次回、もう一箇所だけ。
個人的に近江八幡では欠くことが出来ない美しき楽屋裏。
由緒ある古き神社さんを記し残しておこうかと思うのでやんす。
ソコは「佐々木」という名字の方であればぜひ訪れて欲しい!?
楽屋裏であったりもして。
続くのです。ぽんぽん(^^)
こちら。「沙沙貴神社(ささきじんじゃ)」さん。
全国の「佐々木さん」の総氏神!
とも言える神社さんなのでつ!( ̄▽ ̄)どどーん!
鳥居には「佐佐木大明神」なんて書いてあって。
横浜ベイスターズの往年のセーブ王みたいですな( ˙-˙ )
以前記した「ワタナベ」さんや「ハセガワ」さんのお話に続く、
まさかのシリーズ化!?
的趣きの回となるのでしょうか(^ω^)ええ。ええ。
楼門や本殿の美麗さはこの地の美しさをも表している様な感じで。
そもそも「佐々木」さんという名字は、
この沙沙貴神社さんが佇む地の名前である
「ささき」に由来しているようでして。
平安時代に臣籍降下し、この地にやって来た、
いわゆる「近江源氏(おうみげんじ)」さんが名乗り出した名字のようです。
この近江源氏さんを更に辿れば、
第59代天皇「宇多天皇(うだてんのう)」にまで遡る事が出来るので、
佐々木氏を含む近江源氏一族は「宇多源氏」とも言うのだそうです。
何と由緒正しき佐々木さん!しょうか。
とてーも高貴なのでつね。(。・・。)
そんな宇多源氏から派生した佐々木氏は様々に分家していき、
その分家した方々の名字を記していけば、
Wikiに載っているだけでも......
佐佐木、笹木、佐々城、沙沙貴などはもちろんのこと、
六角、京極、黒田、三井、大原、高嶋、篠笥、尼子、伊庭、椙山、
岳、朽木、和泉、山脇、田中、種村、鯰江、乃木、松下、和邇......
などなど、220以上の姓に分化し、今に継承されている様なのです。
この辺の名字を持つ人はもしかしたら!?
宇多天皇の血脈かも!?
しれませぬぞよー。おーーっほっほっほっ♫( ̄0 ̄)
当然!
アチキの様なB級人の名字などわでんでん!
入っとりませんのです。ええ。残念で。
そして、宇多源氏さんが名字に拝借した「ささき」という地名は、
昔は「沙沙貴」とも書かれていた様で、
源氏の皆さんが入って来る遥か以前から、
沙沙貴神社さんと共にこの地の名前としてあったようなのです。
そんな地の古社が主祭している大元の神様は......というと......
「少彦名神(スクナヒコナノカミ=スクナビコナノカミ)」
一般的には大国主尊(オオクニヌシノミコト)さんの
国造りのパートナーであり、医療と知恵の神とされています。
この場合の知恵とは、医術は勿論、穀物栽培、酒造、温泉発掘、
更には占いごとや石工に関しての知識に至るまで幅広く多様なもの。
そんな偉大なるスクナヒコナさんは
「小人や妖精のような小ささだった」
とも伝わる事から、
一部では一寸法師のモデルとも言われていたりもします。
そして「ササキ」というこの地の名前は、
神話の時代に、この小さな神様が、
「ササゲという木の豆の鞘(さや)に乗ってやって来た......」
という言い伝えからその名が付いた、と、
この神社さんには伝わっています。
広々とした境内にある、この
「大松明行地所(たいまつみょうこうじしょ)」
なる所なども、そんな伝承と相まって、
僕にはスコブル気になるスポットだったりもしまして......
しかししかし、広い広い琵琶湖の沿岸。
スクナヒコナさんが上陸し、
住み出したとも伝わる地が何故ここなのか?と考えてみると......
アリマチタ、アリマチタ......
