近くに行くことがあったので、
懐かしすぎて久しぶりに寄ってみました。
東京、西八王子にある「みんみんらーめん本店」さん。
「八王子ラーメン」
という言葉を生んだ名店さんでしょうか。
今や食べログの100名店で、
タレントのヒロミさんのレコメンドなどでも
有名になってしまっているらしいのですが。
僕さんは大学生の時に八王子に住んでいたので、
その頃よく食べに行っていたラーメン屋さんなのです。
なので、人が並ぶような店だったっけ......!?
的な驚きもありつつ、
本当に懐かしい、美味しい、思い出の味。
中華そば。(^^)
食後には店を出てすぐ側にある
「シャトレーゼ」さんに立ち寄って。
アイスの名作!「チョコバッキー」をガサゴソと物色。
チョコミント味を一本。¥60也。
B級の僕さんにはゴールデン・コースなのです。
満足満腹。(* ̄ー ̄*)ええ。ええ。
して、そんな八王子といえば、
「なぜに八王子という名前なのか?」
というお話を少々。追加で。
ささっと。ええ。
神社の名前なども含め全国で散見もされる名前で。
好奇心溢れる人にはタマに聞かれたりもしますし。ええ。
東京都の八王子市に関しては、
京都から来た妙行(みょうこう)という僧侶さんの伝承が
元となっているようでして。
彼は後の八王子城となる深沢山(ふかざわやま)の山頂で
修行をしていたそうなのですが、
その時に妖怪が沢山出て来て。
それらを無事、調伏(ちょうぶく)。
その時に、妙行さんの前に8人の王子を伴った
牛頭天皇(ごずてんのう)が現れ。
妙行さんの徳を称え、
この地にとどまるように言われたのだそうです。
妙行さんはその言葉に従い、
修行していた深沢山を天王峰(てんのうみね)と名付け。
周囲に聳える8つの峰を八王峰(はちおうみね)とし。
それぞれに祠(ほこら)を建てて、牛頭天王と8人の王子を祀り。
八王子神社とし。
八王子信仰が始まったとのこと。
これが今の八王子市の名前の元となっているのだとか。
この伝承における八王子は
仏教的な範疇での牛頭天皇(ごずてんのう)の八人の王子......
ということになるのでしょうが、
妙光さんは京都から来た僧侶さんで。
そこを合わせ考えてみると、京都の中心、
八坂神社における八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を元とした
八王子としているであろうことが察せられます。
そんな、仏教の隆盛に伴う神仏習合的な考えによって
変化させられた八王子は、
明治時代にはまた神と分けるよう分離令が出て。
今度は神話における誓約(うけい、せいやく)の話を元とした
天照大神と素戔嗚尊との間に生まれた五男三女を八王子としてみたり、と。
そんな色々な変遷があったようです。
しかし、それらの話の大元をたぐってみると、
詰まるところは、
八王子とは「牛頭天皇=スサノオ」さんの八人の子供......
それは「うけい=異なる王族間の政略的婚姻」......
で生まれた子供のことではなく。
スサノオさん「直系」の子供さん達であったのだろう、と。
そう思われるのです。
そうなると、
八王子とは以下の8柱の神々となるわけでして。
第一子 八島野尊(やしまぬのみこと、八島士奴美神)
第二子 五十猛(いたけるのみこと、イソタケル、五十猛神)
第三子 大屋津姫(おおやつひめ、大屋比売神)
第四子 抓津姫(つまつひめ、抓津比売神)
第五子 大歳(おおとし、大歳神、実は......饒速日、ニギハヤヒ)
第六子 宇迦御魂(うがのみたま)=倉稲魂尊(くらいねのみこと)
第七子 大屋彦尊(おおやひこのみこと、大屋毘古神)
第八子 須世理姫尊(すせりひめのみこと、須勢理毘売命)
これらの神々を祀った場所、神社、土地などが八王子となるわけです。
ちなみに、この中でスサノオさんの正妻である
奇稲田姫(くしなだひめ、奇稲田姫、櫛名田比売)さんから生まれたお子さんは、
以前も記していた様に
スセリ姫さんと八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)さんだと思われます。
特にスサノオ さんの時代は
「末子相続、継承」
であったので、
スサノオさんの国は末娘のスセリ姫さんが継ぐこととなっていたのですが。
そこに婿養子のオオナムチ(大己貴命、大国主、、、等、沢山の名が)
が絡んでくるというお話が、
「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」
この神話に関しては以前、チラリ......とだけ記してます。はい。
そして、イソタケルさんに関しては、
これも以前記した様に、後に大和朝廷によって
「ヤマトタケル」
という名前を被せられていってしまった経緯もあったようで。
武神としてのスサノオさんにとっては
彼こそが長男と言っても過言でない存在。
スサノオさんと最も行動を共にし、
最も信頼していたお子さんの1柱。
そんなイソタケルさんは様々な伝承において、現在の和歌山県、
紀伊半島で厚い信仰を受けている
「紀の国の神」とされている様なのですが、実は、
本当のところは......
