良性発作性めまいについては、半規管内に混入した耳石片を、元の耳石器位置にもどす矯正手技(エプリー法やランバート法)は知られているが、耳石片を消すような薬物療法はない。ただ応急処置としてメイロン静注(炭酸水素ナトリウム)が行われ、数分後には寛解することが多い。メイロンの作用機序は耳石に作用して加速刺激感受性を低下させたり、内耳血管を拡張して効果をもたらす。剥がれた耳石片が半規管内リンパに溶け込めば治ったといえるだろうが、次々に新たな耳石片が半規管中に混入するとなると、治癒までは長期間かかる。

 

3)メニエール病の針灸治療

     
40年も昔になるが、東京女子医大耳鼻科の研究で、メニエールの発症には自律神経が関与しているらしいので、針灸治療が効果あるかもしれないから、実際に効果あるのかどうかやってみようという話になった。針灸施術は代田文彦が行った。臨床研究は十年以上続けられ、次の好成績を得た。

①めまい(3年間観察):著効 65% 、有効 26%、無効 18% 、判定不能 4%(計23例)。
②聴力(5年間観察):改善 5.6%、不変 91.5% 悪化 2.8%(計59例、71耳)
※聴力改善の成績はあまりよくないが、薬物療法よりは効果がある。   

メニエール病に針灸治療する意義とは、頭部や項部の針灸刺激により、これらの筋緊張が緩和され、そのことが前庭-脊髄反射の逆の作用を起こし、前庭機能を強化するのだろう。ただしメニエール発作を改善させるのではなく、次に起こる発作までの期間を長引かせる作用になると代田文彦は考察した。

 

4)慢性メニエール病の針灸治療
   
メニエール病の活動期と安定期を長期間繰り返しているうちに、症状か慢性化する状態をいう。めまい発作を繰り返すうちに、ライスネル膜は厚くなるので、膜の破綻は起きにくくなるが、常に内外のリンパ圧が違うことで、コルチ器が正常に機能せず、持続的な難聴・耳鳴を生ずるようになる。慢性メニエールは恒常的に内リンパに圧の圧力が高まっているので、耳閉感が主訴(頭がパンパンになる)となる。このような症状改善が治療目標となる。

治療原理は急性メニエール病と同 じく前庭脊髄反射により、項部~側頸部が非常に緊張するので、天柱・上天柱・風池・百会などの筋緊張部に刺針(できれば中国針)20~30分間することで、前庭機能によい影響を与える。ただし完治するのではなく、週1回程度の定期的通院で快適な生活を過ごせることが治療目標になる。


治療中の笑話 Ver.1.9

2023-06-15 | 雑件

  長らく治療に携わっていると、ときには面白い話にぶつかる。思いつくままに紹介する。


1.50才台男

患者:「昔、40才頃の頃、20代の愛人がいましたよ」
私「それは、うらやましいことで‥‥」
患者:「愛人だけど、愛はなかったけどね。」
    「恋人には愛があり、愛人には愛がないか」


2.40才台男性患者

患者「大学でラグビーやっていた頃、足を痛めてベンチにいると、先輩がこう言った」
先輩「おまえは、顏が痛いのか」
患者「いえ、痛いのは足です」
先輩「だったら、痛そうな顔するな」

 同じような話を、以前父親から聞かされた。
私「父が軍隊にいた頃、古年兵が冗談を言い、皆を笑わせた。しかし父だけ笑わなかった。」
  「その時、古年兵が言った。<おかしくて、笑えないのか!>」


3.統合失調症の患者50才台女性 幻聴があるらしい。

先輩鍼灸師Y先生が、私の隣のベッドで、仰臥位で治療している。
患者:突然がばっと上体を起こし、こう言った。
   「神様は、そう、おっしゃいませんでした!」

Y先生はびっくりし、付添の夫は心配そうにし、私は声を立てないように笑った。


4.患者A(70才台女性)と患者B(40才台男性)は親子。

患者Aが友人にこう話したという:「あの先生(私のこと)は商売っ気がないので、貧乏しているらしいよ」
患者B:「先生は、もしかして、お金を汚いと思ってやしませんか?」

5.患者(60才台女性)の夫は、小さな会社の重役で、勤勉で温厚な紳士である。ただし、顔は土方の親方風だった。それでも背広を着るとマシになるが、その日はあいにく作業着姿で、仕事の打ち合わせで、相手方の社員食堂で、待たされていた。