幹が赤く染まった杉の大木さん。
このブログの読者さんなら、もうこの写真を見ただけで、
この場所の地中深くに何が埋まっているのか?はピン!と、
きちゃうのではないでしょうか(^ν^)
そうです。
この神社の一帯では
「朱」=「丹」=「に」=「たん」=「辰砂」=「しんしゃ」
という鉱物が沢山の取れていたのだと思われます。
それはきっと、貴重なる「水銀」の原料でもあるわけで。
古代より「儲かっちゃう石♪」なんていうことでもあるわけでして。
以前「朱の女神」という記事で記した、
空海さんの高野山と同じ理由ともなるわけです。
詳しくは先にテキストリンクした過去記事を見て頂ければと。
何卒。ええ。ええ。
「丹」は古来より朱色塗料の原料であり、
魔除けなどの御守りや薬とされてきたりもして。
色々と重宝されていたものでもあるのです。
この地にはすぐ側に、それを運び出す水路や港までもあって。
そうすると、こんな場所の神様というのは自然と、
小舟に乗ってやって来た知恵や医療やマジナイの神様......
なーーーんてコトにも!
なってしまうのでしょうか(^^)
そして、鉱物や採掘に詳しい方というのは、
「温泉採掘」に関する眼力や技術も
自然と持っていたのではないだろうかと。
そうも思われます。
温泉は人を癒せますし(^ω^)
それでもって、こちらが、
そんなスクナヒコナさんが降りられる石とされている
「磐境(いわさか)」さんの様で。
いわゆる磐座(いわくら)というものでしょうか。
本殿のすぐ横に「ドン!」と、
「天乃羅摩船(あめのかがみのふね)」という札と共に
存在感を持って置かれているのでやんす。
石の下には、これまた石で作られた巨大な勾玉(まがたま)も見えます。
一番手前には愛らしいカエル石さんも(^^)
総じてみると、この地の始祖神様は出雲の地から渡って来たのかな......
という様な香りもプンプンと漂っているのでやんす。
この地に舞い降りた御方は、辰砂の知識だけでなく、
石工のスペシャリスト的な方でもあったようにも感じられ......
境内にはこの磐境や勾玉の他にも「またげ石」や「さざれ石の庭」、
「願かけ石」「男石」「女石」などの石モノが沢山。
本殿裏には「干支の庭」なる所があって、
干支(えと)の石像もズラリ......と。
干支さん達の側には歳神様が祀られる「歳徳神」さんの社(やしろ)も。
年毎の「恵方」に向けて設置することが出来る、
クルクルと回せる台座に乗っています。
歳徳神さんというのは大歳さんのことで。
するってーと、勿論、饒速日(ニギハヤヒ)さんのことだと思われます。
そもそも、古事記にスクナヒコナさんが乗って来たと記されている
「天乃羅摩船(あめのかがみのふね)」の「羅摩(かがみ)」とは
「らま」であって。
ラマとは「ガガイモ」という草のこと。
この草は薬効成分があることで知られていて、
種子や葉は古来より羅摩子(らまし)という生薬ともなっています。
加えて、茎から出る白い液体は虫刺されや湿疹や、
腫れ物や切り傷にも効く塗り薬とされて来てもいて。
そんな草の実の船に乗って来たと伝わるスクナヒコナさんは、
マサに医療と知恵の神様。
ただ、ガガイモは、
沙沙貴神社に伝わる「ササゲの実の船」の「ササゲ」とは違うモノではあるので、
きっとこの「ササキ」の地に降り立った神様はスクナヒコナさんそのもの......
というわけではなく、その叡智を受け継いだ方が食料として「ささげ豆」
を小脇に携えてこの地に船でやって来たのではないだろうか......!?と。
それらを植え、育て、
栽培の仕方なども地元の人々に教えていたのではないだろうか、と。
そんな方が大昔、この「ササキ」の地に居て、
地域を治めていたのではないだろうか?と。
それで石工と医療に加え、農業の知恵迄も持つ方として、
そんな神様であるスクナヒコナさんのイメージを重ねられつつ!?
伝承されてきたのではないのだろうかと。
沙沙貴神社という所は、
そんな想像を掻き立てられてしまう神社さんなのです。
「磐境」さんの前でさり気なく売られていた、小さな白い石。
僕さん、コレがミョーに気になりまして。
「御守り石」とか「願掛け石」とか、なんとかと言うみたいですが、
思わずお賽銭を入れてお買上げ&お持ち帰りしちゃいました。
別段お願い事などはないのですが、
この地を優しく見守るスクナヒコナさんの依代になるような感じもしたので、
なんとなく、我家のジミ〜〜な神棚の端にチコッと置いていたりします。
「どーか、僕さんも温泉を掘り当てられますよぉーーにぃぃーー(●´ω`●)」
なんつって、ね。ええ。ええ。
お願い事してんじゃねーか!みたいな。ええ。
兎にも角にも、沙沙貴神社さんというのは格別に清々とした、
とても品の良い神社さんなのでございます。
きっと宮司争いなどとは縁遠いハズなのでやんす。
地元、近江八幡の皆さんや、全国の佐々木一族!?
