雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

遠州古代史の本10 浜松市教育委員会『伊場遺跡発掘調査報告書 第11冊 伊場遺跡補遺編』

2010年10月22日 05時27分25秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本10 浜松市教育委員会『伊場遺跡発掘調査報告書 第11冊 伊場遺跡補遺編(第8~13次調査遺構・自然遺物)』2007年(平成19年)3月10日、A4版、価格1600円、本文120ページ+実測図版61ページ+写真図版50ページ=231ページ

 浜松市の弥生時代を代表する複合的遺跡の正式の調査報告書の第11冊目です。
 
 つまり「自然遺物}編ということは、当時の伊場遺跡を残した住民たちが、農業や漁業で何を採集して、何を食べていたかと、詳細に分析している、ということですね。

 哺乳類では牛・馬・鹿(野生でしょうか)などなど。
 貝類や魚や植物も。

 考古学や古代史的な興味だけでは無くて、現代の生態系学の角度で、生物が専門のみなさんにもぜひ読んで欲しいと思います。

 雨宮は、まだ買っただけで、読み取っていません。

 こういう調査報告書を、古代史の人間だけでなく、自然や生物が専門のみなさんともいっしょになって、読み解いていく場を創りたいです。
 そういう場に、飢えています。

 N子さんが「智彦くん、そういう場に参加するなら、もっと専門的に勉強しないとね?」と言っています。
 はい、勉強します。

 

雨宮日記 10月21日(木) 自由を!不自由に選んだらそれは不自由な社会です

2010年10月22日 05時00分40秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月21日(木) 自由を!「自由な社会」を目標にしても、不自由に選んだらそれは不自由な社会です

 今年のノーベル平和賞に中国人の民間人、劉暁波さんが授賞したことで、日中間の尖閣諸島問題もすこし収まってしまいました。
 
 中国は中国共産党が政権党として統治していて、自由選挙はありませんし、自由な政党活動もありませんし、自由な言論活動もすごく不自由です。
 中国共産党は、人間同士の平等、搾取も支配も差別もない「社会主義社会」をめざす政党と自称していますから、それなら、まずそれに到達するためのやり方・手法を、組織と組織が対等平等で、個人と個人が対等平等なやりかたをとるべきです。
 
 強権的に権力の強制で、未来の共同社会(マルクスさんのいう「アソシエーション}社会)に到達することはできないと思います。
 強権的に強制によって到達する社会は、強権的な強制的な社会です。
 そういう話を、誰かSF小説家とか演劇とか何かで、わかりやすく書いてくれないかな?

 暴力やテロや犯罪は社会の法律によって警察力で裁判にかけ、法によって裁けばいいのです。
 言論に対しては、同じレベルの言論で答えるのが、自由な社会をめざす集団の正しい態度だと思います。
 
 逆にいうと、言論に対しては言論という態度のとれない集団や個人の目標は、実質的には自由な社会ではないと、他人には判断されるということですね。
 中国共産党は、こういう基本的な問題に、きちんと解明すべきだと思います。

 尖閣諸島問題でも、尖閣諸島が中国の領土であると考える理由を日本国民にたいし、説得的に述べるべきだと思います。今日はもう時間がないのですが、中国が実際にどんな具体的な主張をしているか、調べて、結果は書きます。

 蛇足ですが、このブログが、今日「順位: 9,088位 / 1,482,293ブログ中 (前日)」というのが表示されていました。

 つまり、このgooブログの総数148万2293ブログのなかで、アクセス順位が上位から9088位ということですか。
 150万のうち1万位以内。うれしいです。
 日本語で書いているので、日本語の読める方が見にきていると思います。

 小説家が読者に支えられて、小説を書き継ぐように、ぼくも、毎日見にきてくださるみなさんと、愛するN子さんに支えられて、書き継ぎたいと思います。

 
 
 