食堂のおばさんが、その夫に、「はいよ」といって、エロ漫画雑誌を手渡した。

‥‥夫は激怒したという。


6.60才台女性

患者:「老化現象のつぎは、階段現象ですか。まるで建築現場ですね」

 

.50才台 男性 僧侶

僧侶の患者さんの治療が終了し、次に待っていた患者が治療室に入ってきた。その時、僧侶の患者とすれ違った。治療室に入ってきて一言私に言った。

「いまのは、ヤクザですか、それともお坊さんですか?」

 

8.精神科医が患者として来院した。その先生が、こう言った。

「人生の中の出来事で、8割はイヤなことですね」

 

9.玉川病院指導鍼灸スタッフH先生の話

ある時、H先生は仰臥位にて痩せた高齢者女性の治療をしていた。知熱灸をしていた時のこと、八分まで燃えた知熱灸を取り除こうとして、誤ってその女性の乳頭をつまんでしまった。するとその女性患者は、「ヒーッ」といって、両手を上げたという。

後に我々に、「その人の乳頭は、黒くて燃えた知熱灸の灰と区別がつかなかった」と弁解した。
どのようにその女性が反応したのかを、H先生が身振り手振りで再現。かつてアフリカ原住民が神様を拝むときのように両腕を上げたのだった。

 

10 ある日、常連の患者に紹介され、近所の歯医者が来院した。首が痛むという。首に針を刺したが、非常に痛がる。針を寸3#0に交換して、細心の注意をはらって浅刺しても痛がる。

一緒にいた常連患者も私も、あきれて言った。「先生、これまで自分が患者にさんざん、痛いことをしてきて、いざ自分の番になると痛がるというのは、おかしくないですか?」

歯医者がこう言った。「痛いのは患者であって、自分は痛くないのだから関係ない」

以来、二度とその歯医者は来なかった。

 

11.代田先生の内科外来時、たまたま患者が途切れた時があった。見学中のK君とO君が、尊敬してやまない代田文彦先生に質問した。

すると代田先生は、目を閉じ、顔をやや上に向けた。熟考している様子だった。

K君とO君は、先生の思考の邪魔にならぬよう、メモ帳を手にしつつ、静かに返事を待っていた。

待つこと少々‥‥ 小さないびきが聞こえた。

 

12.代田文彦先生が病院の当直の日には、我々研修生も一緒に泊まり込む日になっていた。それに先だって、夜8時頃、先生と一緒に全病棟のナースステーションを回診した。代田先生と一緒に歩いていると、研修生は何となく緊張し、沈黙に耐えられなくなる。その折の出来事。

先生に向かって私が言った「今、空きのベッドは、いくつあるでしょうね?」(そう言いながら、なんとつならない質問をしたのかと後悔した)

先生は答えた「そんなこと、知るか!」

 

13.某医学部学生の女性が、浪人時代から当院に来院していた。患者として来院してすでに4年ほど経ち、患者としても、すでにかなり針の通(ツウ)になっていた。その医学部のサークル活動の一つに、東洋医学クラブがあったので、覗いてみたことがあったという。そして次のように私に話した。

そのリーダーである先生が、患者役の者に刺針すると、必ずといってよいほど出血した。その先生は、針をすると出血するのは当たり前だと説明した。

その傍らで見学していた医学生は、真剣な顔で頷いていたという。

 

14.代田先生の奥様は、目鼻立ちがくっきりした美人の女医さんである。昔、代田先生がその人と結婚したいと、先方の御両親に挨拶に行った。

先方のお父様がこう言ったという。「あの、サルでいいんですか?」

 

15.イギリス人と日本人のハーフの男性が来院している。外見はまったくの外国人だが、日本生まれ日本育ちであって、海外生活の経験はない。日本語は得意だが、英語は苦手としている。

その彼がこう言った。「街を歩いていると、すぐ外人が話しかけてくるんで困るんですよね」

 

16.トルコ人男性と結婚した日本人女性が来院している。この女性の外見は、どこか日本人離れしていて、中近東風な雰囲気があった。

彼女がこう言った。「日本語お上手ですねといわれる。」

こうも言った。「夫の国トルコに行くと、トルコ人とは思われず、キリギス人かと聞かれる」

 