の皆さんに篤く護られているのでやんす。
宮司とは神と人との仲を取り持つ人であって、
決して権力やお金の象徴などではなく。
そんな清々さこそが宮司さんの資格なのでやんす。
全国の「佐々木」さんという名字の方は、
きっと誇りを持って清々としている方達だと思うのでやんす。
それだけで皆さん、みんな、宮司さんなのでやんす。
ドラッグに溺れた野球選手を清く教え諭すような大魔神、みたいな。
そんな清正さで。
白洲正子さんが称賛した長命寺や近江八幡のあたりというのは、そんなふうに、
清々とした素晴らしい地なのでやんすね。
どこもかしこも落ち着いていて、
派手さは無いけど、静かなる知性がそこはかとなく漂い、満ち溢れていて。
スクナヒコナさんてそんな神様じゃないのだろうか、って。
僕さんも大好きな場所なのでございまつ(^ω^)
個人的に近江八幡では欠くことが出来ない美しき楽屋裏。
由緒ある古き神社さんを記し残しておこうかと思うのでやんす。
ソコは「佐々木」という名字の方であればぜひ訪れて欲しい!?
楽屋裏であったりもして。
続くのです。ぽんぽん(^^)
こちら。「沙沙貴神社(ささきじんじゃ)」さん。
全国の「佐々木さん」の総氏神!
とも言える神社さんなのでつ!( ̄▽ ̄)どどーん!
鳥居には「佐佐木大明神」なんて書いてあって。
横浜ベイスターズの往年のセーブ王みたいですな( ˙-˙ )
以前記した「ワタナベ」さんや「ハセガワ」さんのお話に続く、
まさかのシリーズ化!?
的趣きの回となるのでしょうか(^ω^)ええ。ええ。
楼門や本殿の美麗さはこの地の美しさをも表している様な感じで。
そもそも「佐々木」さんという名字は、
この沙沙貴神社さんが佇む地の名前である
「ささき」に由来しているようでして。
平安時代に臣籍降下し、この地にやって来た、
いわゆる「近江源氏(おうみげんじ)」さんが名乗り出した名字のようです。
この近江源氏さんを更に辿れば、
第59代天皇「宇多天皇(うだてんのう)」にまで遡る事が出来るので、
佐々木氏を含む近江源氏一族は「宇多源氏」とも言うのだそうです。
何と由緒正しき佐々木さん!しょうか。
とてーも高貴なのでつね。(。・・。)
そんな宇多源氏から派生した佐々木氏は様々に分家していき、
その分家した方々の名字を記していけば、
Wikiに載っているだけでも......
佐佐木、笹木、佐々城、沙沙貴などはもちろんのこと、
六角、京極、黒田、三井、大原、高嶋、篠笥、尼子、伊庭、椙山、
岳、朽木、和泉、山脇、田中、種村、鯰江、乃木、松下、和邇......
などなど、220以上の姓に分化し、今に継承されている様なのです。
この辺の名字を持つ人はもしかしたら!?
宇多天皇の血脈かも!?
しれませぬぞよー。おーーっほっほっほっ♫( ̄0 ̄)
当然!
アチキの様なB級人の名字などわでんでん!
入っとりませんのです。ええ。残念で。
そして、宇多源氏さんが名字に拝借した「ささき」という地名は、
昔は「沙沙貴」とも書かれていた様で、
源氏の皆さんが入って来る遥か以前から、
沙沙貴神社さんと共にこの地の名前としてあったようなのです。
そんな地の古社が主祭している大元の神様は......というと......
