グリーンブレーカーズ by 高木肥料店

農業の現場の おはなしなどなど。

カッパには、皿があるとは限らない。

2013-08-31 19:03:26 | Weblog
カッパには、皿があるとは限らない。


次回分の資料として一昨年分の再掲載です。よろしかったら。

 ↓


泣ぐコはいねがー」「働がね嫁はいねがー」 

と、ミノとハバキの装束に、鬼の面にでっかいナタや出刃包丁を持って
いるのは、ご存知 なまはげ・・・北国の風物詩ですね。

こういった

 異形の神がヒトを脅して教訓を与える

といった趣向の祭りは、全国各地にありますが、この脅す異形の神役を
なんとカッパがになう
という祭が 鹿児島県にあります。

・・・・ このカッパ、正直怖いです。

ナマハゲの場合は、まだ言葉がわかりますでしょう。しかしですね、こ
の薩摩のカッパは、言葉を解しません。

 『ヒョー・ヒョー

という、奇声を、ただ発するのみ。そればかりか有無をいわさず子供を
ムシロにいれてさらうという、無法ぶり!

ササを手に持ち、さらおうと、子供を追いかけるというカッパの映像は 
こちら  。 怖いので、覚悟してみてくださいね。


























 カッパ.jpg


祭りの詳細は次回へ。


◎ 農業に水 は つきもの。
  というわけで このブログでは、水神さまや河童の話も。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染」 



なんともいえず怖い場所だと思えるもので。

2013-08-31 01:32:27 | Weblog
なんともいえず怖い場所だと思えるもので。

みやざき歴史文化館で開催中の「夏の特別展・幽霊・妖怪大集合!」に行くつ
もりで、迷うことなどないはずの道でみごとに迷ったお話 の続きです。

迷った原因をいま思えば・・・やはり怖かったのかもしれません。それは特別
展ではなく、みやざき歴史文化館のある土地が、です。

 歴史館.jpg  ← 水のなかに浮かぶかのような建物


その場所は、具体的には歴史文化館の建物を抱えるように、うしろに広がって
いる丘。そう、この丘には6世紀から7世紀の古墳時代の後期に造られたとさ
れる82基の〔日本の横穴墓群分布の南限にあたるという〕横穴式の古代の古
墳やお墓があるのです。 ← その事実を知らない県民もけっこういたり。

自分では意識しなかったのですが、それが怖かったのかもしれません。なにせ
夕刻がせまっていましたからね。


◎ この蓮ヶ池史跡公園から北西に15キロほど移動すると、5世紀か
  ら7世紀ごろに造られた大小の古墳が300基以上ある という日
  本最大級の西都原古墳群があるのですが、こちらには深夜にいって
  も怖くもなんともない
のですからおもしろいものですね、人間って。
  桜や菜の花が咲く西都原古墳群の様子は こちら 。 

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染







なにかに化かされたような話なのですが。

2013-08-30 19:14:14 | Weblog
なにかに化かされたような話なのですが。

みやざき歴史文化館で開催中の展示会に行こうとしたときのできごとです。

みやざき歴史文化館への旧知の道のりを車でたどるのですが、どうにもたどり
つけない。山のうえのほうにあるはずなのに、山さえ見えない・・・と書くと
道自体がひと気のない山中だと思われる方がいるかもしれませんが、ちがうの
です。

道のまわりは、住宅街。

その日は、全国一高かったという宮崎市周辺の気温。その暑さをさけるため、
人っ子一人見つからぬ・対向車さえ来ない丸いカーブの続く住宅街の中の道を、
わたしの車は ただひたすらに まわっているようなのです。

ぐるぐる。ぐるぐる。
おそらくは同じ場所を回らされている。

そこで大きな声で、「きょうはいかずに帰ることにしよう」と呟いてみました。
すると見えたのです、前方にみやざき歴史文化館はこちらという標識が。

その標識の指示どうりに小学校の脇の道を山の方向へ上ると、ありました・あ
りました、全面の広い池と背後の深い森に包まれるように立っている歴史文化館
の大きな建物です。