17.患者の息子さんに世界的なチェリストの毛利伯郎さんという方がいる。その毛利さんに、やはり世界的なチェリストであるヨーヨーマ(中国系アメリカ人)が話しかけた。
ヨーヨーマ「キミは、チェロが上手なんだって? 」
毛利「そうでも、ないです」
ヨーヨーマ「ああ、そうですか」

その返事を聞いて毛利さんは苦笑いした。やはり中国人だなと思ったという。

 

18.常連患者のN夫人の話。ある日の夜、子供も寝たことだし、というので久しぶりに夫と仲良くテレビゲーム「桃太郎電鉄」を始めた。

ゲーム途中で、その時は、N夫人にキングボンビーがついていた。しかし「特急カード」と「ぶっとびカード」を持っていたので、「特急カード」で夫のコマを追い越し、次に「ぶっ飛びカード」で、夫のコマからはるかに遠ざかってしまった。
それを見ていた夫は、「お前はそんな人間だったのか」と言って突然怒り出し、「そういう時のために、コンピュータ自動操作のコマがある」と訳の分からないことを言い、とうとうその夫人を泣かせてしまった。

それまでおとなしく寝ていた息子は、夫のどなり声で目覚め、何事が起きたのか、とリビングに行った。テレビ画面を見ると、キングボンビーが出ていたので、息子は恐くなって泣き出したという。

ゲーム中止になったことは、云うまでもない。



20.当院通院中の患者で高齢の元開業医がいる。この家は、奥様と娘夫婦の4人暮らしである。犬も一匹飼っている。犬というのは、ボスが誰であるかを敏感に認識する。犬の世話をするのが娘が一番多いのだが、残念ながら第2位の偉さであって、ボスはその亭主である。三番は元医者の奥様、最下位は彼自身である。 



21.後輩針灸師のK君が私に言った。「先生の電話って、アメリカみたいですね」
そう言われて一瞬何のことが分からなかったが、なにかカッコイイものを予想した。
少々期待しつつ、「どうして?」と聞くと、
自分の用件が済むと、相手の返答を待たず、ガッチャッと電話をきる」と返事をした。



22.某女子大の非常勤講師(日本史)をしている患者がいる。
「女子大で教えるなんて、いいですね」と私は言った。
患者は予想外の返答をした。
「私の教えている教室には20名の女子大生がいる。すると誰かしら生理中の人がいるわけで、教室には血の臭いがするんです」
※この患者は、博識で専門書も2冊著している。その患者がこんなことも教えてくれた。
「はたけ」という漢字には、畑と畠があり、姓にも畑山とか畠山の2通りがある。前者の畑は、火があるが、焼き畑農法としての畑である。一方、後者の畠には白があって、これは水を意味しており、水田農法としての畠である。つまり畠の方が近代なのだという。


23.玉川病院勤務時代の代田先生へ一通の手紙が届いた。ビートルズのジョン・レノン(ポール・マッカートニーだったかも)からのもので、「1千万円払うから、1年間自分の処にきて主治医をやってくれないか」と書いてあった。代田先生は、1億円くれるならば行ってもよい。日本の玉川病院に来るなら、1回35
00円で治療してやる」と返信した。

その後、ジョン・レノンからの手紙は途絶えた。



24.玉川病院時代、代田先生の同輩に、光藤英彦先生(前、愛媛県立中央病院付属東洋医学研究所所長)という医師がいて、代田先生と共同で鍼灸の研究や臨床に活躍した。当時玉川病院の鍼灸治療費は、初回4500円、二回目以降は3500円に設定していたのだが、光藤先生の治療は、自分で1回5000円と設定していた(これは自分の懐に入らず、病院の収入になる)。また病院内部のスタッフには、通常は治療費を取らなかったが、光藤先生は、同額を請求した。

病院スタッフが、自分の身体に対して光藤先生にちょと相談しても、相談後には5000円の請求書を渡したので、皆から恐れられた。明るく実力がある先生だったので、それでも相談しない訳にはいかない。そこで、請求書を渡されないよう、診察室に入らず、診察室のドアから首だけを出した状態で、光藤先生に相談するようになった。

 

25.元高校教員の患者から聞いた話。ある年、新人の高校教員がやってきた。新人挨拶とのことで、その人は、「まだ若輩ですが、‥‥」と言った。以来、あだ名が若輩となった。五十過ぎた現在でも、若輩のままである。

 