「少彦名神(スクナヒコナノカミ=スクナビコナノカミ)」
一般的には大国主尊(オオクニヌシノミコト)さんの
国造りのパートナーであり、医療と知恵の神とされています。
この場合の知恵とは、医術は勿論、穀物栽培、酒造、温泉発掘、
更には占いごとや石工に関しての知識に至るまで幅広く多様なもの。
そんな偉大なるスクナヒコナさんは
「小人や妖精のような小ささだった」
とも伝わる事から、
一部では一寸法師のモデルとも言われていたりもします。
そして「ササキ」というこの地の名前は、
神話の時代に、この小さな神様が、
「ササゲという木の豆の鞘(さや)に乗ってやって来た......」
という言い伝えからその名が付いた、と、
この神社さんには伝わっています。
広々とした境内にある、この
「大松明行地所(たいまつみょうこうじしょ)」
なる所なども、そんな伝承と相まって、
僕にはスコブル気になるスポットだったりもしまして......
しかししかし、広い広い琵琶湖の沿岸。
スクナヒコナさんが上陸し、
住み出したとも伝わる地が何故ここなのか?と考えてみると......
アリマチタ、アリマチタ......
幹が赤く染まった杉の大木さん。
このブログの読者さんなら、もうこの写真を見ただけで、
この場所の地中深くに何が埋まっているのか?はピン!と、
きちゃうのではないでしょうか(^ν^)
そうです。
この神社の一帯では
「朱」=「丹」=「に」=「たん」=「辰砂」=「しんしゃ」
という鉱物が沢山の取れていたのだと思われます。
それはきっと、貴重なる「水銀」の原料でもあるわけで。
古代より「儲かっちゃう石♪」なんていうことでもあるわけでして。
以前「朱の女神」という記事で記した、
空海さんの高野山と同じ理由ともなるわけです。
詳しくは先にテキストリンクした過去記事を見て頂ければと。
何卒。ええ。ええ。
「丹」は古来より朱色塗料の原料であり、
魔除けなどの御守りや薬とされてきたりもして。
色々と重宝されていたものでもあるのです。
この地にはすぐ側に、それを運び出す水路や港までもあって。
そうすると、こんな場所の神様というのは自然と、
小舟に乗ってやって来た知恵や医療やマジナイの神様......
なーーーんてコトにも!
なってしまうのでしょうか(^^)
そして、鉱物や採掘に詳しい方というのは、
「温泉採掘」に関する眼力や技術も
自然と持っていたのではないだろうかと。
そうも思われます。
温泉は人を癒せますし(^ω^)
それでもって、こちらが、
そんなスクナヒコナさんが降りられる石とされている
「磐境(いわさか)」さんの様で。
いわゆる磐座(いわくら)というものでしょうか。
本殿のすぐ横に「ドン!」と、
「天乃羅摩船(あめのかがみのふね)」という札と共に
存在感を持って置かれているのでやんす。
石の下には、これまた石で作られた巨大な勾玉(まがたま)も見えます。
一番手前には愛らしいカエル石さんも(^^)
総じてみると、この地の始祖神様は出雲の地から渡って来たのかな......
という様な香りもプンプンと漂っているのでやんす。
この地に舞い降りた御方は、辰砂の知識だけでなく、
石工のスペシャリスト的な方でもあったようにも感じられ......
境内にはこの磐境や勾玉の他にも「またげ石」や「さざれ石の庭」、
「願かけ石」「男石」「女石」などの石モノが沢山。
本殿裏には「干支の庭」なる所があって、
干支(えと)の石像もズラリ......と。
干支さん達の側には歳神様が祀られる「歳徳神」さんの社(やしろ)も。
年毎の「恵方」に向けて設置することが出来る、
クルクルと回せる台座に乗っています。
歳徳神さんというのは大歳さんのことで。
するってーと、勿論、饒速日(ニギハヤヒ)さんのことだと思われます。
そもそも、古事記にスクナヒコナさんが乗って来たと記されている
「天乃羅摩船(あめのかがみのふね)」の「羅摩(かがみ)」とは
「らま」であって。
ラマとは「ガガイモ」という草のこと。
この草は薬効成分があることで知られていて、
種子や葉は古来より羅摩子(らまし)という生薬ともなっています。
加えて、茎から出る白い液体は虫刺されや湿疹や、
腫れ物や切り傷にも効く塗り薬とされて来てもいて。
そんな草の実の船に乗って来たと伝わるスクナヒコナさんは、
マサに医療と知恵の神様。
ただ、ガガイモは、
沙沙貴神社に伝わる「ササゲの実の船」の「ササゲ」とは違うモノではあるので、
きっとこの「ササキ」の地に降り立った神様はスクナヒコナさんそのもの......
