アグリコ日記

岩手の山里で自給自足的な暮らしをしています。

野犬

2004-12-22 11:12:20 | 
秋口頃からだろうか、
鶏が何かに襲われるようになった。
あの独特の警戒の叫び声を上げたり、藪に隠れたりするのでわかる。
それと気づくたびに外に出て辺りを見回してるのだけれど、
それが何によるものかはわからないままだった。
そのうち1羽、また1羽と鶏が減って行った。
もう何度も放し飼いを止めようかと思ったけれど、
外に出たがる鶏たちを前にして、時間を縮めながらも毎日放し続けていた。
そして今日、とうとう犯人を目撃した。


玄関に繋いでいるスヌーピーが吠える。
台所の窓から外を見たら、思いがけない光景が目に飛び込んで来た。
裏庭を縦横無尽に犬が駆け回っているのである。
鶏は先ほど放したばかりだ。

私は引き戸を押し開けるなり玄関に飛び降りて長靴を履き、
着の身着のままで駆け出した。
裏庭に回ると案の定、放し飼っていた鶏が散々に追われていた。
パッと見たところ犬は3匹。
うち1匹がまさに1羽の雌鶏に追い縋ろうとしている。
もちろん雌鶏も必死に逃げてはいるが、いかんせん間合いが狭すぎて飛び立てない。
一旦飛べば我が家の鶏は50mはゆうに羽ばたき続けるので逃げられるのだが・・・。

危ない!
私は全力でダッシュ。
走る鶏、追い縋る犬。
それに真横から走り寄る私。
犬が鶏に追いついた。前足で押さえつける。
そして大きく口を開けて噛み付く!
私はジャンプして、
スライディングの要領で犬の横腹を蹴り飛ばした。
ギャッ!と短い声を上げて、犬は横っ飛びに跳ね飛ぶ。

間一髪だった。鶏はバタバタと慌しく空に舞う。
弾かれた犬は次の瞬間には体勢を立て直して、一目散に林の方へと逃げて行った。


彼らは、野犬である。
または野良犬とも言う。
元は人に飼われていた犬たち。
それが何らかの事情で野や山に放たれ、今は自ら生き延びるために時には人畜を襲う。

我が家の鶏を脅かして来た者の正体が判明した今、
私の取る道は絞られた。
まず保健所にお願いして、野犬の捕獲をしてもらうこと。
それと、当分の間鶏を外に放さないこと。

最寄の保健所に電話を掛けたら、
明日にでも仕掛けの檻を持って伺いましょう、とのことだった。
野犬に対する苦情は毎年相当数あるとのこと。
特に猫家のような山あいに位置する家では、狩猟解禁期間になるとハンターが犬を連れて近くを歩く。
そうして猟犬の中には飼い主の元に帰らずに、そのまま山に残るのもいるそうだ。
彼らは人の手を離れて自由を得る代償として、それまで約束されていた食事を失う。
かといって長年人に飼われて来たものとして、まったくの野生の状態で生きていけるほどのたくましさを持ってはいない。
その結果、最も楽に食糧を得る方法、つまり人家の周辺にいる小動物や人の残飯を狙うようになる。

また時に徒党を組んだ野犬によって、
今回のような「集団による人畜被害」に結びつくのだそうである。
そう言えば隣りのジッちゃんが言っていたけれど、
何年か前に野犬の群れがこの界隈にたむろして、
各家の飼い犬を片っ端から襲って殺し回ったことがあったそうだ。
どうしてそんな行動に出たのかはわからない。
でも彼らの行動はすべて「生き延びる」ために最大限の努力を払ってなされたことだと思う。


そして保健所の職員は、一夜明けた今日、「檻」を持って来て据え付けていった。
私としてはやむを得ない措置だと思う。
そうでなければ、春以来家族同様に扱って来た鶏たちが次々と殺されて行ってしまう。


でも憤懣やるかたないのは当の犬本人であり、
責められるべきは元の飼い主ではなかろうか。
ハンターといっても、当節では狩猟を生業にしている人はいない。
100%「レジャー」目的の動物殺戮行為である。
毎年この時期になると、遠くは関東方面からも4WDで乗り付け、
ただでさえ昔に比べてずっと少なくなってしまった雉やヤマドリ、ウサギを追い回す。
そんな彼らの引き連れて来た犬が、訓練の不行き届きで迷子になり、
そして、その犬を置き去りにしてハンターたちは山を去る。
ただ予定の休みの期間が終わったから帰って行くのだろうか。

「野犬」は毎年後を絶たずに現れる。
飼い主に見捨てられた犬たちのなれの果て。
ほとんどは野垂れ死にするのだろうが、稀に生き残った者もやがては有害獣として人の手で殺されて行く。
そんな彼らの生き様に、
窓の外に吹雪く雪を見ながら、今ふと思いを馳せる。





【写真はスヌーピー。彼女も元の飼い主から保健所に預けられた犬。】



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2 コメント

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ああ、いますか。。。。。 (j-tenten)
2004-12-22 11:43:56
野犬は今、本当はありえません。

静岡の名勝地、日本平にも、一時野犬の群れがあり、その内のボスが人に飼われ「次郎長犬」として、全国に有名になり、本も出ました。

東名高速を走っていると、鹿に注意の標識があります。その当たりには、鹿が飛び出す事故がなくならないからです。のり面には、防護網もはってあります。

では何故、鹿が飛び出すのか。臆病で、通常なら絶対に車の道になど出ない鹿が。

野犬の群れに追われるから。

何故野犬がいるのか。

猟犬を、置いていってしまうからだそうです。

育てたものの、役に立たない、或いは、年、怪我のために使えなくなる、そういった犬たちを、森の中に置いて行ってしまうのだと聞きました。

彼らにとって、猟犬は、道具だから。

まあ、国によっては、食べるところもありますし、研究を動物実験でしている恩恵を知らず受けている私たちですけど。

あかん、ついいろいろ。。。。。失礼しました。。。。
返信する
なんとまあ・・・ (agrico)
2004-12-22 15:32:58
悲惨な話ですね。

保健所の方にハンターが連れて来た猟犬が野犬化している、と聞いて、

多分山で迷ってしまったんだろうとばかり思ってました。

読みが浅かった!

意図的に山に捨てられている犬もいたのですね。

この里でも毎年夥しいゴミが山に捨てられていますが、

犬をゴミと同じように捨てていくのでしょうね。

確かに当節は犬に限らず、あらゆる動物、果ては人間までもが役に立たなければ粗大ゴミ扱いされる時代ですから。



私は野犬が増えて困るということもさることながら、

捨てられた犬がこんなにいる、ということに気が滅入るのですよ。

我が家は人が捨てたもので暮らしています。

犬も猫も、鶏も、

衣服も材木や薪も、時には猫や私の食べ物も、

「廃棄物」と言われるものをお願いして頂いて来て使ってます。

皮肉なものですね。今の私の暮らしは、こんな時代だからこそ

成り立っているんですよ。

私自身も見方によれば、

社会に貢献していない「無用な存在」なのかもしれません。

未だに所得税も払ってませんから。

そんな廃棄物が片肩寄せ合って生きている

そんな暮らしに、いつの間にか私も入っているんですね。
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