26.老夫婦・娘夫婦と、家族ぐるみで当院にかかっている人たちがいる。その老夫婦は、娘の車に乗せてもらい、当院までの送り迎えをしている。両親の食事もつくるなど、結構親孝行の娘である。
ある時、老夫婦が治療に来ていて、私に言った。娘は結婚して随分変わり、しっかり者になった。けれども昔の独身時代は家の仕事は一切しなかったので、「フン
製造機」と呼んでいた。 

27.脊椎圧迫骨折による背痛ということで、90代の女性の家に往診に出かけた。頭は全然ぼけていない様子だった。ふとリビングを見ると、少年ジャンプとムー(宇宙人とか空飛ぶ円盤とかを扱う、トンデモ雑誌)が何冊か置かれていた。同居している息子(60代)ともども、愛読者なのだという。 

 

28.ある鍼灸の大御所が自分の主催する研究会の参加者名簿を見ていたら、現代的な女性の名前が2人もあった。そこにはエリ、フミエと書かれていた。当日楽しみにして待っていると、この2人がやってきた。井上恵理と小野文恵だった。
(上地栄「昭和鍼灸の歳月」より)

 

29.当院患者のご主人のことで、奥様から聞いた話。主人は心臓が悪いため、定期的に病院に通院している。いつもは薬をもらうだけだが、たまには診察も受ける必要があるといわれ、しぶしぶ受診した。本人は「心臓が少し苦しい感じがする」ということもあり心電図をとった。すると明らかに心筋梗塞を伺わせる所見で、医師は仰天した。早速救急車を手配した。救急隊の人も、意外に元気な患者をみて不審がったが、医師から心電図を見せられ、仰天したという。早速都内専門病院に搬送され、カテーテルでステントを入れる治療を行った。

その手術実施中、つい患者はうとうとし、やがて目覚めた。「少し眠ってしまったようだ」と医師に話した。するとその医師は言った「あなた心臓が止まっていたんですよ」。そのご主人は無事に治療終了したが、奥様にこういった。「死ぬって、簡単なことなんだな」

 

30.私は診療時間中であっても、眠たい時には患者の予定が入っていない時はベッドで寝ることにしている。もちろん目覚まし時計をセットしてからだが。ベッド傍にも治療院用の電話を置いているのでスムーズな応接ができるというつもりだった。

ある日、ベッドで寝ている時、電話のベルが鳴った。眠りながらもベルの数をかぞえた。5回ベルが鳴った後、頭がボーッとしつつ電話に出た。窓の外をみると薄暗く、時計を見ると5時半だった。当院では午後6時受付終了なので、これから患者が来院する予約電話かと思った。
「はい、あんご鍼灸院です」と伝えた。
すると電話主(声の調子から70~80代の女性)は、「今何時だと思っているの?朝の5時半よ!」と言った。
次第に頭がはっきりしてきた。確かに今は午前5時半であると。冬の終わり頃の話なので、5時半といえば午前も午後も同じように外は薄くなっている。
「電話したのはそちらでしょう」と言っても、「そちらが電話したのでしょう」と言って譲らない。何度か押し問答して拉致があかず、患者でもないようなので、「何かの間違いなので、切らせてもらいますよ」といって電話を切った。

実に不思議な体験だった。



31.改めて言うまでもなく、当院は「あんご針灸院」という。これは作家の坂口安吾にちなんだもの。
数日前、昔当院にかかっていたという80代男性から電話があった。
「もしもし あんまはりきゅう ですか?」と言ってきた。
「しんきゅう」を「はりきゅう」と呼ばれるのは珍しくもないが、「あんま」と呼ばれたのは開業以来初めてのこと(私はあんまの免許は持っていない)。

いったい何を言っているのか?
どうやら「あんご」を「あんま」と記憶していたらしい。

 

32.R5.5.15 新ネタ。66才女性。最近の話で、既述の9とよく似ている。乳癌で右乳房全摘術をうけた。左乳房も乳癌になったが、こちら側は上部切開による癌組織摘出術で寛解した。乳頭があるのは左のみである。左肋間神経痛が常にある。
左側胸部が痛むとのことで、毎回寸6#2で数カ単刺していた。今回も同じように施術しようすると、ブラが邪魔だったので少々上にずらした。するとエレキバンを貼ってあるのを発見した。周囲皮膚にくらべ明らかに濃い肌色で、中央には直径1㎝ほど丘状に扁平隆起していた。少々古そうな感じだったので、爪先でエレキバンを剥がそうとした。しかし数回試みると粘着性がよく、剥がすことはできなかった。
 
