脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

1月1日の朝日新聞記事

2011年01月03日 | 情報

以下
2011年 1月1日、
朝日新聞掲載記事より引用

『朝日賞は、

学術、芸術などの分野で傑出した業績をあげ、日本の文化や社会の発展、向上に貢献した個人・団体に贈ります。

1929年に朝日新聞創刊50年を記念して創設、

92年に朝日新聞文化財団が受賞事業を引き継ぎました。

各界の推薦をもとに、財団と朝日新聞社の選考委員会が審議、決定します。

第1回以来の受賞者は合わせて438人と26団体になります。』




「水俣学」現場から発信

原田正純さん(76)医師

医師、原田正純さん(76)はらだ まさずみ

1934年生まれ。
熊本大大学院で水俣病の研究を始め、同大助教授を経て99年から熊本学園大教授。

水俣学研究センターを立ち上げる。

昨年春に退職し、医師として診察を続けている。

65年に日本精神神経学会賞、89年に大佛次郎賞など。

(写真、現地で患者を診察する原田さん=1970年ごろ

あまたの被害者を生み、豊かな海を一変させた水俣病。
半世紀にわたり、差別や貧困に苦しむ患者側に立ち続け、
診察と救済にかけずり回ってきた。

現地と深くかかわる関係者の多くが、

「あの人がいなければ、どうなっていたことだろう」と指摘する。

熊本大大学院に入り、水俣に行った。

有機水銀が原因と特定されておらず、
毒物は胎盤を通らないというのが医学上の定説の頃。
それなのに、同じ症状の子どもが何人もいた。

「新米の医者だから定説にしばられなかった。

原因が何かはともかく、同じ病気に違いない」と通い続けた。

高度経済成長時代を企業はひた走り、人々の健康を損ねる事例は続く。

戦後最大規模の惨事となった三井三池炭鉱の炭じん爆発と一酸化炭素中毒、

新潟水俣病にカネミ油症。

診察すると、当時の常識を覆す症状に患者は苦しめられていた。

さらに、行政や企業、そして世論でも、
水俣と似た責任回避や無関心が繰り返されていた。

「人類は失敗するんですよ。
起こっちゃいけないけれど、起こった以上、負の遺産として残さねばならない」

熊本学園大に移り、2002年から「水俣学」と名付けた講義を始めた。

患者も講師となり、
水俣病を通して、何が見え、どんな教訓を導き出せるのかを探っていく。

日本だけでなく、カナダやブラジル、インド、ケニアと、調査や講演の依頼は引きも切らない。

途上国に
「水俣病が始まっている地域がある」という。

脳梗そくや3度のがんを患いながら今も患者を回る。

「現場にこそ、学問はある。
ひとつでも多く伝え残していきたいんです。」

(秋山 亮太) 

 

 

 

以上朝日新聞、元旦の記事から。

 

 ここからは私の文章。

医学の常識を覆す(くつがえす)症状に苦しみ、

「医学の定説」によって、

さらに医師の無理解にも今も苦しめられている脳脊髄液減少症患者たち。

 

行政や企業、世論でも、水俣病の時と似た責任回避や無関心。 

これらは、まさに脳脊髄液減少症でも同じことが繰り返されてきた。

 

そしてまた、同じように被害者なのに、世間の無理解に苦しみ、その上症状により働けなくなり、

差別と貧困に苦しむ患者もまた、過去と同じように現在にもいる。

 

そしてまた、現代にも、

そんな脳脊髄液減少症の患者側にたち続ける医師たちがいた。

 

脳脊髄液減少症の発生は

公害病のように

原因を止めれば患者の発生も止められるようなものではない。

 

完全に防止することなど不可能な、交通事故という原因で

永遠にいつでもどこでも発生し続けるであろう、脳脊髄液減少症の患者たち・・・

 

その患者たちに、

過去の教訓を生かせるか、

生かせないで、また過去の過ちを繰り返し患者を苦しめ続けるかは

 

今後の

国と医学界の対応にかかっている。

 

人間は失敗もするし、間違いもする生き物だ。

間違っていたと気づいたら、勇気を持ってそれを認め、そこから教訓を学び、

今後に生かして人々の救済に生かしてほしい。

 

コメント
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