広い駐車場に車を停めて時計を見ると、自分の感覚では20分以上も迷っていた
とかんじていたはずの時間が、5分程度のことだったことに気づかされました。

 自覚はありませんでしたが連日の猛暑の影響で疲れていたのか、
 いつもこの施設に来る道を、初めて逆から入ったのがいけなかったのか


理由はわかりませんが、「よかった。閉館までには1時間強。とりあえずぐるっ
とひととうり見て、おもしろかったら、またくることにしよう
」と思いながら、


  文化館.jpg    入り口と立て看板.jpg


「夏の特別展・幽霊・妖怪大集合!」という立て看板の飾られている入り口を
くぐりました。つづく。


◎ 迷ったときは、小休止するのがいいみたいですね。とくに狐狸の
  いたずらには、 煙草をいっぷく も 効いたみたいで。


51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染






焼き畑にまつわる昔ばなし。

2013-08-29 22:50:57 | Weblog
焼き畑にまつわる昔ばなし。

じつは高度な技術と、文化をもって営まれていたという「焼き畑農法」を
を 前回 そして 前々回 とご紹介しました。今回は、そんな焼き畑に
関する民話のご紹介です。真夏の夜の寝物語として、よろしかったら。。

では、おはなしです。

● 日之影町 逆巻大明神

日之影町の崎の原というところに逆巻大明神のほこらがある。宮水と大
人(おおひと)をつなぐ竜天橋の下で、昔はその下を流れる五ヶ瀬川が、
逆巻ふちという深いふちをつくっていた。
近くの村に住む男があるとき、この付近のヤボ切りを始めた。ヤボ切り
は山の斜面の木や草を切り払って乾燥させ、ころ合いを見て焼き畑にす
ることである。
この場所に大きな木があって、その根元の洞穴に大蛇の夫婦がすんでい
た。雌蛇はお産のために休んでいた。男はそんなこととは知らず、木に
登って枝を切り始めた。
大蛇は木を揺すって男を振り落とそうとしたが、男が歌う仕事歌に聞き
ほれて、落とすことができなかった。
大蛇は男の夢まくらに立ち、「火を入れるのをあと7日間待ってくれ。
この願いを聞いてくれれば、お前の家に幸福をもたらしてやる」と言っ
た。男は、夢に現れた蛇の話を信じようとしなかった。
そして焼き畑に火を入れる朝になった。
雄蛇は産後の雌蛇のため、二神山の乳ケ岩屋というところまで薬を求め
にいった。その帰り、舟ケ原というあたりに来たとき、すまいにしてい
る斜面に火が入れられ、燃えているのが見えた。雌蛇は生まれたばかり
の子蛇とともに焼け死んでしまった。
雄蛇は男の仕打ちを恨んで怒り狂い、その夜中、男の家に巻きついて家
を倒してしまった。男の家では、その後も災いが続いた。男は夢まくら
に立った蛇のことを思い出し、後悔した。
男は、大蛇の恨みを慰めるためにほこらを建て、逆巻大明神として祭っ
た。また、斜面の見える近くの森に礼拝するところをつくり、朝夕大蛇
の霊魂に祈りをささげたという。

● 田野町 大戸野神社

田野町の鰐塚山(わにつかやま)の稜線の東、その山地を田野から北郷
に越えるところに、大戸野峠があります。峠を下りると、そこに黒荷田
という集落がある。
大戸野の茅野は、春先の草の芽立ちがいいようにと、黒荷田の村人が毎
年野焼きをしていた。ある年、いつものように野焼きをする時期がきた
ので、村人は総出で大戸野に登り、火道(野焼きのときの防火線となる
区切り)を切って準備をした。そして、明日はいよいよ火を入れるとい
う日の夕方、村人は寒くなったので、早めに山を下りた。どの家も囲炉
裏(いろり)をたいて暖をとっていた。
村の庄屋の家でも、忙しく夕飯の支度をしていた。ふと気付くと、戸口
で人の気配がして、女人のすすり泣くような声が聞こえた。家族は何と
も気味が悪いので、お互いに顔を見合わせていぶかしがった。
主人が立ち上がって戸口に行き、「そこで泣いているのはだれか」と尋
ねた。
すると、「私は大戸野にいる者ですが、2人の子どもが病気なので、明
日の野焼きをしばらく延ばしてください」と頼んだ。主人は「村で決ま
っていることだ。延ばすことはできない」と答えた。
主人は、大戸野に人が住んでいるはずもないのに、おかしなことだと思
った。
翌日、村人は総出で大戸野の茅野を囲み、野焼きを行った。広い茅野は、
一面に焼けて黒い斜面となった。
焼き終わったとき、1匹の大蛇が、2匹の小蛇をかばうようにして焼け
死んでいるのが見つかった。このあと、村では病気がはやったり、飢饉
(ききん)が起こったりした。村人は蛇のたたりを鎮めるため、大戸野
神社を建ててその霊を祭り、「蛇権現」と呼ぶようになった。
 