その患者は大いに驚き、そこは乳頭だと声を上げた。それにしても実にマグレインにうり二つで、それにしれは乳頭輪にしては色は薄く、乳頭もこんなに扁平になるものかと思った。なぜエレキバンに間違えたのかを患者に説明すると、患者はうんざりした声で「もう、いいから」と言った。

 

 

 


輒筋穴という名称の由来 ver.1.2

2023-06-11 | 古典概念の現代的解釈

側胸部第4肋間で乳頭と並ぶ線で、中腋窩線上に淵腋穴をとり、その前方1寸に胆経上のツボとして輒筋(ちょうきん)穴がある。
「輒」は見慣れない漢字なのでネットで調べてみた。なお淵腋(胆)  は「脇の下に隠れる水溜まり(腋窩腺分泌)」の意味だろう。

すると①牛車(ぎっしゃ)などの両側の手すり、②牛車のひさし部分、③牛車をひかせるため、柄の端を牛の首に乗せる木のこと、④轍(わだち)のこと、とあった。轍とは荷車が道を走った際、2つの車輪により地面につけられた跡が肋骨だと説明したものもあった。これまで辞書というのは正確だという認識があったのだが、内容がバラバラであることに驚かされた。

④は明らかに別物なので除外できた。②の牛の首に載せる木とは何なのだろう。牛車各部の名称を図解したものを見てみると、長い柄の先には軛(くびき 首木)とよばれる横木があり、それを牛などの首に乗せ、車を牽かせるというものだった。この解釈も間違いだった。

 

軛(くびき)をつけた牛の写真
 

香港で出版された辞書には、「輒」とは荷車の側板だとの記載があった。この側板は、板を何枚も並べて作られていたものである。何枚もの板を、比喩として肋骨に例えたのだろうと、ここで初めて納得できた。輒筋は肋骨間中にあるツボだからである。肋骨の間にある筋という意味でと輒筋と名づけられたと思った。


  

しかしここで、新たな疑問がわいてきた。前胸部にあるツボの大多数は肋間にあるわけで、肋間にあるのは何も輒筋穴だけの特徴ではない。輒筋穴特有の解剖学的特徴は何かないのかと、再び解剖図と経穴図を見比べ検討すると、側胸の一部分には前鋸筋があることに気づいた。前鋸筋も板が並んでいるように見える。すんわち輒筋の「筋」は肋間筋ではなく、前鋸筋のことだと理解した。

「輒」の字を分解すると、「車」+「耳」+「L(おつにょう)」になる。そして「耳」と「L」で、柔らかい耳タブを意味すると書いてあった。なるほど、そういうことだったのかと、初めて腑に落ちた。前鋸筋のノコギリのようにみえる筋の一つ一つは、耳朶のようにも見えないこともない。


胃の大絡・脾の大絡の考察

2023-06-09 | 古典概念の現代的解釈

最近私は、ツボの由来に興味があり、本ブログにも数回報告してきた。この次は前胸部のツボの由来に取り組もうという段になり、「胃の大絡」「脾の大絡」という単語が出てきた。昔、鍼灸学校で勉強した覚えはあったが、内容については何も記憶してなかった。自分なりに調べてみると、胃の大絡はまあよいとして、脾の大絡について納得できる説明は見つからなかった。私だけでなく、多くの針灸師も脾の大絡について理解できていないのではなかろうか。そこで胃の大絡について一通り説明した後、脾の大絡について私独自の見解を記すことにした。

1.胃の大絡=左乳根       
 
1)胃の大絡とは何か

   
胃の大絡の別名を虚里(こり)という。「虚」とはむなしい、うつろになっている状態、「里」とは距離を意味するので、虚里とは勢いの乏しい動きのこと示すと思えた。
虚里の動とは左乳下三寸のにある心拍動をさす。虚里の動は、「胃の気」と「宗気」に関係していて、元気の衰えや残された生命力を測る反応になる。胃の大絡とは、胃から直接出る1本の大絡脈で、胃から上に行き、横隔膜を貫通して肺に連絡した後、外に向かって分かれ出て、左乳下の心尖拍動部する部に分布するとされる。
 
