雨宮智彦のブログ 2 宇宙・人間・古代・日記 

浜松市の1市民として、宇宙・古代・哲学から人間までを調べ考えるブログです。2020年10月より第Ⅱ期を始めました。

本と映像の森92 永井豪さん『デビルマン 1』講談社漫画文庫

2010年10月11日 22時48分47秒 | 本と映像の森
本と映像の森92 永井豪さん『デビルマン 1』講談社漫画文庫、1997年4月11日第1刷~1998年8月10日第8刷、258ページ、定価500円+消費税

 巻頭のシーンが、切なく、苦しく、美しいです。
 両性具有の美しい天使が、地獄のような異質の生命体に陵辱されるシーンと、その地獄の悪魔のような生命体が仁王のような怪物(たぶん主人公の…)に駆逐され、最後に、悪魔の集合体の内部に表出する美しい天使のような…。

 そして、現代の1980X年。
 主人公は3人です。
 
 ひ弱な男子高校生の不動明。
 明の幼なじみの女子高校生、牧村美樹。
 明の親友の、飛鳥了。

 3人が、人間世界を侵略する地獄の悪魔たちと、いかにたたかうか。
 明は了に飛鳥邸に招待されて、そこから物語が始まります。

 今日はネタバレはしません。
 文庫版で全5巻の、怖くて、切なくて、美しい恋物語をぜひ読んでください。

 怖いというのは、人間社会が悪魔の侵略におびえ、相互に不信感を抱いて、崩壊していく「悪魔狩り」の物語だからです。

 デビルマンとは、人間に憑依しようという悪魔達の意図に反して、人間の意志の下に、悪魔の身体と超能力が使われてしまう2つの種族の合体人間です。

 切ないというのは、けっして届くことのない恋物語だからです。
 人間の女の子のデビルマンへの恋。
 デビル・悪魔たちの側の男の子のデビルマンへの恋。
 
 この悪魔側の総帥の男の子が美しい「両性体」で、人間側の主人公のデビルマンに恋をしてしまうという設定は、まさに手塚治虫さんの「メトロポリス」(9月10日「本と映像の森78」で紹介)と同じですね。
 性の描写を押さえた手塚治虫さんとは違う、切なさの恋物語です。

 なお永井豪さんの「魔王ダンテ」、そして「デビルマン・レディー」を参照してください。
 ぼくは「デビルマン・レディー」は大傑作で、すてきな物語だと思います。


 

遠州の遺跡・寺社33 内野台の古墳・山の神古墳 

2010年10月11日 22時24分50秒 | 遠州古代史
遠州の遺跡・寺社33 内野台の古墳・山の神(やまのかみ)古墳 

 「32」で紹介した稲荷山古墳の南側にある古墳です。
 稲荷山古墳から道路を南に下ってくると、すぐ右側に高台があって、階段があります。階段を上ると「山の上古墳」です。
 
 直径16メートル、高さ1.8メートルの円墳です。
 「山の神古墳」なんだから、埋葬されているのは女性でしょう?というのは短絡的で、頂上に「山の神」が祭られているから、というだけです。
 未発掘なので、被葬者もわかりません。

 推定では、後期古墳でたぶん6世紀といわれているそうです。

 つまり「内野古墳群」の3つの古墳は、赤門上古墳 → 稲荷山古墳 → 山の神古墳、の順で作られたとされています。

 だいじなことと思うのは、古代の4世紀から6世紀頃には、遠州の沖積平野では天竜川が西の端を、つまり現在の馬込川の流域を流れていて、「内野古墳群」の直下に、天竜川の流れがよく見えたと言うことです。

 
 

雨宮日記 10月10日(日) 今日は晴れの「特異日」なので、古墳探訪に

2010年10月11日 05時04分26秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月10日(日) 今日は晴れの「特異日」なので、古墳探訪に

 N子さんは、昨日の横須賀行きで疲れたのか、たぶん、朝の食事の支度をしてから寝て、ぼくが12時前に目が覚めてトイレにいくと、自室で寝ていました。
 
 午後2時過ぎに、ぼくが起きて、シャワーを浴びて、ひげそりをして、2階にいくと、まだ寝ていたので、声を掛けました。
 「N子さん!」
 うーんと身じろぎをして「なあーに、智彦くん」
 「雨も上がったし、古墳を見にいかない?」
 「ふーん…行こうかな」
 「行くんなら、起きてね」

 ということで、8月1日にN子さんが就職したので、余り時間がなかった、N子さんと二人の「遺跡と寺社めぐり」を再開しました。
 自分一人でいくのも気楽で良いですけど、やはり「相棒」がいて、相づちや疑問をしゃべってくれると、すごい深まります。
 それと、車で目的地へ向かうあいだの時間もとっても、楽しみです。
 ひごろ、いそがしいので、こういう風に、同じ方向を向いて座りながら、じっくり話をするって、すごい大事な時間なんです。

 詳しくは「遠州の遺跡・寺社」で。

 写真は、早い夜に、買い物にいったお店から撮った三日月です。

雨宮日記 10月9日(土) 雨、N子さんは横須賀へ、中国人劉さん平和賞

2010年10月11日 04時30分47秒 | 雨宮日誌
雨宮日記 10月9日(土) 雨、Nl子さんは横須賀へ行き、中国人劉さん平和賞

 今日は、朝から雨。午前5時に、ぼくは仕事から帰ってきて、午前7時10分のひかりで新横浜へ向かうというN子さんの寝床へ侵入して、何ヶ月ぶりだろ、○○をして起こして、ぼくは眠りにつきました。

 午後起きて、シャワーを浴びて、ヒゲを剃りました。
 自室に行き、パソコンを立ち上げて、ネットを見ると、おっ!中国人・劉暁波(りゅうぎょうは)さんのノー平和賞受賞と、中国政府の不快感表明・中国で突然テレビニュース画面が真っ黒にというニュースが出ていました。

