仕事と病気は、たしかに関係性はあるだろう。
職業病と言う呼び方が存在するぐらいだから。
たとえば、
その仕事特有の身体的、精神的負担は存在し、それが積み重なる事で病気を発症する事はあるだろう。
逆に、仕事をしていない事で、精神的、身体的に不活発になり、
心身に症状を出して、病気になる場合もあるだろう。
けれど、
そうばかりではないと私は思う。
脳脊髄液減少症の症状という原因によって結果的に仕事ができなくなっている人に対し、
仕事をしていないから、そうした不定愁訴が続くのだ、といった誤解を
医師からされがちだと、感じることが、かつてからあった。
完全に、原因と結果が逆転している。
これが、他の病気ならどうだろう?
そんな事、医師に言われるだろうか?
たとえば、がんの患者が、
「仕事をしていないからあなたはがんになって、症状を訴え続けるのですよ。」とは、患者は医師に言われるだろうか?
さすがにそんな事は言わないだろう。
けれど、
脳脊髄液減少症の症状の苦しさをよく理解していない医師は、
すぐ、仕事をしていないから症状を自分で出していると思いがち。
検査をしても、患者の訴える症状の原因がわからないと、
原因を患者の心や性格や考え方に求める医師がいる。
仕事をしたくないから、そういう症状を自分で出し続けているのだろう、と
患者の症状を心因性だと決めつける。
どんどん外に出て仕事をしなさい、そうすれば、ささいな不定愁訴なんて気にならなくなるから、とまでは、
幸いな事に私は医師に言われた事はないけれど、
はっきりそう医師に言われる脳脊髄液減少症患者さんもいるようで、考えただけで心が痛い。
私は、親にはよく言われた。
医師さえよくわかっていない脳脊髄液減少症の患者の症状の苦しさを、
素人の家族が理解してくれるわけはないからしかたないけど。
そんな事言われても困る。
髄液漏れたまま、車を運転し、高所で仕事をし、一日中立ち続ける仕事をすると、どうなるか?
その危険性さえ、想像できない医師が今もたくさんいると私は感じる。
いったい、いつになったら、どこのクリニックの、どんな科の医師も、
患者の訴える不定愁訴から、脳脊髄液減少症を疑えるようになるのだろう?
おそらく、あと30年後ぐらいになるんじゃないだろうか?
この記事を読んだ人で、30年後に生きている人がいたら、
もし、30年後に、
どんな小さなクリニックの医師でも脳脊髄液減少症を
風邪と同じくらいに身近なものだと知っているようになっていたら、
30年前にこんな事を書いていた患者がいた事を思い出してほしいと思う。