というわけではなく、その叡智を受け継いだ方が食料として「ささげ豆」
を小脇に携えてこの地に船でやって来たのではないだろうか......!?と。
それらを植え、育て、
栽培の仕方なども地元の人々に教えていたのではないだろうか、と。
そんな方が大昔、この「ササキ」の地に居て、
地域を治めていたのではないだろうか?と。
それで石工と医療に加え、農業の知恵迄も持つ方として、
そんな神様であるスクナヒコナさんのイメージを重ねられつつ!?
伝承されてきたのではないのだろうかと。
沙沙貴神社という所は、
そんな想像を掻き立てられてしまう神社さんなのです。
「磐境」さんの前でさり気なく売られていた、小さな白い石。
僕さん、コレがミョーに気になりまして。
「御守り石」とか「願掛け石」とか、なんとかと言うみたいですが、
思わずお賽銭を入れてお買上げ&お持ち帰りしちゃいました。
別段お願い事などはないのですが、
この地を優しく見守るスクナヒコナさんの依代になるような感じもしたので、
なんとなく、我家のジミ〜〜な神棚の端にチコッと置いていたりします。
「どーか、僕さんも温泉を掘り当てられますよぉーーにぃぃーー(●´ω`●)」
なんつって、ね。ええ。ええ。
お願い事してんじゃねーか!みたいな。ええ。
兎にも角にも、沙沙貴神社さんというのは格別に清々とした、
とても品の良い神社さんなのでございます。
きっと宮司争いなどとは縁遠いハズなのでやんす。
地元、近江八幡の皆さんや、全国の佐々木一族!?
の皆さんに篤く護られているのでやんす。
宮司とは神と人との仲を取り持つ人であって、
決して権力やお金の象徴などではなく。
そんな清々さこそが宮司さんの資格なのでやんす。
全国の「佐々木」さんという名字の方は、
きっと誇りを持って清々としている方達だと思うのでやんす。
それだけで皆さん、みんな、宮司さんなのでやんす。
ドラッグに溺れた野球選手を清く教え諭すような大魔神、みたいな。
そんな清正さで。
白洲正子さんが称賛した長命寺や近江八幡のあたりというのは、そんなふうに、
清々とした素晴らしい地なのでやんすね。
どこもかしこも落ち着いていて、
派手さは無いけど、静かなる知性がそこはかとなく漂い、満ち溢れていて。
スクナヒコナさんてそんな神様じゃないのだろうか、って。
僕さんも大好きな場所なのでございまつ(^ω^)
心が洗われたようにスッとしました。
ありがとうございました。
ニュースを見てこの記事を思い出し、改めて読ませていただきました。
私自身の体験から、ある程度年数のある木、神社やお墓などの木の扱いは注意しないといけないと思ってます。
沙沙貴神社という場所、列島のほぼ真ん中で、何かの警告でなければいいですけど。
おっしゃる通り、切ってはいけない、踏み入ってはいけない部分に踏み入ってしまったようですね。
そうだとしても、普通、ここまでなりませんが、、、
作業に際し、畏敬の気持ちが全く欠けていたのかもしれません。
記したように、この地は真に神が降りられる神社であり、聖域ですから、、、
列島への警告ということではないようですね。
お疲れのところご返信有難うございます。
私、この近江八幡徒然シリーズが好きで、この沙沙貴神社をはじめ記事の神社仏閣巡ってみようとずっと思ってまして、特にラコリーナ近江八幡は何としても行ってみたいなぁと。大阪にいる弟に頼んで行ってもらったら、amenouzmetさんの記事の影響か、ものすごく込んでいてレジで一時間近く待ったそうです。
今年こそはと思っていた矢先のニュースだったので驚きました。
いつも多岐わたるテーマで楽しませてもらっています。蒲郡のクラシックホテルも良かったですよ。これからも楽しみに読ませて頂きます。いつも有難うございます。
なんだか嬉しいですー(^ν^)
ありがとうございます!