それは富士王朝というかつての王朝が実在するのであれば......
という話にもなりますが、現在の茨城県、
筑波山の麓のあたりに落ち着いていた神様なのではないかと。
常陸國風土記には
「筑波の県は、昔、紀の国といった」
と記されており、
筑波山の一帯は昔は「きのくに」であり、本来は「木の国」。
そこを中心にとても平穏な良い国を造っていったのだと。
神々からも僕はそう伺っているわけなのです。
そして、イソタケルさんは、
同じく武神であったニギハヤヒさんが
最も敬愛してやまなかったお兄さんでもあったと。
そうも聞いています。
木の国の王、イソタケルさんが埋葬された場所と思われるのが、
今や見る影もなく寂れに寂れてしまったこの神社さん......
「蚕影神社(こかげじんじゃ)」
本来は「木陰神社!?」でしょうか。
以前、プリリンねーさんと一緒にコチラに呼ばれて行った時の写真。
コチラの神社さんは、実は、
全国にある蚕影神社の総本社ともなる由緒正しい、古い神社さん。
この地の要の一つであり、
とても大切にしたい場所であって、神社さんではないかと。
伺ってみると、なんとか綺麗に修復できないものかと、
強く思ってしまうのです。
すぐ隣には「六所皇大神宮靈跡」という、
これまた古代、とても大切だった場所があります。
六所とは録所。記録所。
政務に関する様々なことを記録し、保管する場所。
まぁ、市庁舎、都庁舎といったところでしょうか。
お守りもいただいていたこともありました。
大好きなイソタケルさんの力の入ったお守り。
僕がとてもお世話になったお守りの一つ。
そんなこんなの諸々のお話も、
この国の隠れてしまった歴史やお話の一つとなるのでしょうか。
他の八王子の皆さんにもそれぞれ色々な物語がある様で。
タイミングが合えば、またそれらも記していきたいなぁ、と、
そんなことも思っていたりもします。はい。(^^)
最後に、
プリリンねーさんが降ろしてくれた、
トアル神様のお話を置いておきます。
===========================
(前略)
———————冷酷なことだったよ。
クツネ(ウガヤフキアエズ)に対しての仕打ちは。
富士王朝は、つまり脅威だったのだな。
旗神社(はたじんじゃ)は全部無くされてしまった。
六所神社も旗神社だったよ。
蚕影神社は物部(もののべ)の神社だった。
ニギハヤヒを祀っていたので、
昨日眷属(けんぞく)が喜んでいたのだよ。
かたじけないことだな。
(中略)
私の道がわかってくれたようで、嬉しかったよ。
(中略)
昨日の蚕影神社もツカだったよ。
あの場所はイソタケルのツカだよ。
===========================
懐かしすぎて久しぶりに寄ってみました。
東京、西八王子にある「みんみんらーめん本店」さん。
「八王子ラーメン」
という言葉を生んだ名店さんでしょうか。
今や食べログの100名店で、
タレントのヒロミさんのレコメンドなどでも
有名になってしまっているらしいのですが。
僕さんは大学生の時に八王子に住んでいたので、
その頃よく食べに行っていたラーメン屋さんなのです。
なので、人が並ぶような店だったっけ......!?
