脳脊髄液減少症患者のつぶやき、「とりあえず、生きてみよか・・・。」

過去から現在へ、脳脊髄液減少症、体験克服記。

いじめで苦しんでいる子供たちへ

2006年10月19日 | こどもたちへ
[いじめられて苦しんでいる、子供たちへ]

私は、自分は何も悪くない交通事故で、
見えない怪我をして、

そのために
「理解されない、病気と認められない」症状で
何年も何年も苦しんできました。

最近、やっと「脳脊髄液減少症」と診断されるまでの長い年月、
この病気のせいで、ずっと、この社会と医療に
無視され、ひどい言葉で「いじめられて」生きてきました。

助けてくれるはずの病院や医師に、
冷たく突き放されるような、ひどい言葉でさらに傷つけられる経験は
本当に、自分の人格まで否定されるような思いがしました。

医師に必死ですがっても、冷笑されてきました。

だから、学校の先生にすがっても
助けてもらえない子の絶望感がわかる気がします。

私も、世界中の誰も自分をわかってくれないと、
すべての人々が敵に感じました。

何を言っても、訴えても、わかってくれる人がいないなら、
自分の苦しさを誰もわかってもらえないなら、
言うだけ無駄、だまって耐えよう、

耐えられなくなったら、
この世から消えたいと何度も思いました。

私は何も悪くないし、本当のことを言っているのに信じてもらえない。

助けてもらえると思ってすがった医師に、
助けてもらえないどころか、相手にされず、
「あなたの苦しみは、あなたの性格が悪いからだ。」と
心ない言葉も吐かれました。

みんなも同じように
先生に助けてもらおうとして
勇気をだして相談したのに、助けてもらえなかったら、
逆に、さらに傷つくことを言われたら、
心がズタズタになるよね。

友達も先生も、誰も助けてもらえないような
どこにも出口がないような思いは本当につらいよね。

そういう思いをしている子がいると思うと
そのつらさを想像して心痛めています。

いじめられている子の、
死にたくなる気持ちや、つらさ、悲しさ、やりきれなさが、
私はなんとなく、わかる気がするのです。

苦しさを信じてもらえない、
誰にも助けてもらえない、わかってもらえない。

やさしい言葉をかけてもらえない、
冷たく笑われて、疑われて、無視されて、
軽蔑の目で、見られて・・・

その悲しさがどんなものかを、
体験は違いますが、私は少しは知っているつもりです。

自分の体験と重ねあわせて、
いじめられてる子供たちの苦しさを想像しています。

体はたとえ健康でも
いじめられて、心が苦しくなるのは、
誰にも理解されない苦しみは、本当に本当につらいよね。
悲しいよね。

誰かにやさしい言葉をかけてもらいたい、
暖かく手をさしのべて、助けてもらいたいよね。
私もそうだったよ・・・。

苦しさを言っても、言っても信じてもらえないことが続けば、
言う気力も、伝える気力もなくなるよね。
人を信じられなくなるよね。

心苦しくて、孤独で、死んでしまいたくなる気持ち、
私もずっと感じてきたからすごくわかるよ。

でもね、死なないでほしい。

まわりから、
自分という存在を否定され続けると、
「自分は生きていても価値のない存在」と思ってしまうよね。

でも、違うよ。
自分はありのままで、生きていて、
それだけで「価値のある存在」なんです。

まわりの心ない「マインドコントロール」にだまされないで。

誰がなんと言おうと自分は「大切な存在」なんです。

どうか、お願い、「大切な自分」を殺さないで!

今の一瞬、一瞬のすべてが、心が苦しくて、つらくて、つらくて、
どうしょうもなくて、身の置き所がないほど、
息もできないほどであっても、

それでも、死なないで!