雨宮日記 10月20日(水) 雨で奄美大島では大洪水、こういう日は

2010年10月21日 05時19分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月20日(水) 雨で奄美大島では大洪水、こういう日は

 午後、目が覚めると、小雨でした。
 日本列島の南岸に秋雨前線が滞留して、鹿児島県の奄美大島では記録的な豪雨のようです。

 温暖化現象で、こんなことが起きるんですね。

 浜松は小雨なので、里山の休耕田を利用した池に水がはれたか心配で、雨の中、車を発進させました。
 雨ですから、やっぱり雨の音楽を聴きながら行こうと、ウォークマンで、ブラームスのヴァイオリンソナタ第1番「雨の歌」を聴きながら、浜北区へ行きました。

 里山の谷は、いちばん下の田んぼの上の田んぼまで水が張られて、池作り、順調ですね。
 ぼくも、できるかぎり、苦手な肉体労働ですが、参加したいと思っています。

 夕方、家へ戻ると、ちょうどN子さんも仕事から帰ってきたところでした。
 いっしょに食事をして、今夜は、N子さんは会議へ、ぼくは作業に、それぞれ、でかけました。

 夜8時半過ぎに、二人とも帰ってきました。
 大きな行事である、土曜日お昼の、雨宮家の、ぼくの母親の法事と、日曜日の午後の、被爆者の杉山秀夫さんの「お別れする会」の準備の話を、ふたりでして、やっと目鼻がつきました。

 法事は20人規模、お別れする会は200人規模ですけど、どっちも、心深く考えて運営することでは同じです。
 法事はもちろんぼくもでますが、お別れする会は、ぼくは出ないのですが、出る出ないに関係なく、N子さんのやることにつきあうのは、結婚して30年以上の習慣なので、苦にはなりません。

 「大器晩成」ということばがありますが「大器」={大きな器(うつわ)」の中身を何で満たすのかは、ぼくの役目なのだと、勝手に決めています。
 そうですよね?N子さん。

 

 

遠州古代史の本9 静岡県神社庁浜松支部『浜松市神社名鑑』1982年

2010年10月20日 06時23分39秒 | 遠州古代史
遠州古代史の本9 静岡県神社庁浜松支部編集『浜松市神社名鑑』静岡県神社庁浜松支部発行、1982年5月1日、241ページ、非売品

 雨宮の遠州神社巡りの基本文献です。ネタ本ですね。
 たぶん、直接に神社庁浜松支部からではなくて、古書店で手に入れたと思います。その時はたぶん、こういう{神社巡り」をしようという意識はなくて、遠州古代史とも関係あるので、資料として読んでみようくらいの感じだったと思います。
 
 残念ながら、合併前なので、旧浜松市だけです。
 神社庁浜松支部さま、ぜひ、政令都市浜松になった改訂版を出してください。

 この本では231の神社がそれぞれ1ページづつ紹介されています。
 
 この本によれば神社は全国で8万社、静岡県内では2800社あるのだそうです。

 浜松市内の231の神社のうち、同じ神社名で多い順に、六所神社が19社、八柱神社が16社、神明神社が12社、八幡神社が12社、白山神社が9社、水神社が7社、津島神社が7社、八幡宮が7社、稲荷神社が6社、熊野神社が6社、神明宮が6社、春日神社が4社、貴船神社が4社、天神社が4社…などとなっています。

 以上を足すと108社で、14神社名で、浜松の神社の約半分(47%)を占めています。

 なお神社庁浜松支部の電話は、この本では 053-472-6601 です。

日本古代史10 古代史雑誌『季刊 邪馬台国』梓書院(福岡)、定価1300円

2010年10月20日 06時09分28秒 | 古代史の本

日本古代史10 古代史雑誌『季刊 邪馬台国』梓書院(福岡)、定価1300円

 いま、ちょうど手元にある「103号」は2009年10月です。
 
 古代史・考古学学会の主流や、マスコミの風潮とはすこし違う、読む価値のある古代史雑誌です。
 
 違うのは、とくに、
 奈良県の古墳=箸墓古墳が{卑弥呼の墓」であるという断定。
 三角縁神獣鏡が「卑弥呼がもらった鏡」であるという断定。
 炭素14年代など。

 「責任編集」者の安本美典さんは、ぼくは部分的に異論はありますが、
 古代史や邪馬台国に興味のある皆さんが、自分で読んで、自分で判断する価値のある雑誌だと思います。