的な驚きもありつつ、
本当に懐かしい、美味しい、思い出の味。
中華そば。(^^)
食後には店を出てすぐ側にある
「シャトレーゼ」さんに立ち寄って。
アイスの名作!「チョコバッキー」をガサゴソと物色。
チョコミント味を一本。¥60也。
B級の僕さんにはゴールデン・コースなのです。
満足満腹。(* ̄ー ̄*)ええ。ええ。
して、そんな八王子といえば、
「なぜに八王子という名前なのか?」
というお話を少々。追加で。
ささっと。ええ。
神社の名前なども含め全国で散見もされる名前で。
好奇心溢れる人にはタマに聞かれたりもしますし。ええ。
東京都の八王子市に関しては、
京都から来た妙行(みょうこう)という僧侶さんの伝承が
元となっているようでして。
彼は後の八王子城となる深沢山(ふかざわやま)の山頂で
修行をしていたそうなのですが、
その時に妖怪が沢山出て来て。
それらを無事、調伏(ちょうぶく)。
その時に、妙行さんの前に8人の王子を伴った
牛頭天皇(ごずてんのう)が現れ。
妙行さんの徳を称え、
この地にとどまるように言われたのだそうです。
妙行さんはその言葉に従い、
修行していた深沢山を天王峰(てんのうみね)と名付け。
周囲に聳える8つの峰を八王峰(はちおうみね)とし。
それぞれに祠(ほこら)を建てて、牛頭天王と8人の王子を祀り。
八王子神社とし。
八王子信仰が始まったとのこと。
これが今の八王子市の名前の元となっているのだとか。
この伝承における八王子は
仏教的な範疇での牛頭天皇(ごずてんのう)の八人の王子......
ということになるのでしょうが、
妙光さんは京都から来た僧侶さんで。
そこを合わせ考えてみると、京都の中心、
八坂神社における八柱御子神 (やはしらのみこがみ)を元とした
八王子としているであろうことが察せられます。
そんな、仏教の隆盛に伴う神仏習合的な考えによって
変化させられた八王子は、
明治時代にはまた神と分けるよう分離令が出て。
今度は神話における誓約(うけい、せいやく)の話を元とした
天照大神と素戔嗚尊との間に生まれた五男三女を八王子としてみたり、と。
そんな色々な変遷があったようです。
しかし、それらの話の大元をたぐってみると、
詰まるところは、
八王子とは「牛頭天皇=スサノオ」さんの八人の子供......
それは「うけい=異なる王族間の政略的婚姻」......
で生まれた子供のことではなく。
スサノオさん「直系」の子供さん達であったのだろう、と。
そう思われるのです。
そうなると、
八王子とは以下の8柱の神々となるわけでして。
第一子 八島野尊(やしまぬのみこと、八島士奴美神)
第二子 五十猛(いたけるのみこと、イソタケル、五十猛神)
第三子 大屋津姫(おおやつひめ、大屋比売神)
第四子 抓津姫(つまつひめ、抓津比売神)
第五子 大歳(おおとし、大歳神、実は......饒速日、ニギハヤヒ)
第六子 宇迦御魂(うがのみたま)=倉稲魂尊(くらいねのみこと)
第七子 大屋彦尊(おおやひこのみこと、大屋毘古神)
第八子 須世理姫尊(すせりひめのみこと、須勢理毘売命)
これらの神々を祀った場所、神社、土地などが八王子となるわけです。
ちなみに、この中でスサノオさんの正妻である
奇稲田姫(くしなだひめ、奇稲田姫、櫛名田比売)さんから生まれたお子さんは、
以前も記していた様に
スセリ姫さんと八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)さんだと思われます。
特にスサノオ さんの時代は
「末子相続、継承」
であったので、
スサノオさんの国は末娘のスセリ姫さんが継ぐこととなっていたのですが。
そこに婿養子のオオナムチ(大己貴命、大国主、、、等、沢山の名が)
が絡んでくるというお話が、
「因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)」
この神話に関しては以前、チラリ......とだけ記してます。はい。
そして、イソタケルさんに関しては、
これも以前記した様に、後に大和朝廷によって
「ヤマトタケル」
という名前を被せられていってしまった経緯もあったようで。
武神としてのスサノオさんにとっては
彼こそが長男と言っても過言でない存在。
スサノオさんと最も行動を共にし、
最も信頼していたお子さんの1柱。
そんなイソタケルさんは様々な伝承において、現在の和歌山県、
紀伊半島で厚い信仰を受けている
「紀の国の神」とされている様なのですが、実は、
本当のところは......