 今回の日本との尖閣諸島問題でも、中国政府のやりかたは、認識的に説得し納得を求めるのではなく、力で強行的に押していくやりかたで、日本国民の反感を買うだけの下手なやり方だったと思います。 
 いくさは上手なはずの、「孫子」や「墨子」などに学んでいるはずの中国にしては、たとえば、日本人企業人を「軍事区域」新入と「でっちあげ」るなど、拙劣なやりくちだと思います。

 劉暁波さんの問題でも同じになるのかもしれませんね。
 いかに中国政府が気に入らなくても、ノーベル平和賞はノルウエー政府とからも独立した民間機関ですから、ノルウエー政府を非難するのは、無理ですし、全世界のまともな人間が中国政府を支持しなくなるだけの「墓穴を掘る」行為です。

 文句があるなら、中国政府にしろ、中国共産党にしろ、ほかの中国民間団体にしろ、中国人にしろ、自分の考えと自分の責任において、意見を表明して、それをおたがいに伝えあい、あるいはノーベル賞を決める団体に伝えたらいいのではないでしょうか。
 そういうことは、ぼくも言論の自由として、心から支持します。
 
 でも、中国の権力を使ったり、命令いっかで情報を遮断したりすると、中国は「全体主義なのか」「ファシズムと同じか」と言われても仕方ないと思います。

 もし、いまこのブログを見ている(あるいは監視している)のが中国政府関係者だったら、そのことを深く検討して欲しいと思います。
 中国政府や中国共産党は、反省をするべきです。

 そういうことを思いながら、ネットを見ると、太平洋側はかなり大雨なので、N子さんが、夜、横須賀から浜松まで帰ってこれるか心配になって、携帯に電話しましたが出ないので、玄関にいるウサギの豆子さんにつきあって、玄関に座り込んで、本を読んでいました。

 ようやく午後11時半頃、雨のなか、傘を差してN子さんが帰って来たので「おかえり」とホッとしました。
 横須賀報告は、明日に。
 ほんとうは、N子さんと一緒に眠りたいけど…言い出せなくて、一人で寝ました。
 万葉集の次の歌を想い出しました。

 「伎倍人の 斑衾に 綿さはだ 入りなましもの 妹が小床に (作者不詳)」
 
 解説はこの日記よりは「遠州の古代」でしますね。
 

遠州の遺跡・寺社32 浜北区内野台の古墳 稲荷山古墳

2010年10月11日 00時12分59秒 | 雨宮日誌
遠州の遺跡・寺社32 浜北区内野台の古墳 稲荷山古墳

 浜北区最大の内野古墳群の3つ並んだ古墳の一番北側です。
 ここまで書いたとき、アレッと思って念のため、雨宮ブログのバックナンバーを見返してみたら、今年の2月26日に以下の原稿を書いていました、
 凄いですね、ぼくの忘れる技術。
 で、以下の「  」内はその再録です。その後に10月10日の訪問記をつけました。

「遠州の古墳1 稲荷山古墳(浜北区内野)を浜松市文化財に指定

 2010年(平成22年)2月17日(水)に市役所で開かれた浜松市文化財保護審議会の第3回会合は、浜北区内野の稲荷山古墳を浜松市文化財に指定することを決めました。

 稲荷山古墳は、元は百基以上あって現在は十数基が確認できる内野古墳群の一員で、直径37m、高さ4.3mの円墳で、5世紀前半に築造されたと推定されています。

 内野古墳群の主な古墳は、稲荷山古墳、その南南東にある山の神古墳(円墳で直径16m、未発掘)さらにその南南東にある、前方後円墳「赤門上古墳」(前方後円墳、全長56.3m、4世紀末と推定)です。

 2008年におこなわれた稲荷山古墳の調査で、それまで直径30mとされていたのが訂正されて、東区有玉西町の千人塚古墳(直径49m)、西区入野町の入野古墳(直径44m)に次ぐことがわかりました。
 また、天竜川西岸で多く見られる「二段築成」の墳丘が確認されました。
 
 2段目の「葺石(ふきいし)」は、関西の大型前方後円墳と同じような工法を使っていることも判明し、浜松市内の古墳では珍しいこともわかりました。

 すみません、稲荷山古墳は、何年か前に、見に行って写真も撮っているのですが、すぐに出てきません。見つかったらアップします。

 浜松市内の古墳の概要は、浜松市が2008年3月に発行したカラーパンフ『浜松市文化財ブックレット1 浜松の古墳めぐり』(A5版、63p)を持って、市内を回るとよくわかります。
 たぶん、今も売っていると思います。浜松市役所の生活文化部生涯学習課(文化財担当)(電話053-457-2466)か蜆塚の浜松市博物館で300円で買うことができます。」

 10月10日(日)に涼しくなったので、再訪しました。初めてN子さんを伴って。

 ちょうどクリがいっぱい落ちていて、車でお父さんと子どもたち4人が袋を持って栗拾いにきました。
 山頂に小さな祠が置かれてあるのも、おもしろいです。

 「ここから死んだ首長(今の首長さんとは住民との密着度が違います)さんが、住民と自分の生きた土地を見ていたんだよね」と言うと、N子さんが「住民からは、見下ろしてると思うっていうこと?」と言うので「ちょっと違うな。見守ってくれているみたいな感じじゃない?」と。

 きちんと行政の説明板があるのも親切ですね。
 N子さんが「丸い石がいっぱいあるのは古墳の葺石?」と言っていましたが「たぶんそうなんじゃない」と答えておきました。違っているかなあ。
 撮影した写真を掲載します。古墳の裾から頂上を撮影。