雨宮日記 10月19日(火)の2 ウサギの豆子さんを踏んづけそうで危ないです

2010年10月20日 05時51分10秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(火)の2 ウサギの豆子さんを踏んづけそうで危ないです

 深夜勤務の仕事を終えて、帰ってくるのがまだ暗い、午前5時頃です。
 カギで玄関を開けて、靴を脱いで…ほんとうは電気をつける必要はないのですが、電気をつけて、ウサギの豆子さんの位置を確認しないと、足で踏んづけそうで危ないのです。

 夏の暑いあいだは、金属のゲージ(おり)の屋根にのって、夜を過ごしていたのですが、秋になると、夜は涼しいので、玄関のマットを敷いてある上で寝ています。

 ぼくはうさぎ年です。
 同じ同類を踏みつけには出来ないので、細心の注意を払って、踏んづけないようにしています。
 でも、ときどき、むぎゅっと…。

 秋になって、夜の星座で、オリオン座の下に「うさぎ座」が登ってきます。
 やはり、狩人のオリオンさんに弓で狩られる、ウサギさんでしょうか。

 我が家の先代のウサギの{ミントさん」でしょうか。

 N子さま、もし、ぼくが先に死んだら、ぼくは「よだかの星」のように、「うさぎの星」になって、このウサギ座で光っていますからね。
 あとで、来て下さいね。

 N子さん「逆だったら、どうするの?!」「ネズミ座はないのよ」
 うーん、難問です。どこかに新たに「ネズミ座」を創りますね。


 

雨宮日記 10月19日(火) 友人に無料パソコン講師に行ってきました

2010年10月20日 05時14分12秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月19日(火) 友人に無料パソコン講師に行ってきました

 こういうブログを書いていたり、いちおうワープロ・データベース・表計算を使っているというと、何でも教えてもらえると誤解する友人もいて、まあしゃあないかと、午後ノ早い時間は、友人に無料パソコン指導に行ってきました。

 別の友人のようなパソコンオタクではなく、パソコン自体には何の興味もないのです。
 ウインドウズも、それに伴うソフトも、バージョンアップして使い方や機能は変えて欲しくないです。

 たとえば、毎年、自動車の運転の仕方が変わるようなもので、哀れな消費者はよく耐えているなあと思います。

 資本主義の競争原理による新しい技術開発で、いまやUSBメモリーも、パソコン店では2ギガくらいが最低になったようです。
 画像を使わないならそんなにメモリーはいらない、たぶん、文書だけなら一生使えますね。

 本題に入って、友人の家へ行ったら、なんと昔のソフト「小番頭」のデータを3.5インチで使っているので「データをフロッピーで扱うのはセキュリティ上、危険だからパソコン内のハードディスクで扱いな」と言って、エクセルの表をつくってあげました。

 今週から何回か、友人の家へ通って、アフターサービスをして、快適パソコン環境にしてあげないと。
 
 記憶では、1984年頃に、最初にぼくがキャノンのワープロを買ったころには、記憶装置はなくて、画面上の作成文書しか記憶できませんでした。
 その後すぐくらいに、5インチフロッピーや3.5インチフロッピーができて、80年代後半には、当時の友人の影響で、ぼくも「NEC9800」シリーズを使い始めました。
 当時の9800のOS(パソコンのオペレイテング・システム)は「MSーDOS」で、そのうえでワープロの松や、データベースの桐を使っていました。