2)心尖拍動

     
心収縮期に心尖部(最も左外側で触知する心臓の左前方の尖端)が前胸壁に突き当たり、その部分が心臓の拍動とともに持ち上がる現象。心尖部が胸壁に衝突して起こる胸壁上の隆起。心臓の収縮期に正常では第5肋間、左乳線より1横指内側の心臓の外端より少し内側(乳根~歩廊穴だろう)にあたる位置で触診できる。心尖拍動の診察により左室拡大、左室肥大の有無などが分かる。
※乳根:胃経。第4肋間外方4寸の乳頭部に「乳中」をとり、その下1寸で第5肋間に「乳根」をとる。
 歩廊:腎経。「乳根」の内方2寸。「中庭」の外方2寸。


3)虚里の動の自説

   
肌に触れている服の上からでも拍動を確認できる状況では、すでに臓腑の気が衰弱して、宗気が外に漏れ出ていることのあらわれで、生命を維持できない危うい状態を示しているとされる。

※私は三焦について三段蒸し器のイメージをもっている。下段には水が入っていて、下から加熱して沸騰し、蒸気を出している。中段には食べ物が入っていて、下段からの蒸気で蒸している。上段は蒸気が溢れている。蒸し器上段のフタに隙間があれば、そこから蒸気(蒸し器上段の気=宗気)が漏れ出るので、上手に食物を蒸すことはできない。蒸気の漏れは、心尖拍動として観察できるのではないだろうか。



2.脾の大絡=左大包

 
1)一般的な脾の大絡の説明

   
十二経絡には、経脈から分かれて働く細かい分枝1本づつあり、これを絡脈とよぶ。
これに陽を束ねる督脈、陰を束ねる任脈、脾の大絡の三つを加えて「十五絡脈」とよぶ。脾だけは絡脈が2本あることになるが、この理由に「後天の気」を重要視しているからだとする意見がある。
脾の大絡は、脾から直接分かれ、側胸壁の「大包穴」から出て、胸脇部に散布する。
 
2)大包穴


全身に巡る気血を統括し、臓腑四肢、つまり全身にくまなく滋養をする働きがある。

大包の位置:中腋窩線上の第6肋間。「包」には、包む、包容力といった意味がある。
  

3)脾の大絡についての大胆な仮説
     
繰り返すが胃の大絡では虚里の動を診ている。虚里とは心尖拍動のことで、心臓の収縮具合を観察することで、疾病の状況を診察している。このような説明であれば十分に理解しやすい。一方、脾の大絡は、<気血を統括するとか全身を滋養する>などと説明はなされていても、脾の大絡ならではの必然性についての説明はない。

   
そうした状況なので、私は脾の大絡は横隔膜のことではないかと考えるようになった。横隔膜のすぐ左下には胃泡があり、これは左下肋部の聴打診により認知できる。このように考えると、胃の大絡と脾の大絡は次のように同列に考えることができるだろう。
例として気胸では、肺が縮小するので胃泡の位置が上がってくる。呑気症では胃泡が拡大する(鼓音領域が拡大)などが観察できる。
       
胃の大絡(左乳根)=心尖拍動を診る→心臓機能
脾の大絡(左大巨)=胃泡を診る→横隔膜の動き(肺機能)

 

 

4)食竇穴の名称について
   
食竇(脾)穴の位置は、乳根穴(胃)の外方2寸にある。食竇の名称由来を調べると、「竇」=通り穴。食竇は食べ物の通過道であり食道のこと」と説明されていることが多いが、仮に食竇が食道を意味するとなれば、食竇穴の位置は前胸部胸骨あたりになくてはならない。私は「竇」の使われ方を調べてみると、中国では副鼻腔各洞の名前で、蝶形骨洞を蝶竇とよんでいる。
つまり竇には洞穴、空洞といった意味もあったのだ。
これは何を意味していのだろうか。左大包と同様、左食竇も胃泡部を意味していると考えるに至った。確かに大包と食竇は近い位置にある。 

   

 

    
   

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


地機、承山、跗陽の触診と刺針の体位  Ver.1.5

2023-06-05 | 経穴の意味

1.教科書記載の地機穴の位置
 
地機穴は脾経の郄穴でもあるので古典的鍼灸で多用される経穴の一つである。東洋療法学校協会編教科書「経絡経穴概論」の地機の取穴は、「内果上8寸で脛骨後縁の骨際」とある。下腿内側長を1尺3寸と定めるので、下腿内側を3等分し、ほぼ上から1/3の処になる。ただし教科書には築賓の反応の取り方についての記載はない。