体は、毎日一生懸命、生きようとしているよ。
血をつくり、心臓を動かし、空気を吸って吐いて、
栄養を吸収して、

心はどんなに苦しくても
体は一生懸命、生きようとしている。

だから、一生懸命生きてる体を
どうか死なせないで!
生かしてあげて。

体も、命も、
心の犠牲になったら、かわいそうだよ。

おわりのないように感じる苦しみも
いつか必ず変化していく。

本当だよ。

この世に永遠に変化しないものなんて、ないんだから。

苦しさを、誰もわかってくれないように思えても、
どうか絶望しないで。

生きてさえいれば、
いつかきっと、わかってくれる人に出会える。
きっと、いいこともある。

必ず、事態は変化してくる。
そのために、自分の力を使おうよ。

あきらめないで、
自分の苦しさをまわりの人に伝えよう。

信頼できそうな人を見つけて、
勇気をだして伝えよう。

たとえ、伝えた人がわかってくれなくても、
まだあきらめちゃぁいけない。

また次の信頼できそうな人を見つけて
苦しさを訴えよう。

その人もだめだったら、また次の人に伝えよう。

まだまだ、あきらめちゃぁいけない。
力を貸してくれる人に出会うまで、訴え続けよう。

自殺してしまいたいほどの、その悔しい悲しいエネルギーを
自分を助けることに全部使おう。

自分を助けるために、あらゆる手段を探してみようよ。
きっとなにか見つかるはず。

きっとわかってくれる、助けてくれる人に出会えるはず。

なかなか状況が変化しなくて、いい方法や助けが見つかるまで
時間がかかりそうだったら、

まずは、そういう苦しめる人たちから、離れるのも自分を守る手段。

死ぬくらいなら、
がまんしないで、学校なんて休んだって、やめたって、
転校したってかまわないんだから。

命より大切な「学校」や「人間関係」なんて、ないんだから。

人間関係が苦しくなくなるまで、一人で、閉じこもっていたっていいんだから。

とりあえず、ごはん食べて、水飲んで、トイレに行って、
命だけはつないでほしい。

苦しさを周囲に伝えても、なかなか理解してもらえなくても、
あきらめないで!

苦しさを伝え続けていれば、
いつかきっとわかってくれる人に出会える。

たとえ、助けがなかなか現れなくても

とりあえず、生きて!

どうか、死なないで!

生きていれば、必ず、
苦しみの長いトンネルの出口の光が必ず見えてくるよ。
私も光が見えてきて、「終わりのないトンネル」はないって思ったよ。

人間は悪い人ばかりじゃないよ。

いじめる人間や
傷つける人間ばかりじゃないよ。

優しいひとも、助けてくれる人も、
どこかにきっといるから、

『人によって傷つけられた心は、人によって癒される
はずだから。

だから、絶望しないで!

お願い、どうか死なないで!

私は苦しんだけど
今、「生きていてよかった」と、思っているよ。

みんなにも、そういう日がきっとくるから、

どうか、生きぬいてください。



「絵の説明]
栗ってイガのトゲトゲがすごく痛いです。
公園で栗、拾おうとして
指に刺さってホント目が飛び出るくらい痛かった。

イガがじっくり観察したくて、上着のポケットにいれておいたら、
いつものようにすぐ忘れて、再度、思いっきり痛い思いをしました。

でも、中身は「つるつるまるまる」してて、かわいい実。
煮るとほっこり甘い。
人間も、意外に、栗に似ているかも、って思いました。
見かけはトゲトゲしくても、中身はほっこり甘い。?
見かけで判断しちゃいけないと。
「意外に人って中身はいい人多いかも・・」って。

先日、公園でひろった、小さな2粒の栗の実
せっかくなので、昨日煮て食べてみたら、すっごく甘かった。
これも小さいからと見た目で判断してはいけませんね。
小粒で、最上級の味。大豆ほどのほんのわずかな量でしたが、
味わえて幸せでした。

この栗の絵は10月上旬
スーパーで買った大きな栗を、ゆでて食べた時に描いたものです。

コメント (19)
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