さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

信玄ゆかりの名刹「恵林寺」

2016年03月09日 | 巡拝日記

    

戦国武将・武田信玄が自らの菩提寺と定めた

「乾徳山 恵林寺」を訪ねて来ました!

 「四脚門」 (通称・赤門)

この四脚門は織田信長によって全山が焼かれた後に徳川家康により

1606年に再建されたもので国の重要文化財に指定されています

         

「乾徳山 恵林寺」 (けんとくざん えりんじ)

恵林寺は1330年、夢窓国師によって開かれ、武田信玄が

菩提寺と定めた臨済宗妙心寺派の禅宗古刹です

 四脚門を通り真っ直ぐに延びた参道を三門に向かって進みます

参道の脇には手入れの行き届いた見事な樹木が立ち並んでいます! 

模様木風に仕立てられた黒松は素晴らしい樹形で盆栽づくりに

勤しむ自分には格好のお手本となりました! 

 「三門」

 県の文化財に指定されている三門は織田信長が天正10年(1582年)に

当時の住職、快川和尚ら約100人を三門に閉じ込めて

火を放ったと伝わっています

 

 恵林寺の由来 

    三門・四脚門の説明

 三門焼き討ちの際に閉じ込められた快川和尚は

安禅不必須山水 滅却心頭火自涼

あんぜん かならずしも さんすいをもちいず

しんとうめっきゃく すればひも おのずからすずし

と壮絶な最後を遂げた快川和尚の一句が石碑になり

三門に遺偈として掛けられています

 三門の楼上で焼殺された快川和尚の名言

「安禅は必ずしも山水をもちいず、心頭滅却すれば火も自ら涼し」

と詠まれた句は余りにも有名になっています

 

そしてこの有名な句の存在は以前より知ってはいましたが、

この地の恵林寺・快川住職によって詠まれ、現在に

伝わっていることをこの巡拝で知り得ることが出来ました

 

 

 「三重塔」

 「開山堂」

四脚門、三門を潜ると正面に見えるのが開山堂です

堂内に夢想国師・快川和尚・末宗和尚の三像が安置されています

末宗和尚は快川和尚の弟子で後に恵林寺の再興に尽力した住職です

広い境内には枝振りの整った黒松と鐘楼もあり、恵林寺は

見所がいっぱいあって古寺・名刹巡りには格好の寺院です

     

 

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