2.地機の取穴と意味
 
股関節外転かつ膝関節45度屈曲位、すなわち一方の足底を他方のフクラハギ内側に付けた姿勢(パトリック試験をするその手前の姿勢)をさせ、曲げた下腿内側の反応を調べていくことにする。指頭は脛骨際を容易に触知できるが、地機の高さに相当する部だけは、筋肉が邪魔して骨がうまく触知できないことに気がつく。その筋肉は誰でもシコっていて、軽く押圧しただけでも非常に痛がる。

私は、長い間このシコリの意味が分からなかったのだが、最近になって尾崎昭弘著「図解鍼灸臨床手技の実際」を何気なく読み返してみると、「地機はヒラメ筋の起始部である」と明記されていた。つまりシコリの正体はヒラメ筋の起始部だったわけだ。

補足:ヒラメ筋と腓腹筋(内側筋と外側筋がある)は併せて下腿三頭筋とよばれる。腓腹筋の起始は大腿骨で停止は踵骨の二関節筋であり、足関節伸展と膝屈曲作用があるのに対し、ヒラメ筋の起始は腓骨頭と脛骨、停止は踵骨の単関節筋であり、足関節伸展作用のみがある。仰臥位で膝屈曲肢位では、膝に負荷がかかっているわけではなく、足関節底屈の弱い負荷がかかっている。したがって両筋とも弱い負荷がかかっている訳だが、一般に二関節筋は関節の伸展状態で優位に働き、単関節筋は関節の屈曲状態で優位に働く特性があるので、膝屈曲位ではヒラメ筋の方が緊張している状態にある。ヒラメ筋緊張を増強させるにはさらに足関節伸展位にするとよい。(介護予防主任運動指導員、古賀真人氏の指導による)

※地機の語源

ネットで「地機」を検索すると、ツボの地機以上に、織機の地機の記事が上位に並ぶことに気づく。機織り機の種類にはいくつかあるが、次第に改良されつにつれ、その構造も複雑になっていった。現在の機織り機は、<高機(たかばた)>とよばれ、歴史ドラマなどでたまに目にすることがある。それに対して<地機>(じばた)は、原始的な織機で、地面に直接杭を打って、タテ糸を引っ張り力を保つ方式になっている。つまり地機の語源は、地面に設置された織機という意味であろうか。高機は、よこ糸が表にくるが、地機はタテ糸が表にくる。
地機におけるタテ糸の緊張とは、ヒラメ筋の緊張を意味するのだろうか。下の写真は、中近東のある部落にみる地機であり、ネットで発見したものである。地面に、じかにタテ糸を引っ張っている。人体の場合、地面に相当するのは、脛骨であろう。


 

※大杼の語源

地機穴を織機を結びつけるのは、唐突な考えではないのか思うこともあったのだが、後に大杼穴(上背部、第1胸椎(T1)棘突起下縁と同じ高さ、後正中線上の外方1.5寸)の由来が機織りの、横糸の間に縦糸を通すのに使われる道具であることを知った。脊椎の両側に伸びる横突起の形が杼に似ている。第1胸椎は最も大き椎体なので大杼となったという。やはり当時の中国人も織物は関心事だったに違いない。地機と大杼には共通項があった。

 



.仰臥位での承山・承筋刺針の体位

先に地機はヒラメ筋上にあるので、ヒラメ筋は緊張し腓腹筋は弛緩する体位となる股関節外転かつ膝関節屈曲位にして、地機刺針を行うこ効果的であることを説明した。

では、仰臥位の時、腓腹筋を緊張位で承筋や承山に刺針するにはどうすればよいだろうか。

それには、まず治療側の膝をのばした状態で下肢を挙上30度程度にする。この体位にすると腓腹筋、ヒラメ筋の両方が緊張している。患者の下腿後側とベッド間に術者の一側の膝をもぐりこませつつ、術者の両前腕で患者の下腿を抱え込み保持。次に術者の手指を上手に使って承山や承筋に刺針するとよい。


4.跗陽の触診方法

跗陽は、外果の上3寸でアキレス腱前縁にとる。膀胱経ではあまり目立たない穴だが、陽蹻脈の郄穴となっている。もっとも奇経は八宗穴が治療でよく使われるが郄穴の使い方はよく分かっていないのだが・・・ 跗陽の反応は、仰臥位で術者の手を被験者の踵とベットの間に入れ、少し下腿を挙上させ、もう片方の手指で押圧しつつ擦過するようにするとよい。隆起していれば陽性とする。もともと圧痛はあまり出ない。