世界中の誰にも自分の苦しみが理解されないと感じてしまう時、
私はいつも柳澤桂子さんの本を開く。
こうしてブログを
不自由なく読み書きしているように見える私だから
文章の読み書きに関しては
普通だと思われているかもしれないけれど、
本というものは、
最初から最後まで連続して読めるほど、
いまだに集中力も読解力も持続力もないから、
たまたま開いたページや
パラパラと見て興味のわいたところだけを部分的に1行だけとか
1ページだけとか調子に合わせて読んでいる。
それを何度か繰り返す。
そうしているうちに、
本全体に書かれていることが、なんとなくわかってくるような
いまだにそんな読み方が多い。
本でなくても、
難しい文章だと、そんな風になることが多い。
つらい時、孤独を感じるとき、私と同じ
脳脊髄液減少症で長年放置されて生きてきた
柳澤さんの本を開き、
そんな飛ばし読み、気まぐれ読みで、
自分と同じ気持ちを現した柳澤さんの文章をひとつ見つけては、
涙をポロポロこぼしながら、
彼女の本を抱きしめて泣く。
柳澤さんだけは、
脳脊髄液減少症という病の無理解の苦しみをいやというほど体験し、
恐ろしい数々の症状を体験していると思えるから・・・。
しかも、脳脊髄液減少症の診断がつくまで
30年以上も耐えてきた方だから、
この病の無理解も、数々の症状のつらさも、
医師が正しく診断できないことで、
「病人としてさえ、認められないこと。」
治療されないことが招く恐ろしさも、絶望感も、
家族や周囲の人たちからさえ、
疑惑の目を向けられることのつらさを、
彼女なら知りつくしていると思えるから・・・。
脳脊髄液減少症が早期に診断されず、
何年も放置されることで起こる、
失業の悲しみや、
家庭崩壊の危機も、
脳脊髄液減少症が引き起こす数々の症状も
さまざまな誤解も、
失業や、家庭内でのことや、この病によって
二次的に起こるさまざまな問題による苦しみも、
この病がもらたす「本当の恐ろしさ」の数々を
彼女だけは知り尽くしていると思える人だから・・・。
そんな彼女だけは、
私の苦しみをきっと理解してくれる人だと、
思えるから・・・。
本を開いて、
自分と同じ思いを見つけては、
本を抱いて横になりながらオイオイと泣いていると、
彼女だけが私の苦しみを理解し、
そっと寄り添って抱きしめてくれるような気がして、
こういう苦しみを抱えて生きてきた患者は
ひとりじゃないと思えてくる。
ひとりじゃないと思えてくると、
だんだんと、
今までここまで、生きてこれたのも、
ひとりで生きてこれたわけではないことにも気づく。
悲しみが涙とともに流れていくと、やがて気持ちも落ち着いてきて、
恵まれている自分にも気づきはじめる。
家族や周囲の支えがあったからこそ、
現在の自分が存在することにも気づけるように
なってくる。
それに、ふと気づくと涙がちゃんと出ていることにも気づく、
ブラッドパッチ前は
涙も何年も全くでなかった私の体。
感情が凍結したような表情のない顔。
感情も表情も豊かになり、
涙も出るまでに、回復している自分にも、同時に気づく。
家族の支えによって生かされ、
先ゆく患者さんたちが必死の思いで
マスコミを通じて伝えてくれた「脳脊髄液減少症」という病名を知り、
それにやっと気づき、
脳脊髄液減少症の専門医を探し当て、
医師という人によって助けられ、治療もうけられ、
改善しつつある私を
今もさまざまな側面から支え続けてくれる人たちの存在があって
今の私がある。
その自分の幸運にも気づくことができるようになってくる。
「誰にも理解されない」と感じてしまって、
布団に倒れこんで本を抱いて泣いて泣いて、
泣きつかれ、やがて自分の幸運にも気づきはじめ、
周囲に支えられて生きている自分を感じはじめた後は、
また、ゆっくりと体を起こし、涙を拭く。
そしてまた、気まぐれに本を開く、
偶然開いたページでたまたま目にした、
「やがて幸福の糧になる」のあとがきの文章の
柳澤さんの言葉。
「それでも私は書き続けました。
書くことは生きることだったのです。」の一文。
「書くことは生きること。」・・・・・
そう、
私も「書くことは生きること」だったのだと気づいた。
私もここでありのままの思いを吐き出し「書くこと」が
孤独な闘病生活の中で、
唯一の、セルフへルプの場のようでもあり、
自分の気持ちを整理する場所でもあった。
苦しい症状を抱え、良くなったり悪くなったりの症状の波に翻弄されながら、
その波のせいで周囲に誤解されながらの、
何年もかかる苦しくつらい闘病中の
思いを吐き出すことで
今まで気づかなかった自分の心のうちを見つめることで、
「生きる支え」になっていたように思う。
苦しければ苦しいほど、
追い詰められれば追い詰められるほど、
ここに逃げ込んでしまうこともある。
だから、
「ブログが書けるのに、なぜ、他のことができない?。」
そう人に疑問に思われてもしかたがないけれど、
私にとって、
「書くことは生きること。」
今も続く、
この病に対する無理解に対する「激しい怒り」や「悲しみ」
脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさを伝えたいという「思い」
そして日々の気持ちや小さな喜び、
それを自分自身で見つめ、気づくことが、
私の日々の生きるエネルギーにつながっているような気もする。
明日を生きるためのエネルギーになるなら