 その後、世界的にOSは「ウインドウズ(窓たち)」になりました。窓というのは、つまり、あるソフトを実行している画面上でも、他のソフトを「窓」として出して、複数の動作を実行できるということです。
 今でも、この点は、すごくいいですね。重宝しています。
 
 つまり、たとえばワープロで文書を打ちながら、必要な資料を、今ではネット上で検索して、それを見ながら打ったり、そのデータをまるまるコピーしたりということです。
 
 まあ、こういうネット依存については、卒論をネットこぴー依存で悩む大学教授の皆さんなど、悩みは多いでしょうね。

 午後の遅い時間は、浜松市中央図書館の2階にある郷土資料室へ行って、紙のデータをノートに書き写していました。
 なんという違い!
 でも、ぼくは、どっちも必要であり、どっちもだいじであると思います。

 もっといえば、① 現場の現実のリアルデータ ② ①を書き写した紙のデータ ③ ①や②を書き写したネットデータ、その3つを全部批判的に扱うことが必要だと思います。


 
 

雨宮日記 10月16日(土) 里の家で真っ暗な自然のなかで飲み会

2010年10月18日 22時19分02秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月16日(土) 里の家で真っ暗な自然のなかで飲み会

 里の家で里山に関係するメンバーが集まって(お仕事でこれない人もいましたが)夜、飲み会でした。
 電気も水道も来ないので、発電機で電気をつけて家のかまどの火で「ししなべ」をしました。
 「ししなべ」は、ようするに地元でとれたイノシシを解体して肉を冷凍しておいたものです。

 半月で、まわりは真っ暗な宴会はすごくよかったです。
 「解体したイノシシの残りはどうするんですか」と聞くと「ああ、そのままそこらにほっぽっておくと、数日で動物たちがあとかたもなく片付けてくれるよ」ということで、自然の循環の不思議さに感心しました。

 そういえば、小説「ジュラシック・パーク」の中に、肉食動物に襲われた人間は、跡形もなく消えてしまって、血痕さえ残っていないという話がありましたね。

 数時間して、スッと電気が落ちて、「うわ、燃料が切れた」「じゃあ、これでお開きに」ということで、そのまま泊まるメンバーを残して、帰りました。
 おやすみなさい。

 写真はしし鍋です。

 

 

遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠

2010年10月18日 05時38分07秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社36 中区の弥生時代・伊場遺跡の三重環濠

 やはり、浜松(浜津)の第2の出発点は、米作りの始まる弥生時代の、伊場遺跡でしょう。
 その伊場の「三重環濠」を見に行ってきました。

 つまり、当時の弥生の村をとりまく三重の水を湛えた濠ですね。
 三重にしなければいけないほど、現実に、村が攻撃される危険があったのか、それとも、そういう危険性を予測して、つくったのか。
 
 実際に、この伊場の村が襲撃されたことはあったのでしょうか?
 そういうことも、探っていきたいと思います。

 とにかく、何もわかっていません。
 わかったことを書いていきますので、よろしくお願いします。



雨宮日記 10月15日(金) 里山のざしきわらしを写真に撮りました

2010年10月18日 05時24分56秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月15日(金) 里山のざしきわらしを写真に撮りました

  
 ぼくの大好きな宮沢賢治さんの童話に「ざしき童子のはなし」というのがあります。

 「ぼくらの方の、ざしき童子(ぼっこ)のはなしです。
 あかるいひるま、みんなが山へはたらきに出て、こどもがふたり、庭(にわ)であそんでおりました。大きな家にだれもおりませんでしたから、そこらはしんとしています。
 ところが家の、どこかのざしきで、ざわっざわっと箒(ほうき)の音がしたのです。
 ふたりのこどもは、おたがい肩(かた)にしっかりと手を組みあって、こっそり行ってみましたが、どのざしきにもたれもいず、刀(かたな)の箱(はこ)もひっそりとして、かきねの檜(ひのき)が、いよいよ青く見えるきり、たれもどこにもいませんでした。
 ざわっざわっと箒の音がきこえます。」 こういう出だしです。

 ざしき童子(わらし)は、お掃除が大好きなんです。
 だから、お掃除と部屋の模様替えの大好きな、社会をキレイにするお掃除の好きな、妻のN子さんは、まさにざしきわらしです。

 里山の里の家で、うっかり、写真に撮られてしまった「ざしきわらし」の女性です。
 可愛いでしょ?


