遠州の遺跡・寺社38 東区中里町の欽命八幡神社
「37」で紹介した松小池町の松之浦神社の東の信号をまっすぐ東へ、つきあたりを北(左)へ、最初の十字路を東(右)へ曲がると、南側(右側)が欽命八幡神社です。
歩いて行ける、目と鼻の距離です。
ここも東向きの神社で、松之浦神社(境内154坪)より境内はかなり広い(611坪)です。樹木も多くはなく、かなり広々としています。
祭神(さいじん)は誉田別命(ほんだわけのみこと)、スサノオの命で、合祀は武御名方命(たけみなかたのみこと)さ豊受姫命(とようけひめのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。
「元中ノ町村長命鎮座八幡宮と同村大見鎮座欽明神社と昭和十五年十一月合併し、欽明八幡神社と改称す。」(『浜松死神社名鑑』p128)とあります。
神社へ向かって、290度ですから(東西線の270度から南へ20度触れていて南東方向の神社という点では、「37」の松小池神社より10度浅くちがうだけです。
松小池神社は300度ですから、東西から30度南へ振れています。
近くの神社で似た方向になるというのがおもしろいです。
どちらにもスサノオさんが関係するので、だからかもしれませんが。
なお誉田別命(ほむだわけのみこと)は、応神天皇のことであり、合併した一方が八幡神社なんだからあたりまえですね。
だとすると、もう一方の欽命神社はスサノオの命を祭ってあったんでしょうか。もしかしたらそうですが、未定です。
蛇足ですが「スサノオさん」という言い方をしますが、管直人首相というように誉田別命とか菅原道真公とか名前のあとにつく場合には「さん」をつけていませんん。
「37」で紹介した松小池町の松之浦神社の東の信号をまっすぐ東へ、つきあたりを北(左)へ、最初の十字路を東(右)へ曲がると、南側(右側)が欽命八幡神社です。
歩いて行ける、目と鼻の距離です。
ここも東向きの神社で、松之浦神社(境内154坪)より境内はかなり広い(611坪)です。樹木も多くはなく、かなり広々としています。
祭神(さいじん)は誉田別命(ほんだわけのみこと)、スサノオの命で、合祀は武御名方命(たけみなかたのみこと)さ豊受姫命(とようけひめのみこと)、菅原道真公(すがわらみちざねこう)です。
「元中ノ町村長命鎮座八幡宮と同村大見鎮座欽明神社と昭和十五年十一月合併し、欽明八幡神社と改称す。」(『浜松死神社名鑑』p128)とあります。
神社へ向かって、290度ですから(東西線の270度から南へ20度触れていて南東方向の神社という点では、「37」の松小池神社より10度浅くちがうだけです。
松小池神社は300度ですから、東西から30度南へ振れています。
近くの神社で似た方向になるというのがおもしろいです。
どちらにもスサノオさんが関係するので、だからかもしれませんが。
なお誉田別命(ほむだわけのみこと)は、応神天皇のことであり、合併した一方が八幡神社なんだからあたりまえですね。
だとすると、もう一方の欽命神社はスサノオの命を祭ってあったんでしょうか。もしかしたらそうですが、未定です。
蛇足ですが「スサノオさん」という言い方をしますが、管直人首相というように誉田別命とか菅原道真公とか名前のあとにつく場合には「さん」をつけていませんん。