「怒りや悲しみ、伝えたい思い、」
そんなエネルギー源でも、
私はいいと思っている。
私はいつも柳澤桂子さんの本を開く。
こうしてブログを
不自由なく読み書きしているように見える私だから
文章の読み書きに関しては
普通だと思われているかもしれないけれど、
本というものは、
最初から最後まで連続して読めるほど、
いまだに集中力も読解力も持続力もないから、
たまたま開いたページや
パラパラと見て興味のわいたところだけを部分的に1行だけとか
1ページだけとか調子に合わせて読んでいる。
それを何度か繰り返す。
そうしているうちに、
本全体に書かれていることが、なんとなくわかってくるような
いまだにそんな読み方が多い。
本でなくても、
難しい文章だと、そんな風になることが多い。
つらい時、孤独を感じるとき、私と同じ
脳脊髄液減少症で長年放置されて生きてきた
柳澤さんの本を開き、
そんな飛ばし読み、気まぐれ読みで、
自分と同じ気持ちを現した柳澤さんの文章をひとつ見つけては、
涙をポロポロこぼしながら、
彼女の本を抱きしめて泣く。
柳澤さんだけは、
脳脊髄液減少症という病の無理解の苦しみをいやというほど体験し、
恐ろしい数々の症状を体験していると思えるから・・・。
しかも、脳脊髄液減少症の診断がつくまで
30年以上も耐えてきた方だから、
この病の無理解も、数々の症状のつらさも、
医師が正しく診断できないことで、
「病人としてさえ、認められないこと。」
治療されないことが招く恐ろしさも、絶望感も、
家族や周囲の人たちからさえ、
疑惑の目を向けられることのつらさを、
彼女なら知りつくしていると思えるから・・・。
脳脊髄液減少症が早期に診断されず、
何年も放置されることで起こる、
失業の悲しみや、
家庭崩壊の危機も、
脳脊髄液減少症が引き起こす数々の症状も
さまざまな誤解も、
失業や、家庭内でのことや、この病によって
二次的に起こるさまざまな問題による苦しみも、
この病がもらたす「本当の恐ろしさ」の数々を
彼女だけは知り尽くしていると思える人だから・・・。
そんな彼女だけは、
私の苦しみをきっと理解してくれる人だと、
思えるから・・・。
本を開いて、
自分と同じ思いを見つけては、
本を抱いて横になりながらオイオイと泣いていると、
彼女だけが私の苦しみを理解し、
そっと寄り添って抱きしめてくれるような気がして、
こういう苦しみを抱えて生きてきた患者は
ひとりじゃないと思えてくる。
ひとりじゃないと思えてくると、
だんだんと、
今までここまで、生きてこれたのも、
ひとりで生きてこれたわけではないことにも気づく。
悲しみが涙とともに流れていくと、やがて気持ちも落ち着いてきて、
恵まれている自分にも気づきはじめる。
家族や周囲の支えがあったからこそ、
現在の自分が存在することにも気づけるように
なってくる。
それに、ふと気づくと涙がちゃんと出ていることにも気づく、
ブラッドパッチ前は
涙も何年も全くでなかった私の体。
感情が凍結したような表情のない顔。
感情も表情も豊かになり、
涙も出るまでに、回復している自分にも、同時に気づく。
家族の支えによって生かされ、
先ゆく患者さんたちが必死の思いで
マスコミを通じて伝えてくれた「脳脊髄液減少症」という病名を知り、
それにやっと気づき、
脳脊髄液減少症の専門医を探し当て、
医師という人によって助けられ、治療もうけられ、
改善しつつある私を
今もさまざまな側面から支え続けてくれる人たちの存在があって
今の私がある。
その自分の幸運にも気づくことができるようになってくる。
「誰にも理解されない」と感じてしまって、
布団に倒れこんで本を抱いて泣いて泣いて、
泣きつかれ、やがて自分の幸運にも気づきはじめ、
周囲に支えられて生きている自分を感じはじめた後は、
また、ゆっくりと体を起こし、涙を拭く。
そしてまた、気まぐれに本を開く、
偶然開いたページでたまたま目にした、
「やがて幸福の糧になる」のあとがきの文章の
柳澤さんの言葉。
「それでも私は書き続けました。
書くことは生きることだったのです。」の一文。
「書くことは生きること。」・・・・・
そう、
私も「書くことは生きること」だったのだと気づいた。
私もここでありのままの思いを吐き出し「書くこと」が
孤独な闘病生活の中で、
唯一の、セルフへルプの場のようでもあり、
自分の気持ちを整理する場所でもあった。
苦しい症状を抱え、良くなったり悪くなったりの症状の波に翻弄されながら、
その波のせいで周囲に誤解されながらの、
何年もかかる苦しくつらい闘病中の
思いを吐き出すことで
今まで気づかなかった自分の心のうちを見つめることで、
「生きる支え」になっていたように思う。
苦しければ苦しいほど、
追い詰められれば追い詰められるほど、
ここに逃げ込んでしまうこともある。
だから、
「ブログが書けるのに、なぜ、他のことができない?。」
そう人に疑問に思われてもしかたがないけれど、
私にとって、
「書くことは生きること。」
今も続く、
この病に対する無理解に対する「激しい怒り」や「悲しみ」
脳脊髄液減少症の本当の恐ろしさを伝えたいという「思い」
そして日々の気持ちや小さな喜び、
それを自分自身で見つめ、気づくことが、
私の日々の生きるエネルギーにつながっているような気もする。
明日を生きるためのエネルギーになるなら
「怒りや悲しみ、伝えたい思い、」
そんなエネルギー源でも、
私はいいと思っている。