注〕大戸野峠の田野町の反対側に北郷町がありますが、そこでも上記の
   話が伝わり、こちら側では-蛇塚-としてお祭りされています。
   

◎ ヘビが聞き惚れたという男の仕事唄。どんな節回しだったのか
  と、おもってしまいます。
 
 51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染




焼き畑農法にはルールがあって。

2013-08-28 16:44:46 | Weblog
焼き畑農法にはルールがあって。

指標作物が基準以上の大きさに成長していれば火入れをおこなうし、指
標作物の生育が基準以下であるならば、その土地の焼き畑としての利
用は見送られるといった焼畑農法のルールを、呪文とからめて ご紹介
しました。

そしてを入れたその後ですが・・・

切り揃えられた雑木と、火によって少なくなった枝葉のため〕見晴ら
しのよくなった焼畑に植えられる作物の順序も、もちろんきめられてい
ました。

 1年目・ソバ→2年目・ヒエとアワ→3年目・小豆→4年目・大豆

といった順番が、一般的であったようです。

さて、それから 5年目以降はどうなるのか なのですが、ここで役に
たってくるのが、

  火入れ前に胸高ぐらいの高さで切りそろえられた雑木
  最初から切られずに残されていた有用樹と若干の大木

なんですね。これらの樹木は、火入れ後のつぎの春には芽を吹いてきま
す〔早い回復ですよ〕。いうならば雑木をのこしたままに、混作状態で
畑を作るわけです。

ちょっと考えると生産性や労働の作業性からみて、効率が悪いようにも
思えますが、そうではない。

なんといっても場所が、山の斜面・・・土壌侵食の防止という意味あい
からみて、これらの残された樹木は役立ちます
。〔1年目の一作目前の
火入れで焼け、いっけん地上部は枯れたようにみえたとしても
〕雑木の
地下部の根が、しっかりと土壌をつかまえてくれているのですから。

この雑木の存在ゆえに、土の持つ生産性は守られ、山の環境は保全され
ることになります。

その後、4年目の大豆の収穫がすむころには、その残された樹木が少し
づつ育つために耕作は中止され、そののち20年から30年の時を経て
火入れ前の雑木林の状態として再生
されます。

このようにかつては日本の山岳部を中心として、広くおこなわれてきた
伝統的な農耕方法である焼き畑農業には、今回みてきたように環境破壊
に対する防止策がきちんと織り込み済みであったようです(その点、い
っせいに山の木をすべて伐採し、その後一斉に植林するという現代の人
口林管理のやり方のほうが、自然にはずっときびしい気がします
)。

現代の日本の土砂災害の多さ・・それを目の当たりにするにつけ、先人
の知恵・太古からの伝統には頭が下がる思いがします。いじょう、「
化を伴った形での焼畑農業は自然にも人にもやさしかった
」・・という
焼畑耕作の一例のご紹介でした。

「むやみに山に火をつけてまわる」などといった、焼き畑農業に対する
現代人の持つ誤解を改めるきっかけになったとしたらさいわいです。


◎ 「火入れのルール」を遵守するために「山の神」を利用する・・・
 といった、ある意味宗教的な工夫も見て取れるんですよね、焼畑農法
 って。そのあたりの興味もつきません。

51P4M6yKWYL__SL500_SS75_.jpg夢で終らせない農業起業」「里地里山複合大汚染