日本古代史7 10月は「神無月(かんなづき)」ですね
10月1日から、10月です(あたりまえですね)。
この10月は別名、「神無月」といいます。
「神の無い月」ですね。どういうことなのかというと、日本列島のほとんどで、神様たちが出雲へ出かけてしまうので、出雲以外は「神無月」ということです。
通説の一つでは、これは中世や近世になって、出雲信仰を広めた人たちが「出雲は偉い」ということを説くために広げた「新興宗教」の説で、古代には関係ないということにもなっているようです。
でも、ほんとうにそうでしょうか?
古事記・日本書紀でも、スサノオからオオクニヌシに至る出雲王朝が二歩列島を支配していて、その出雲王朝から主権を奪ったのが「国譲り」であるというのは一貫しています。
つまり弥生時代の日本の支配者は「銅鐸」に代表される出雲王朝の支配下にあり、弥生後期から古墳時代にかけては鉄の武器に代表される「倭国」に支配権が移動したということではないでしょうか。
さて、神無月ですので、浜松のたくさんの神社の神さまたちも、みんな出雲へ旅行なさるんでしょうか?
我が家のそばの三浦神社のかみさま、行ってらっしゃい。
でも、その留守のあいだの行事とか、どうなんでしょうか?
10月1日から、10月です(あたりまえですね)。
この10月は別名、「神無月」といいます。
「神の無い月」ですね。どういうことなのかというと、日本列島のほとんどで、神様たちが出雲へ出かけてしまうので、出雲以外は「神無月」ということです。
通説の一つでは、これは中世や近世になって、出雲信仰を広めた人たちが「出雲は偉い」ということを説くために広げた「新興宗教」の説で、古代には関係ないということにもなっているようです。
でも、ほんとうにそうでしょうか?
古事記・日本書紀でも、スサノオからオオクニヌシに至る出雲王朝が二歩列島を支配していて、その出雲王朝から主権を奪ったのが「国譲り」であるというのは一貫しています。
つまり弥生時代の日本の支配者は「銅鐸」に代表される出雲王朝の支配下にあり、弥生後期から古墳時代にかけては鉄の武器に代表される「倭国」に支配権が移動したということではないでしょうか。
さて、神無月ですので、浜松のたくさんの神社の神さまたちも、みんな出雲へ旅行なさるんでしょうか?
我が家のそばの三浦神社のかみさま、行ってらっしゃい。
でも、その留守のあいだの行事とか、どうなんでしょうか?