それは富士王朝というかつての王朝が実在するのであれば......
という話にもなりますが、現在の茨城県、
筑波山の麓のあたりに落ち着いていた神様なのではないかと。
常陸國風土記には
「筑波の県は、昔、紀の国といった」
と記されており、
筑波山の一帯は昔は「きのくに」であり、本来は「木の国」。
そこを中心にとても平穏な良い国を造っていったのだと。
神々からも僕はそう伺っているわけなのです。
そして、イソタケルさんは、
同じく武神であったニギハヤヒさんが
最も敬愛してやまなかったお兄さんでもあったと。
そうも聞いています。
木の国の王、イソタケルさんが埋葬された場所と思われるのが、
今や見る影もなく寂れに寂れてしまったこの神社さん......
「蚕影神社(こかげじんじゃ)」
本来は「木陰神社!?」でしょうか。
以前、プリリンねーさんと一緒にコチラに呼ばれて行った時の写真。
コチラの神社さんは、実は、
全国にある蚕影神社の総本社ともなる由緒正しい、古い神社さん。
この地の要の一つであり、
とても大切にしたい場所であって、神社さんではないかと。
伺ってみると、なんとか綺麗に修復できないものかと、
強く思ってしまうのです。
すぐ隣には「六所皇大神宮靈跡」という、
これまた古代、とても大切だった場所があります。
六所とは録所。記録所。
政務に関する様々なことを記録し、保管する場所。
まぁ、市庁舎、都庁舎といったところでしょうか。
お守りもいただいていたこともありました。
大好きなイソタケルさんの力の入ったお守り。
僕がとてもお世話になったお守りの一つ。
そんなこんなの諸々のお話も、
この国の隠れてしまった歴史やお話の一つとなるのでしょうか。
他の八王子の皆さんにもそれぞれ色々な物語がある様で。
タイミングが合えば、またそれらも記していきたいなぁ、と、
そんなことも思っていたりもします。はい。(^^)
最後に、
プリリンねーさんが降ろしてくれた、
トアル神様のお話を置いておきます。
===========================
(前略)
———————冷酷なことだったよ。
クツネ(ウガヤフキアエズ)に対しての仕打ちは。
富士王朝は、つまり脅威だったのだな。
旗神社(はたじんじゃ)は全部無くされてしまった。
六所神社も旗神社だったよ。
蚕影神社は物部(もののべ)の神社だった。
ニギハヤヒを祀っていたので、
昨日眷属(けんぞく)が喜んでいたのだよ。
かたじけないことだな。
(中略)
私の道がわかってくれたようで、嬉しかったよ。
(中略)
昨日の蚕影神社もツカだったよ。
あの場所はイソタケルのツカだよ。
===========================
イソタケルさまはやはり杉木と関係しているのでしょうか。
吉田八幡神社の杉木にもいらっしゃるし。
だいぶ前に筑波山付近を車で走っていたら、遠くに見える杉がとてもいい感じで、その場を見守ってくれてるような印象がして気持ちが良かったのを思いだします。
きっと木陰のように大きくて優しい神様なんでしょうね。
沢山の木々を植えた神様だと聞いています。
杉だけでなく、ヒノキやクスなども沢山植えられたのではないでしょうか。
優しくて力持ち。武人としても敵無しなぐらい強い。
大相撲における理想の大横綱の様な神様だったのではないかと思います。
2009年に役所広司さんが初監督した映画の中で、蚕影神社を舞台にしているシーンがあるみたいです。
役所さんもビビビっときた方の一人かもしれませんね^^
見てみますねー(^^)
イソタケル様の記事ありがとうございます。蚕影神社にもお参りに行ってみたいと思います。吉田八幡の杉も見事でした。あれほどの杉は他にないんじゃないでしょうか。まさにイヤシロチの大杉。本当にイソタケル様そのもののような大杉でした。
何時だったか 皆について行けず一人だけ迷子に…
ですがお陰様で帰り道遠回りは致しましたが無事に下山出来た、という
しかもそのコース修験道さんの修業コースの道だったのらしいですが。
お話を拝見しながらひたすら懐かしく彼の山を想いだしておりました。
お世話になっていた大学の教授さんに、
高尾のうかい鳥山さんに連れて行ってもらってました。懐かしいです。(^ν^)