さつき盆栽日記

さつき盆栽好きが手入れの合間に古刹名刹を巡ります。

天台声明が栄えた「来迎院」

2016年08月08日 | 巡拝日記

  大原三千院の境内を囲む穴太積みの石垣が続く山道を

ゆっくりと登り天台声明の根源の地を訪ねました!

 呂川(ろがわ)が流れる山道を10分ほど登って行くと

目指す古刹の案内板が見えて来ます

本坊に続く参道口 

 「魚山 来迎院」 (ぎょざん らいごういん)

平安時代の始め頃、慈覚大師の円仁が唐で学んだ梵唄(ぼんばい)と

呼ばれる梵語の仏教歌謡などの声明の修練道場として創建されました

 後の平安末期、1109年に融通念仏の開祖・良忍上人が再興して

声明を大成させた。 この声明が魚山流と呼ばれて以後は

天台声明の根本道場として栄えたと伝わっています

 来迎院の由来 

声明とは、儀式などの際に教典に節を付けて唄える仏教音楽のことで

後の平家物語を語り歌う琵琶法師の平曲から浄瑠璃・謡曲などに広く

影響を与えて邦楽の源泉と云われています 

 「鐘楼」

「本堂」 

室町時代に再建された建物で切妻造りの四方に吹き放しの

ヒサシを設けています

 屋根の三角形の側である妻側を正面とする構造は

三千院の往生極楽院と同じ造りになっています

 中央に薬師如来像、右に釈迦如来像、左に阿弥陀如来像、

そして右端に多聞天像、左端には不動明王像を祀る本堂内陣

 三体像の天井には優美な姿の天女が描かれています

 酷暑の中、山道や坂道を登って降りての歩き巡拝で少し疲れましたが

自然美あふれる静かな大原の里はその昔、俗化した比叡山での修行に

飽き足らぬ僧たちが声明と念仏に励む場所であったそうです

そんな僧たちの想いが今に伝わっているような大原の里でした!

  

 

 

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