 

本と映像の森93 安部公房さん「第四間氷期」(『全集9巻』所載)

2010年10月18日 05時01分21秒 | 本と映像の森
本と映像の森93 安部公房さん「第四間氷期」(『全集9巻』所載)

 むかし、たぶんハヤカワSFシリーズ(新書版です)で買って読んで、捨てた覚えはないので、家のどこかに埋まっているかもしれません。
 アニメ映画の「青の六号」を去年くらいでしょうか、娘のIさんが借りたのを又借りして見て、すごく感動しました。「青の六号」の原作漫画も、はるかむかしの思春期の時代に読んだ覚えがあるのですが、アニメに「参考資料「第四間氷期」」みたいなことが(正確ではないです!)書いてあって読みたいと思ったのですが、単行本としては絶版のようで、あきらめていました。

 ところが、先週、中央図書館に行って、図書館のなかを散策していたら、なんと「安部公房全集」というのを発見しました。あ!と思って、捜したら、ありました。
 むかしなつかしの「第四間氷期」が、第9巻の10ページから174ページまで掲載されていました。
 
 「第四間氷期」は、岩波書店の雑誌『世界』の1958年7月号から1959年3月号まで連載されたとあり、1959年に講談社から全面改稿されて刊行、1964年にハヤカワSFシリーズから刊行されたとあるので、たぶん、ぼくは60年代の終わりか70年代の初めに、買って読んだんだろうと思います。

 そういう、どうでもいい個人的な話はともかく、小説は、火山活動の活発化による海面上昇でという日本沈没的話と、主人公の予言機械(まあ今のコンピューターみたいな)をつくる科学者男性の話を組み合わせて描いています。

 おもしろいのは、推理小説的な謎解きと、未来予言がどう実現できるかという入り組んだ混乱と、「第四間氷期」という今でいう温暖化問題を先取りしたような先駆性ということなどでしょうか。

 安部公房さんが描きたかったのは、自らが作り出した未来機械が正確に予測する未来を受け入れられずに、抵抗して滅んでいく主人公のような人間の愚かしさでしょうか。

 魅力的なのは、やはり小説のラスト、大気と風を求める水棲人の少年の描写でしょうか。

 主人公の科学者と、ラストの水棲人の少年に、共通するものがあるのではないでしょうか。

 この小説「第四間氷期」とアニメ「青の六号」を比べてみると、何かが見えてくると感じます。
 あなたは、どっちが好きですか?

 

 

雨宮日記 10月13日(水) G計画の最初の強制執行でした!

2010年10月16日 05時10分38秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月13日(水) G計画の最初の強制執行でした!

 「片付けます」「捨てます」という公約ばかりで、いっこうに実行しない雨宮父親(ぼくです)に「業を煮やして」、ついに長女のTさんが、階段においたぼくの資料の「強制撤去」に踏み切りました。

 階段はきれいになりました。
 (その分は、物質不滅の法則で、どこかに移動したんですけど…)
 
 はい、すみません、Tさん、N子さん。
 ごみ環境問題の団体の代表として、恥ずかしくないよう、自分の部屋のごみもちゃんとします。
 来年は「うさぎ年」ですので、ぼくの年です。
 えーと、エト男としてがんばります。

 玄関にいるウサギの「豆子」が「あんたが、うさぎ?私と同じ?」と不思議そうに見ています。
 そうなんだよ。

 ぼくは、きみと同じウサギ。
 月の中で、はねているのも、同じウサギだよ。

 
 

雨宮日記 10月12日(火) ヤマハホールでフルートコンサート

2010年10月15日 05時17分24秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月12日(火) ヤマハホールでフルートコンサート

 「芸術の秋」と誰がいつどこで最初に言ったのか、知りません。
 どうして「芸術の春」「芸術の夏」「芸術の冬」でないのかな?

 N子さんといっしょに、フルーティストでピアニストの中村泉さんの追っかけになって、初めて、鍛治町のヤマハビル8階の「ヤマハホール」に行きました。

 今夜は、中村泉さんは、フルートの仲間の伴奏ピアニストでずっとピアノ弾きでした。
 ということは、ぼくは、フルートを聞いているのか、ピアノを聞いているのか、どっちかというとピアノの音をずっとたどっていたりして。
 フルートもピアノも堪能しました。

 100人くらいの小さなホールでしたが、いちばんの問題は「椅子!」。
 なんと、移動式の木の椅子で、ぼくたちの前に座っていた小さな男の子が、退屈してすこし体重移動すると「ギギッッ」とこすれる音をさせる代物。
 なにが「ヤマハホール」なんだか。
 「ヤマハ」の名前が恥ずかしくなるような椅子でした。
 
 やっぱり、専門的な「音楽ホール」で聞きたいです。
 ヤマハの社長さん(誰だか知りませんが)に電話して、直訴しようかな。
 200年前の江戸時代なら、農民が「お上」に直訴すると、ふつうは首が飛ぶんですけど、現代では大丈夫ですよね。

 

遠州の遺跡・寺社35 内野古墳群の北西・朝鮮系の二本ヶ谷積石塚古墳群

2010年10月15日 04時48分36秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社35 内野古墳群の北西・朝鮮系の二本ヶ谷積石塚古墳群

 「にほんがやつみいしづかこふん」ですが、浜北区の内野台の地名としては「染地台」の谷にあります。
 日本では、古墳は普通は土で盛る「円墳」が多いのですが、ここは石で築く「方墳」です。このような「積み石塚」が全国でいくつかまばらに分布しています。
 
 この「二本ヶ谷積石塚古墳群」では26基の石塚が見つかっていますが、そのうちこの谷を東西に横切る、最近できた道路の北側はすべて消滅しています。
 この東西の道路から南へ入る入り口があって、車を止めることができる駐車場が午後5時まで開放されています。

 谷の両側は草原の公園になっていて、谷の真ん中を川が流れていて、南の端っこは洪水調節用の池になっています。

 私とN子さんがいったときは夕方で、散歩やランニングをする市民が何人もいました。駐車場で仮眠しているドライバーも何人もいました。お疲れさま。

 タイトルに「朝鮮系」と書きましたが、いくつか積み石塚古墳が原形どおり再生されて展示されていて、その説明文では「渡来人」となっていますが、ちゃんとハングル文字の説明があるので、中国系ではなく「朝鮮系」の渡来人ということです。

 さらに言えば、こういう「積み石塚」は高句麗の系統ですから、なんで「高句麗」と明記してくれないのかな、という気がします。まあ、北朝鮮との政治的関係で、なかなかむずかしいんでしょうね。

 でも、この「二本ヶ谷積石塚古墳群」は時代でいうと西暦5世紀(400年代)末から6世紀(500年代)はじめの年代とされているので、高句麗の歴史からいえば、新羅や百済と抗争を繰り返していた時代です。
 なぜ高句麗人の墓がここにあるのでしょうか?
 高句麗が滅亡した7世紀末以後というなら、まだわかりますが。
 
 そして、こういう谷で、沖積平野や天竜川からは見えない谷にある意味ですね。

 古代浜松では、百済人や加羅人や新羅人のことはわかってきましたが、知られざる高句麗人たちも追いかけたいと思います。

 一番の問題はここに墓をつくった高句麗人たちは、いったい、どこに高句麗人として生きていたのでしょうか。
 今のところ、謎です。